開幕戦1試合を消化した段階で、中断を余儀なくされているJリーグだが、その開幕戦で、改めて存在感を発揮したのが遠藤保仁だった。前年のJ1覇者、横浜F・マリノス相手にG大阪が前評判を覆し、勝利を飾った一戦だが、遠藤はその立役者だった。まさにベテランの味でチームを統率。展開にいいタメをもたらしていた。

 1980年1月生まれの40歳。かなりのベテランだ。しかし、こう言ってはなんだが、もともとそのプレーは老成していて、若いうちからベテランのような味を見せていたので、老け込んだという印象はない。衰えているのかもしれないが、その速度は極めて緩やかに見える。

 横浜フリューゲルスに入団したものの、その年にチームが消滅。次に移った京都パープルサンガも1シーズンでJ2に降格。遠藤は入団3年目にあたる2001年、G大阪にやってきた。

 今季で18シーズン目を迎えている。1人の選手がひとつのクラブに在籍した最長記録がどれほどなのか。曽ヶ端準(1979年8月/鹿島アントラーズ)が一番ではないかと思うが、現在もほぼコンスタントに出場している選手という条件を加えれば、遠藤がその記録ホルダーになる可能性が高い。

 中村憲剛も1980年10月生まれの現役選手だ。しかしこちらは大卒プレーヤーなので、川崎フロンターレ入団は2003年になる。中村憲は川崎一筋。遠藤との違いはそこになるが、1つのクラブに在籍した長さという点では、やはり遠藤の方が上だ。

 小野伸二(1979年9月生まれ)も、遠藤と同じ学年だ。昨夏、コンサドーレ札幌を退団。J2の琉球FCでプレーする。浦和→フェイエノールト→浦和→ボーフム→清水→ウエスタンシドニー→札幌→琉球。小野は海外を含む様々なクラブを渡り歩いてきた。

 小野はかつて大きな怪我を負った。中村憲剛は、現在怪我で戦線離脱中。この3人の中では遠藤の身体が最もダメージを負っていないように見える。J1でスタメンを飾ることに妥当性を感じさせるが、近い将来、そうではなくなる日が訪れることも確かである。

 どのタイミングでチームを離れるか。

 2004年、阪南大卒業後、ベガルタ仙台に入団。昨季まで16シーズン仙台一筋でプレーした梁勇基(1982年1月生まれ)は、今季からサガン鳥栖でプレーする。知る人ぞ知る名手であるが、こちらも第2のステージに立つことになった。

 1978年6月生まれの中村俊輔は、横浜マリノスで5年間プレーした後、海外に渡り、その8年後(2010年)、再び横浜マリノスに戻ってきた。日本ではミスターマリノスの看板を背負ったまま、横浜マリノスでプレーし続けるかと思いきや2017年、ジュビロ磐田に移籍。その2シーズン後、磐田がJ2に降格したのを機に、同じくJ2の横浜FCに移籍した。

 そしてその横浜FCは昨季、J2で2位となりJ1昇格を果たした。中村俊はその立役者。そのベテランの技巧が昇格に一役買ったことになる。

 下降線を辿ろうとしたそのキャリアは、再び上向きに転じた格好だ。今季の横浜FCがどうなるのか。そこで中村俊がどんな活躍をするか。定かではないが、遠藤、中村憲、小野より、少しだけ先輩に当たる中村俊の、現在のその姿は、選手の寿命が年々伸びているいま、あるべき指針を示しているようで貴重だ。頼もしさを覚える。

 遠藤、中村憲、あるいは梁勇基のように、1つのクラブで長くプレーすることも、それは1つのあるべきスタイルだが、中村俊のようなスタイルの方が、サッカー的であり、今日的のように見える。

 それは、イニエスタの姿に証明されている。バルセロナ一筋できたスーパースター。そこで現役を終えてもおかしくなかった選手が、晩年をあえてJリーグで過ごす意味は深い。サッカーの普及発展を考えたとき、貴い価値を感じる。遠藤や中村憲が別のクラブでプレーする姿を、そろそろ見たくなってきた理由でもある。日本サッカーには、そちらの方が有益である気がしてならない。

 そしてそれは、カズこと三浦知良にもあてはまる。所属の横浜FCは今季J1に昇格した。J2だった昨季、2試合しか出場することができなかったカズが、今季J1でそれ以上の試合に出場する可能性は低い。横浜FCは降格候補。カズの出場機会を探る余裕はないはずだ。

 カズのJ1最年長出場記録に話題は集まるが、その記録誕生の瞬間より、ファンが本当に見たいのは、カズが長い時間プレーする姿ではないだろうか。それがJ2の上位なのか、下位なのか。はたまたJ3なのか、定かではないが、サッカー選手は実際にプレーしてなんぼ、だ。ファンの目の前で実際、どれほどプレーできるか、で価値は決まる。カズがこだわるべきは新記録より出場試合数。その数を増やすことが、カズに続くベテラン選手たちへの励みにもなるのではないだろうか。