東京五輪の選手選考レースを兼ねた、東京国際マラソンの男子の部(3月1日)。日本新記録を更新したうえで日本人1位になることが、その3枠目の候補となる条件だった。そこで2時間5分29秒の日本新記録をマークし、日本人1位に輝いたのは大迫傑選手。翌週(3月8日)開催されたびわこ毎日マラソンで、その記録を超える選手が現れなかったため、大迫選手がそのまま代表に決定した、とはご承知の通りだ。

 しかし、大迫選手の東京国際マラソンにおける順位は4位で、ビルハヌ・レゲセ選手の優勝タイム(2時間4分15秒)とは1分14秒差だった。

 日本新記録の誕生は確かに喜ばしい話だ。テレビ観戦ではあるけれど、その場に立ち会ったようなスリルを味わうことができた。日本人はマラソンを観戦することが好きな人種とされているが、大迫選手は、日本人をますますマラソン好きにさせるような見事な走りを披露した。

「東京(五輪)ではメダルが狙えます。札幌は暑いですから。外国人選手より日本人選手の方が有利です!」とは、マラソン解説でお馴染みの増田明美さんの見解だ。NHKの夜のスポーツニュースに出演した彼女は、喜々と声を弾ませながら楽観的な台詞を吐いていた。それはそうかもしれない。この大迫選手の走りは、誰しもが応援したくなる走りで、期待値が高まるのは当然かも知れない。

 だが、大迫が出したこの日本新記録を上回った選手は、過去3年に限っても40人以上いる。世界記録との差は3分50秒。未公認の世界記録は1分59秒台である。世界との差を痛感させられたレースであったことも確かなのだ。

 いわゆる選考レースになると、テレビは外国人選手で争われる先頭集団ではなく、第2集団以降を走る日本人争いを追いかける。視聴率などを考えると、仕方のない話かもしれないが、スポーツ中継の在り方として、格好のいい話ではない。要はバランスなのだけれど、レースの切り取り方の傾向があまりに日本人中心になると観戦気分は減退する。気持ちはすーっと引いていく。

 この東京国際マラソンも例外ではなかった。テレビ観戦者で優勝したビルハヌ・レゲセ選手の名前を記憶に止めている人はどれほどいるだろうか。2位、3位の選手はどうだろうか。いずれも覚えやすい名前でないことは確かだが、記憶が薄いと言うことは、それは彼らへのリスペクトが足りないことを意味する。

 一方、大迫選手は23キロ付近でいったん後退している。11位か12位か忘れたが、そのあたりから32キロ付近で第2集団に追いつき4位まで上り詰めた。追い上げる姿は格好良かったが、それは言い換えれば、脱落者を一人ひとり捕まえていく粘りの走りにも見えた。素人目に見て、五輪でメダルが狙えそうな、強いなと思わせる走りではなかった。

 実況はともかく、夜のスポーツニュースは、もう少し抑制を効かせ、多角的な視点で捉えるべきではないだろうか。外国人選手は暑さに弱いから五輪でメダルが取れるかもしれない的な話は、非スポーツニュース的でありワイドショー的だ。

 何年か前までのサッカー界がこんな感じだった。たとえば、W杯で日本代表がグループリーグを突破する可能性について、識者は否定的な意見や、厳しい意見を吐きにくいムードがあった。

 だがハリルホジッチ監督時代あたりだろうか。少なくとも代表監督のサッカーに対して意見することは、すっかり普通になった。テレビは相変わらず、批判や批評を躊躇っている様子だが、それがとても嘘臭く感じられるほど、世の中はいい感じでざっくばらんになっている。

 世界のスタンダードに比べれば、まだまだ遅れているが、日本にあっては先進的な存在に見える。異なる意見に対して年々寛容になっている。サッカー界を身贔屓するわけではないが、他の競技より成熟している気がする。