中国・上海では5000人以上の入国者がホテルに隔離された(2020年3月16日、写真:Top Photo/アフロ)


(福島 香織:ジャーナリスト)

 新型コロナ肺炎が世界に広がっていることを受けて中国当局は「ウイルスと全人類の戦い」と喧伝しているが、実際のところは、次なる国際秩序、世界の枠組みの再構築をめぐる「米中戦争」の色合いが濃くなってきている。

 私の持論でもあるが、一昨年から本格化した米中貿易戦争、5G覇権争い、ウイグル問題、昨年(2019年)勃発した香港デモは事実上、米中の価値観戦争でもあった。そして新型コロナ肺炎のパンデミックとともに、今“米中情報戦”と言うべき国際世論誘導合戦が起きている。

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米国側の中国責任論に中国が対抗

 3月12日夜、中国外交部の趙立堅報道官は英語と中国語で、新型コロナウイルスは米軍によって中国・武漢に持ち込まれたという内容のツイートを発信した。

 米国ではこれまでポンペイオ国務長官が「武漢が発生地であることを忘れてはならない」などと発言したり、またFOXテレビの名物司会者、ジェシー・ワッターズが「中国は(新型コロナ問題で)全世界に謝れ」と中国責任論を展開していたが、こうした米国の“世論戦”に中国が斜め上から対抗してきた格好だ。

 趙立堅のツイッター発言を比較的正確に訳すと、「ゼロ号患者(未確認の最初の症例)はいつ米国で発生したのだ? 何人が感染したのか? 病院の名前はなんだ? おそらく米軍が武漢に持ち込んだのだろう。米国は透明性を! データを公表しろ! 我々に説明していないじゃないか!」となる。

 この発言の根拠となっているのは、中国のSNS上の噂だ。昨年10月中旬に武漢で行われた軍事オリンピックに米軍が参加したときに、新型コロナウイルスが持ち込まれたという“噂”が流れていた。

 趙立堅のツイッターでの発言は、国家安全保障問題担当大統領補佐官のロバート・オブライエンが3月11日にヘリテージ財団の講演で「2019年末に新型ウイルスが確認されたあとの中国の対応が遅く不透明である」と批判したことへの反論とみられている。オブライエンはトランプ政権が中国全土からの渡航制限に早々に踏み切ったことを高く評価し、また、中国の隠蔽がパンデミックの原因だとして、中国責任説を展開していた。

 外国部報道官の耿爽は、定例記者会見(3月12日)で、オブライエンの発言について「中国政府と人民の感染症との戦いの努力を貶めた!」「不道徳で無責任な発言」と批判した。

 さらに「この種の言論は米国本国の感染防止工作に何の役にも立たない。中国の感染の蔓延を遅らせるための努力は、世界各国が感染症に勝利するための時間を稼いだ」と反論した。「誰かを攻撃して悪いイメージを植え付け、天や人に恨みごとを言う時間があるなら、その時間を感染症の対応にあて、協力を強化したほうがましではないか」とも発言していた。

 趙立堅の発言は、定例記者会見の公式発言ではない。だが、ツイッターとはいえ、中国の外交部報道官には個人的発言というものは存在しない。ネットで噂になっている「米軍持ち込み説」をつぶやいてみることで、国際世論の風向きを探る観測気球を上げたのだと思われる。

 この発言後、米国務院は崔天凱大使を呼び出して厳重抗議、ポンペイオ国務長官は楊潔篪に電話で抗議し、「中国が新型コロナ肺炎の責任を米国に転嫁しようとしていることに強烈に反対する」「事実でない情報と捏造デマをばらまくときではなく、各国が団結して共通の脅威と対抗すべき時だろう」と話したという。

ウイルスは実験室起源という陰謀論

 ところで、本コラムでも少し紹介したとことがあるが、この新型コロナウイルスが人為的につくられたものではないかという噂が以前からある。背景にあるのはたとえば以下の事柄だ。

 ウイルスの起源が「キクガシラコウモリ」由来のコロナウイルスであるにもかかわらず、湖北省はキクガシラコウモリの生息地域ではないこと。

 ウイルスの遺伝子配列の8割近くが、2003年春に大規感染を引き起こしたSARSに似ていること。

 武漢にある中国科学院武漢ウイルス研究所傘下の国家生物安全実験室や、中央疾病予防コントロールセンター傘下の武漢疾病予防コントロールセンターの実験室では、キクガシラコウモリやその他のコウモリから分離したコロナウイルスに関する実験が行われていたこと。

 武漢ウイルス研究所の副主任であるバイオ科学者の石正麗チームが『Nature Medicine』(2015年11月9日)上で、中国馬蹄コウモリで見つかったSARSに似たコロナウイルスの一種(SHC014-CoV)が疾病を引き起こす可能性に関する論文を発表していたこと。これはSARS遺伝子から、リバースジェネティクス(逆遺伝学)の手法を活用して一種のキメラ・ウイルスを生成、同定したという内容で、「人為的キメラ・コロナウイルス」の存在の根拠として引用されるようになった。ちなみに、この研究には米ノースカロライナ大学の研究者ら米国人研究者も参与し、実験の計画、実施はノースカロライナ大学のラボで行われていた。なので仮にウイルスが人為的なものだとしても、流出元としては米国の研究室の可能性だってあるだろう、というのが中国側の言い分であろう。

 もう1つの背景としては、2019年10月に武漢で軍事オリンピック(ミリタリーワールドゲームズ、国際ミリタリースポーツ評議会主催)が開催され、米軍やロシア軍を含め武漢に世界各国の軍人チームが訪れていた事実がある。この軍事オリンピックに先立ち、9月中旬に武漢の国際空港で、軍事オリンピック参加の外国軍の荷物から“新型コロナウイルス”が漏洩したという仮定で人民解放軍の生物化学部隊が防疫対策訓練を行った。つまり「新型コロナウイルス」は軍事的に利用されうるという想定が解放軍内の認識としてあったということだ。

 ちなみにトレバー・ベッドフォードら27人の科学者たちは医学誌ランセット上に、ゲノム解析結果をもとに「新型コロナウイルスに人為的な変異は見られない」として、生物兵器説を完全否定する声明を掲載している。この科学的検証が100%の確率を断言できるものかどうかは、PCR検査の精度の低さや、STAP細胞の存在の検証の難しさを振り返れば素直に信じられないあたりが、実験室起源という「陰謀論」の付け入るスキとなっている。

習近平の意向を汲んで米国を「犯人」に?

 陰謀論というのは、一種の世論誘導のための情報戦だと定義できよう。噂によって社会に疑心を生み、国際情勢に変化を起こすことができる。米国やイスラエル側は新型コロナウイルスは解放軍の生物兵器だという噂を流し、中国やロシア側は米軍の生物兵器説だという噂を流してきた。

 だが、これまでは、そこはかとなく「噂」として流すのが、世論誘導のための情報戦の常だったが、ここにきて中国が外交部報道官の発言という形で、かなり大胆に踏み込んできた。これはどういうわけなのだろうか。

 これは私個人の見立てであるが、習近平の意向を汲んでいるのではないか。共産党理論誌「求是」(3月15日)に習近平が寄稿した論文「感染症との戦いの勝利のために強大な科学の支えを提供せよ」では、ウイルスの起源を科学的根拠をもってはっきりさせるよう強い指示を出している。

 中国としては、まず、感染症の権威である専門家チームのリーダーの鐘南山がすでに「ウイルスが中国の外から持ち込まれた」可能性に言及させ、次に外交部報道官の個人的意見として発信するという形で、少しずつ、米国起源説の「事実化」を画策しているのではないか。

 またWHO(世界保健機関)にいきなり2000万ドルの寄付を行い、中国にとって都合のよい発信をさせているのも一種の世論誘導だと考えられる。WHOの専門家が中国の都市封鎖などを「中国が取った措置は空前絶後のもので、柔軟で先見性のあるものだった」「自分が新型コロナ肺炎にかかったら中国で治療を受けたい」と記者会見で発言したことは、中国はウイルスと人類の戦において、全世界の模範であり、最初の勝者である、と称えたのと同じである。

世界はどちらを「正しい」と信じるのか

 パンデミックのそもそもの原因は中国の情報隠蔽や政治体制にあるのだが、その中国の強権政治によって、6000万人級の都市封鎖を実行できた。その結果、感染症との戦いにいち早く勝利宣言できるとしよう。一方、民主主義、自由主義社会の国家は、効果的な封じ込み措置を取れず、イタリアなどは感染を中国以上に拡大させてしまった。とすれば、ここで、米中どちらの価値観が「正しい」のか、人権を重んじる自由主義社会の民主主義政治の価値観か、治安秩序安定を理由に人権と自由を制限する全体主義的専制政治の価値観か、世界の見方が問われることになる。

 米国は当初、中国こそがパンデミックの原因であると唱え、世界のサプライチェーンにがっちり食い込んでいる中国をこの「災難」を機にデカップリングしていこうという狙いがあったことだろう。だが、西側の自由主義社会勢は意外なことに感染拡大抑制に手間取ってしまった。もし、その隙に中国がいち早くワクチンや治療薬でも開発した日には、中国の価値観や体制が世界に見直されかねない状況を生む。さらに万が一にも、ウイルスの出どころが中国ではなく、米国の実験室である、と国際社会が信じてしまえば、中国こそが次の時代の国際社会の枠組み・秩序を作るルールメーカーになってしまうかもしれない。中には、米中貿易戦争から香港デモまで敗北を喫していた習近平の大逆転勝利、という望ましくないシナリオを言い出す人も出てきた。

 中国はこれまでのプロパガンダノウハウの積み重ねから、荒唐無稽に思える嘘も権威筋が100回唱えれば一定数の人に事実として浸透することを知っている。もちろん米国も同じような情報戦を経験し、成果をあげてきた。両国にとっての成功例が先の大戦後の日本世論であろう。大戦後は米国中心の国際秩序の枠組みが誕生し、戦勝国の国際世論誘導によって敗戦国の国際的ポジションは決定されてきた。

 同様に、今、新たな国際秩序の枠組みが誕生する前の混乱期、戦時期に当たると考えれば、この新型コロナウイルス大戦は、主要国が次の国際社会のルールメーカーを選ぶための新しい形の「世界大戦」と考えるのも、そう的外れな発想ではないかもしれない。今、すでに戦時中なのだ。

 そう考えると、陰謀論も「トンデモ論」と一蹴するだけでなく、きちんと検証、分析したほうがよかろう。

 私は、日本が、米国や中国の情報戦にいいように翻弄されるのではなく、自国の有利なように国際世論を引き付ける側になって、次なる国際社会の枠組みで指導的なポジションを取れるくらいの気概をみせてほしいと思っている。まずは国内の感染状況の一刻も早い鎮静化、そして有効で安全なワクチンや治療薬に中国よりも早くたどり着くことだろう。

筆者:福島 香織