お笑い界のレジェンドともいうべきコメディアンの志村けんがきょう2月20日、70歳の誕生日を迎えた。志村といえば、数年前にNHKで放送されたコント番組『となりのシムラ』は新鮮だった。何しろ志村がカツラもメイクもせず、素の姿でコントを演じたからだ。同番組中のコントでの、妻や娘から冷たくされるなどといったシチュエーションは、長らく深夜番組の1コーナーとして放送されていたコメディドラマ「志村運送物語」にも通じるが、志村の姿がまったくの素である分、どこか哀愁すら感じられた。本人も、やってみた感想を訊かれ、《どうしても僕は哀愁のほうが好きだから、寂しい役ばっかりになっちゃうんですよ》と答えている(※1)。

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 過去の雑誌記事では、《いったんメークをしちゃうとね、不思議に僕は、何でも出来ちゃうんですよ》と語っていた(※2)。著書『志村流』によると、《カツラをつけてメイクして、衣裳を変えれば、タレント志村けんは、もうその役になりきって、キャラクターそのものなんだ》《だから、「キャラ・志村」に変身したときに一層、素のオレでは恥ずかしいことだって、大胆にこなしてしまう》という(※3)。なお、「キャラ・志村」とは、「素の志村」「芸人・志村」と並び、彼のなかにあるという3種類の人格のうちの一つだ。この分類でいくと、『となりのシムラ』で演じたのは「素の志村」と「芸人・志村」の中間といったところだろうか。「芸人・志村」としてコントを演じるなかで、一瞬、シャイな「素の志村」が顔をのぞかせるのが、やはり新鮮であり、おかしかった。


70歳の誕生日を迎えた志村けん ©文藝春秋

「あっ!お釣りもらってねぇ……」自販機トラブルとは?

 志村はまた、仕事が終わると共演者と連れ立って朝まで飲み明かす酒豪ぶりでもつとに知られる。最近ではフジテレビ深夜の『志村でナイト』で共演する千鳥の大悟とよく飲んでいて、師弟のような関係を築いている。ただ、肝臓の数値が上がり、ひところとくらべると酒は控えめにしているらしい。《今は家では飲まないようにしてて、ここんところ血糖値も上がってるんで、1日1万歩の散歩してるんですよ》とは、一昨年に脚本家の宮藤官九郎と対談したときの発言だ(※1)。対談では、ある日散歩をしていたときのエピソードとしてこんな話もしていた。

 散歩の途中、のどが渇いたので、水を自動販売機で買うことにした。ただ、いつもは付き人が買ってきてくれるので、自分では自販機で物を買うことはほとんどない。そのためちょっとドキドキしながら200円を入れたのだが、落ちてきたペットボトルが中の蓋と受取口のあいだに斜めに挟まってしまい、取ろうと思っても指がうまく届かず取り出せない。

《しばらくやっても、どうしても取り出せなかったから諦めて、また歩き出したんだけど、やっぱりノド渇いてるんですよ。またすぐ自動販売機があったんで買ったら、今度は普通に取り出せたんですけど、「あれ? 俺さっきのお釣り貰ってねえな」と。(中略)もし取りに戻った時に、誰かがペットボトル持ってて、お釣りも拾ってる瞬間だったら嫌じゃないですか。(中略)そんなこと思って、ニヤニヤしながら散歩してました(笑)》(※1)

 何気ない話にも思えるが、そのときの志村けんの困惑する様子などを思い浮かべると、こちらもついニヤニヤしてしまう。彼が想像したとおり、お釣りを取り忘れたのに気づき、さっきの自販機に戻ったら、誰かがペットボトルと一緒にお釣りもくすねようとしていたというオチにすれば、そのままコントになるのではないか。相手役がダチョウ倶楽部の上島竜兵なら、なおハマりそうだ。

高校卒業後、ドリフターズに入った理由とは?

 志村けんは1950年、東京都東村山市に生まれた。中学生のころからお笑いの道に進もうと決め、高校卒業を前に、コント55号とザ・ドリフターズのいずれの門を叩くか迷った末、後者を選ぶ。本人によれば《結局、僕はビートルズが大好きで、真似してギターを弾いたりしてたから、音楽の要素が入ったものをやりたい、その方が笑いにも幅が出るだろうと思って、ドリフを選んだ》という(※4)。

 当時のドリフターズは地方巡業が多く、付き人となった志村は主に楽器運びやセッティングなど重労働に追われる一方、メンバーやスタッフがコントをつくりあげていく過程を見ながら笑いについて学んでいった。1年半後、お笑い以外にも人生経験を積もうと考え、一旦はドリフを離れてバーテンダーなどをしたが、また1年後に復帰する。その後、付き人同士で組んだコントユニット「マックボンボン」での活動を経て、1974年にはドリフから荒井注が抜けたのにともない、3ヵ月の「見習い」期間を経てメンバーとなった。すでにドリフはTBSテレビの『8時だョ!全員集合』で人気絶頂にあった。志村は地元・東村山の盆踊りの定番曲をアレンジした「東村山音頭」で1976年にブレイクすると、加藤茶と組んだコントユニット「ひげダンス」、童謡「七つの子」の替え歌「カラスの勝手でしょ」などで子供たちの人気をさらった。

笑いがまったくないシリアスドラマの“衝撃”

『全員集合』は、裏番組の『オレたちひょうきん族』の人気に押されて1985年に終了したものの、志村はこのあとも『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『志村けんのバカ殿様』『志村けんのだいじょうぶだぁ』などの冠番組を持ち、グループでやっていたのとはまた違ったコントのスタイルを追求し続ける。『だいじょうぶだぁ』では、志村演じる老人が亡き妻との思い出を振り返るなどといった設定で、まったく笑いの要素もセリフもないシリアスなドラマをたびたび演じた。一連の「シリアス無言劇」は視聴者に衝撃を与え、宮藤官九郎も《子どもの頃に、いつ笑いが来るのかと思いながらずっと見てたら、結局、来なくて(笑)》《来週から見るのやめようかなと思うくらい衝撃だったんですよ》と、前出の志村との対談で明かしている(※1)。コントと並んでそういうものも出してしまうところに、志村のコメディアンとしての奥深さがうかがえよう。

 1990年代後半、ゴールデンタイムを中心にレギュラー番組が激減し、どこから出たのか「志村けん死亡説」までささやかれた。のちに本人が《あれ、何だったんだろう》と首をひねった騒ぎのなか、母親からも心配して「大丈夫かい」と電話があったが、「大丈夫かいって、いましゃべっているじゃないか」と返したとか(※5)。じつは50歳になったら舞台をやりたいとずっと思っており、このころにはひそかに準備に着手していたはずだ。結局、仕事の関係で5年ほど遅れるも、2006年には一座を旗揚げし、舞台『志村魂(しむらこん)』を始める。最初の公演を前に、《僕の出発点、ドリフの『全員集合』はテレビ番組だけどホール収録でしたからね。舞台は、観客の反応が直に感じられるから大好き。笑いのタイミングがはまったときは何より気持ちいい》と語った(※6)。『志村魂』は以後、毎年、全国各地をまわって上演されている。そこではバカ殿やマッサージ師のひとみばあさんなどおなじみのキャラも登場する。

“ギラギラ”バカ殿がいつの間にか“好々爺”に

 志村によれば、《とにかくキャラクターを大切にすること。徹底的に好きになること。そうすれば、ひとみばあさんはこういう喋り方をする、こんなことはしない、というのが自然とわかるようになるから。キャラクターが成長するし、厚みも出てくるんです》という(※7)。別のところではまた、《おばあさんのマッサージネタなんか、どんな人とやっても変わりますから、何回やってもおもしろいですね》と、同じキャラでコントを演じ続ける醍醐味を語っている(※8)。

 同じキャラでも、相手によってコントの内容が変わってくるのは当然として、志村自身が歳をとることで熟成されるところもあるだろう。バカ殿も、若いころはギラギラしていたのが、いまや家臣の役などで登場する若手芸人を温かく見守る好々爺のような雰囲気を感じさせる瞬間がある。

 自分がメインの番組以外、ドラマや映画に出演することはほとんどない志村だが、ここへ来て山田洋次監督の新作『キネマの神様』で菅田将暉とW主演を務めると発表された(今年12月公開予定)。映画出演は高倉健との共演が話題を呼んだ『鉄道員(ぽっぽや)』以来、21年ぶりということになる。「哀愁が好き」という志村が、人情喜劇を本領とする山田監督と組んで、果たしてどんな新たな姿を見せてくれるのだろうか。

※1 『クレア』2018年6月号
※2 『AERA』1988年6月28日号
※3 志村けん『志村流』(マガジンハウス、2002年)
※4 志村けん『変なおじさん』(日経BP社、1998年)
※5 『週刊現代』2005年11月19日号
※6 『プレジデント』2006年4月17日号
※7 『ターザン』2018年7月12日号
※8 『週刊朝日』2001年6月15日号

(近藤 正高)