P&G出身のマーケターが吉野家の業績回復をもたらした(記者撮影)

吉野家ホールディングスの業績が上向いている。

同社が運営する吉野家の既存店売上高は、2019年3月から直近の2020年1月まで11カ月連続で前年同月を上回る。それに伴い、2020年2月期は売上高2150億円(前期比6.2%増)、営業利益36億円(前期は1億円)と増収増益を見込んでいる。

この回復劇の裏に、2018年1月に外部から招聘したマーケターがいる。日用雑貨を製造・販売するプロクター&ギャンブル(P&G)出身の伊東正明常務だ。伊東常務に吉野家の課題と対策について尋ねた。

「コア&モア」戦略で来店頻度を引き上げ

――吉野家のマーケティングについて、どのような戦略で再成長を目指したのですか。

常連客(コア)に来店頻度を高めてもらいながら、女性客や子ども連れなど新しい客層(モア)を獲得する「コア&モア戦略」を掲げた。飲食業では、来店頻度を上げることがいちばん大事だ。


3カ月に1回来店する人に、2回目の来店をしてもらうのは意外と簡単だが、一度も来店したことのない人に来店してもらうのは難しい。ただ、その両面を追わなければ、持続的な成長は難しいと考えた。

一方で、客層が偏っていることが吉野家の抱える長年の課題だった。男性ビジネスパーソンやトラックの運転手らが多かった。特に、店内で食べる顧客の男女比は8対2。競合チェーンと比べても男性比率が高い。

吉野家のように日常食を提供する飲食店が成長するには、客層を広げて、来店回数を増やすかに尽きる。女性が入りづらい店舗を改善しないのは、自らに制限をかけている状態だった。

――コアな顧客向けにどんな手を打ったのですか。

牛丼に限らず、牛肉を使用した商品を多く売ることを軸に考えた。「肉を食べるなら吉野家」というイメージを強化することに注力した。

吉野家の客層を調べると、年配の顧客が多い。年を取ったらたくさん食べないだろうと考え、「小盛」(並盛の4分の3サイズの牛丼)を2019年3月に発売した。とはいえ、広告宣伝費を多くかけられないので、知ってもらうチャンスがない。そこで「超特盛」(特盛よりも大きい最大サイズの牛丼)も同時に発売した。もくろみ通り、メディアに大きく取り上げられ、小盛とともに多くの人に知ってもらうことができた。


伊東正明(いとう・まさあき)/吉野家常務。1996年P&G入社。「ジョイ」「アリエール」「ファブリーズ」のマーケティング責任者として活躍。2018年1月から吉野家顧問、2018年10月から現職(撮影:尾形文繁)

超特盛が発売直後によく売れたのに対し、現在は小盛の方が(超特盛と比べて)1日当たり1.3〜1.5倍ほどよく売れている。ここまでは狙い通りだが、サラダやみそ汁などのサイドメニューを同時に注文する顧客が非常に多かったことは、想定以上だった。客単価が上がり、粗利益も確保できた。

吉野家ファンの間でも「牛丼を食べたいけどコメは嫌だ」というニーズが高まっており、2019年5月に「ライザップ牛サラダ」を発売した。ただの牛サラダも考えたが、高タンパク・低糖質の食事をとりたいときに真っ先に思い浮かべてもらうため、ライザップと組む方がいいと判断した。

現在力を入れているのは、定食のご飯おかわり無料。これも来店頻度を高めるための策だ。1人で夕食を食べる人が増えており、吉野家を選ぶ男性客がガッツリ食べられるようにした。ご飯の原価を考えても、来店頻度が1回上がれば、その人が何杯食べても割に合う。メディアに注目してもらうため、2020年1月にはおかずを2品にした「W定食」を始めた。

郊外の女性向け新型店舗は500店に

――新規顧客へのアプローチは、簡単ではないはずです。

女性が店に入りづらいのなら、店自体を変えてしまおうと、「クッキング&コンフォート」と呼ぶ新型店舗への改装を進めている。従来のU字形のハイカウンターを廃してソファやテーブル席を設置し、コーヒーも提供してゆっくり過ごしてもらう。郊外をメインに約100店舗が改装済みで、今後500店舗ほどまで増やしたい。


新型の「クッキング&コンフォート」店舗では、改装前と比べて女性客が20%増加した(写真:吉野家ホールディングス)

もう1つがテイクアウトだ。イートインでは男性が8割だが、テイクアウトでは男女比が半々。「テイクアウト全品80円引き」キャンペーンなどの大きな割り引きをフックにして、「今日は夕食を作る時間がない」という主婦に利用してもらう施策を打っている。過度な割り引きはよくないが、大きく割り引きをしてでも1回利用してもらえれば、今度は割引きがなくても、時間がないときにまた使ってくれる。

2019年12月には、子ども向けにポケモンとコラボした「ポケ盛」という商品を出した。子どもが行きたいと言えば、お母さんがついてきてくれる。ただポケ盛は想定の十数倍のペースで売れすぎて、販売休止している。ポケ盛を楽しみに来てくれた子どもをがっかりさせてしまい、申し訳なく思っている。

――これらの施策の背景に、どんなマーケティング理論があるのですか。

特別なことはしていないが、唯一使っているのが「引き出し理論」という考え方だ。人間の頭の中に引き出しがあるイメージで、その引き出しを開けたときに手前にあるものを買うのが購買行動だ。例えば、「時間がないからご飯を手短に食べたい」という引き出しを開けたとき、吉野家は手前にいる。


どの引き出しを開ける人が多いか。その引き出しの中でいかに吉野家を手前に持っていくか。この2つの組み合わせだけで考えている。これまでは「高タンパク・低糖質」という引き出しや「できあいの食事を買って帰る」という引き出しに吉野家は弱かったが、一度その引き出しに入ると、また想起してもらいやすくなる。

「どう見えるか」から商品を企画する

――広告の予算が限られている中、どんな工夫をしているのでしょうか。

われわれの強みは全国に1200の店舗があること。通勤や通学の際に店舗の前を通る人が顧客の大半だ。ということは、行きと帰りの1日2回アピールできる。だから店頭のポスターにはものすごく力をかける。目に一瞬でも入ったときに、「食べたい」と思ってもらうものを作ることが必要だ。

新しい商品を思いついたとき、「店に貼るポスターがどう見えるか」を最初に考える。そこから逆算して、商品開発部に「こういう商品にしてほしい」と言っている。「どう見えるか」から商品を企画するという点は、ほかのマーケティング担当者と違う点かもしれない。

――最近はテレビなどのマス広告から、SNSなどデジタルツールを使った販促に力を入れる動きも増えています。

「デジタルの時代」とみんな言うが、テレビ広告はいまだにもっとも有効な広告手段だ。われわれのように1000万人以上の顧客に来店を促す業種の場合、テレビ以上に有効な手段はない。ただ、テレビCMの打ち方は変えた。


以前は、新商品を発売するタイミングで集中的にCMを流していたが、予算は変えずに、より長い期間に平準化して広告を出すようにした。1週間に15回吉野家の広告を見ても、15回食べに来てくれるわけではない。ところが3週間のうち数回見ると、3回来てくれる可能性がある。

加えて期間限定商品ばかりでなく、半分くらいは牛丼のCMを打つようにした。テレビCMに投資するのは貴重な機会。いちばん売れている商品は牛丼なのだから、そのCMを打った方が効果は大きい。

基本的な方針を変えるつもりはない

――今期は業績が大きく回復しました。今後はどうやって成長していきますか。

基本的な方針を変えるつもりはまったくない。戦略はつねに見直す必要があるが、うまくいっている間は変えることが最大の失敗になる。そのときの状況の中でいちばんいいと思う戦略を実行し続ける。

(吉野家の)ライバルは飲食店ではなく、コンビニやスーパー、冷凍食品だ。年365日、1095回の食事のうち、平均的な外食回数は100回程度と言われている。ということは、われわれにとっては、あと1000回もチャンスがある。100の池でラーメン店やファミレスと戦うより、1000の海から取る方が楽でしょう。頭の引き出しにコンビニがある人にはコンビニに勝つ策を、冷凍食品がある人には冷凍食品に打ち勝つ策を考えていく。

よい商品と強いブランドがある。これを売れなかったら、マーケティングを生業にしている僕の意味がない。めちゃくちゃ面白いですよ。