新型コロナウイルスの流行と訪日外国人の急増は軌を一にしている。この先、日本はどのように観光客とつきあえばいいのか。東洋文化研究者アレックス・カー氏らは「億単位で観光客が移動する時代には、観光客の量ではなく、価値を極めることが大切だ」と指摘する――。

※本稿は、アレックス・カー、清野由美『観光亡国論』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

写真=時事通信フォト
検疫所のサーモグラフィーで、到着した乗客の体温を確認する検疫官=2020年1月24日、千葉・成田空港 - 写真=時事通信フォト

■2018年、訪日外国人数は3119万人に達した

訪日外国人、いわゆるインバウンドの数は、2011年の622万人から右肩上がりで増加。いよいよ18年には11年の5倍となる、3119万人まで達しました。

新型コロナウイルスの流行で、その達成に暗雲が立ち込めていますが、政府の掲げる訪日外国人数4000万人達成も、東京オリンピック・パラリンピックの状況次第では夢ではないのかもしれません。そしてその増加に伴い、ここまで政府の「観光立国」の旗印のもとで、全国にインバウンド誘導ブームが起きていました。

私は80年代から観光産業の可能性を予見し、京都の町家や、地方の古民家を一棟貸しの宿泊施設に再生する事業を実践してきました。

08年には国土交通省から「VISIT JAPAN大使」の任命を受け、その趣旨の通り、外国人旅行者の受け入れ態勢に関する仕組みの構築や、外国人に対する日本の魅力の発信を行っています。

つまり、観光振興の太鼓をずっと叩き続けたといっていい。インバウンドの“促進役”という自覚は今にいたるまで変わっていません。

しかし、最近の日本は観光客が急激に増加したことにより、いたるところで「観光公害」ともいうべき現象が引き起こされるようになりました。それらの実情を見るにつれ、「観光立国」どころか、「観光亡国」の局面に入ってしまったのではないかとの強い危機感を抱くようになっています。

「観光公害」を最も顕著に見ることができるのは、日本を代表する観光都市、京都です。

■嵐山・竹林の道は「もはや通勤ラッシュ」

私は70年代後半から京都市の隣にある亀岡市を拠点に、日本で暮らしています。京都の町と自然が好きで、時間を見つけては、お寺や神社、路地裏を散歩していました。古いお寺に宿る美しさ、人々が受け継いできた町並み、静謐な自然景観など、神や神道の精神性を感じる時間を、とても大切に思っていました。

しかし清水寺、二条城といった“超”の付く名所だけでなく、以前は閑静だった京都駅南側のお寺や神社でも、今は人があふれ返っています。

たとえば、全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社で、山際の参道に赤い鳥居が連なる伏見稲荷大社。その鳥居が写真系ソーシャルメディア(SNS)のインスタグラムと相性が良い、つまり“インスタ映え”することから人気で、いつ行っても鳥居の下に人がびっしりと並ぶようになり、参拝もままなりません。

美しい禅庭がある東福寺は、紅葉の季節になると、開門からすぐに、庭を一望できる通天橋の上に人が連なり、立ち止まることもできません。

伏見稲荷や東福寺に限らず、穴場的だった名所でも、今はひとたびSNSで拡散されるや、たちどころに荒らされてしまいます。嵐山・竹林の道は、もはや通勤ラッシュの様相で、京都を好きな人が昔の気分でうっかり出かけると、疲労困憊するはめに陥ります。

観光シーズンの京都では、駅が混みすぎて、普通に電車で移動することが難しくなりました。駅のタクシー乗り場には長い行列ができて、数十分待ちはザラですし、そうなると町中も渋滞して、住民の暮らしが脅かされるようになります。

■「観光公害」は京都だけの問題ではない

観光公害は京都だけでなく、世界中で問題になっている、きわめて今日的な社会課題でもあります。

「観光立国」の先駆けヨーロッパでは、バルセロナ、フィレンツェ、アムステルダムといった、世界の観光をリードしてきた街を中心に、「オーバーツーリズム(観光過剰)」という言葉が盛んにいわれるようになり、メディアでは「ツーリズモフォビア(観光恐怖症)」という造語も登場するようになりました。

ちなみに「オーバーツーリズム」という言葉は、2012年にツイッターのハッシュタグ「#overtourism」で認知されるようになったものですが、現在では国連世界観光機関(UNWTO)が、「ホストやゲスト、住民や旅行者が、その土地への訪問者を多すぎるように感じ、地域生活や観光体験の質が、看過できないほど悪化している状態」と、定義を決めています。

この定義では数値ではなく、住民と旅行者の「感じ方」を重視しているところが特徴です。すなわち、多くの人が「観光のために周辺の環境が悪くなった」と思う状態が、オーバーツーリズムなのです。

■クルーズ船で一気に人口密度が増えたバルセロナ

観光による地域活性の“優等生”であったバルセロナやフィレンツェですが、今では世界中からやってくる観光客が、京都以上に住民の生活を脅かすようになっています。

観光名所が集中するバルセロナの旧市街は、もともと高い人口密度を持つエリアでした。そこに格安航空会社や大型クルーズ船の浸透で、年間4000〜5000万人という観光客が押し寄せ、交通やゴミ、地域の安全管理などの公共サービスは打撃を受けました。

やがて観光による経済振興以前に、自分たちの仕事環境、住環境、自然環境をいかに守るかが、住民にとっては最優先の課題となり、観光促進をリードした町の市民たちが「観光客は帰れ」というデモを実施。町には「観光が町を殺す」といった不穏なビラが貼られるようになりました。

都市再生の優等生とされたバルセロナが「観光公害」に悩まされるようになった結果、むしろ「ノーモアツーリズム」の先頭に立っているのは皮肉なことでもあります。

■民泊バブルで、昔からの住民が住めなくなった

中でも、現代ならではの課題の筆頭が「民泊」です。有名な観光地では、民泊として運用することをあてこんでマンションが乱造され、相場よりもさらに高い価格で取り引きされます。民泊バブルが起こった結果、周辺の地価・家賃が上がり、もとからいた住民が住めなくなってしまっているのです。

民泊に泊まる客の中には一部、道端で飲食をする、隣の敷地内に入る、ゴミを始末しないといった近隣への迷惑行為を行う人が見られます。しかもそのような旅行者が短期間滞在してトラブルを起こしても、持ち主が不在で連絡の取りようがなく、問題は未解決のまま悪循環に陥りがちです。

また、世界中どこでも、観光客は大きなスーツケースを持って移動します。それによって電車やバスが混み合うことに加え、彼らがガラガラと引きずるスーツケースの車輪は、案内サインが書かれている駅構内の床やプラットフォーム、舗装路、そして車両を傷めます。

それらのメンテナンスは受け入れ側が担うしかなく、住民にとっては、税金などによるコストを負担させられるとともに普段の足も邪魔をされるという、何重もの理不尽状態を生み出しています。

■「観光反対!」ではなく価値を極める

そのような負の側面は、観光振興の旗を振っている最中には、なかなか目が行き届きません。ただし現在では「観光公害」の事例が日本のみならず、世界中で見られています。対策を考えるベースはできているのです。日本もそこから習って、適切な解決策を取れるはずです。

アレックス・カー、清野由美『観光亡国論』(中公新書ラクレ)

私は「観光反対!」ということは、決していっていません。むしろ「観光立国」には大賛成ですし、今後もそのための活動を続けていくつもりです。

実際、インバウンドは日本経済を救うパワーを持っています。国際的な潮流を日本の宿や料理に吹き込むことによって、新しいデザインやもてなしも生まれていきます。観光の促進は、日本への理解を国際的に高め、日本文化を救うチャンスであり、プラスの側面は大きいのです。

ただし、それらは適切な「マネージメント」と「コントロール」を行った上でのことだと強調したいのです。前世紀なら「誰でもウェルカム」という姿勢の方が、聞こえはよかったかもしれません。しかし、億単位で観光客が移動する時代には、「量」ではなく「価値」を極めることを最大限に追求するべきなのです。

『観光亡国論』は、そのような私の危機意識をもとに、内外における数々の事例を集め、問題提起とともに、採るべき方策、解決案を探っています。この本を通じ、日本の「観光立国」にとって、よりポジティブで有効な解決の道筋を示すことができればと願っています。

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アレックス・カー東洋文化研究者
1952年、米国生まれ。NPO法人「篪庵(ちいおり)トラスト」理事長。イェール大学日本学部卒、オックスフォード大学にて中国学学士号、修士号取得。64年、父の赴任に伴い初来日。72年に慶應義塾大学へ留学し、73年に徳島県祖谷(いや)で約300年前の茅葺き屋根の古民家を購入。「篪庵」と名付ける。77年から京都府亀岡市に居を構え、90年代半ばからバンコクと京都を拠点に、講演、地域再生コンサル、執筆活動を行う。著書に『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『犬と鬼』(講談社)、『ニッポン景観論』(集英社)など。
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清野 由美(きよの・ゆみ)
ジャーナリスト
東京女子大学卒、慶應義塾大学大学院修了。ケンブリッジ大学客員研究員。出版社勤務を経て、92年よりフリーランスに。国内外の都市開発、デザイン、ビジネス、ライフスタイルを取材する一方、時代の先端を行く各界の人物記事を執筆。著書に『住む場所を選べば、生き方が変わる』(講談社)、『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(いずれも隈研吾氏との共著、集英社新書) など。
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(東洋文化研究者 アレックス・カー、ジャーナリスト 清野 由美)