いつまで経っても、女は女でいたいー。

それは、何歳になっても、子どもができてママになっても、ほとんどの女性の中に眠る願望なのではないだろうか。

いつまでも若々しくいたいという願いや、おしゃれへの欲求、それに少しのときめき。自由やキャリアへの未練。

そんな想いを心の奥底に秘めながら、ママとなった女たちは、「母親はこうあるべき」という世間からの理想や抑圧と闘っているのだ。

◆これまでのあらすじ

専業主婦の翔子は、同僚たちとの再会をきっかけに仕事をスタートする。

なんとか不倫の誤解は解けたものの「家族を犠牲にしてまで仕事するべき?」と自問自答を始める翔子だったが…。




―私、仕事を続ける?それとも、専業主婦に戻る?

夜遅く、リビングルームで夫と向き合ったまま沈黙が続いていた。翔子は自分に問いかける。

―私が仕事さえ辞めれば、全てが解決するの?

そもそも、これまでの生活に不満があったわけではない。専業主婦として家事や育児に奮闘するのは幸せな日々だった。

でも、正直物足りないと思ったことだってある。それに、「子供がもっと大きくなったら?」「いつか独立したら?」という疑問は、いつだって頭の片隅にあった。

翔子は意を決して、口を開いた。

「パパ。私、これからのこと、一緒に考えたい。仕事のことは、私一人で先走ってしまったけど、私の望みはそうじゃない。もっと家族で話し合って、理解し合いたい」

圭一は「俺もそう思う」と言って、頷いた。

「だって私たち、きっとあと50年以上も一緒に過ごすのよ。いつか孫だって、ひ孫だってできるかも。今、食い違ってる場合じゃないわ」

「そうだな。先は長いな」

翔子と圭一は、50年後の未来に思いを巡らす。夫婦は80代で、あの小さな航太が60歳間近。うまく想像することすら難しいほど、人生は長く続いていくのだ。

「仕事のこと、よく考えてみたの。人生100年って言われている時代よ。小学校から大学卒業するまで16年も勉強して、社会に出てたったの4年で仕事から引退って…もったいない気がするの」

翔子は噛みしめるようにそう言った。

圭一は、あまりにもスケールの大きな話に驚いたのか、少し笑ったように見えた。そして、ぽつりとこう呟く。

「たしかにそうだ。単純なことだな。色々思うことはあったけど、俺も複雑に考えすぎた。ただただ、もったいないよ。答えはシンプルだ」

こうして少しだけでも二人の時間をとることで、同じ風景が見えるのだ。どうしてもっと早くこうしなかったのだろうと、翔子は今更後悔した。

圭一は言葉を続ける。

「この先、航太だって反抗期を迎えたらきっと手に負えなくなるだろ。そういうときこそ、母親は仕事を持っていた方がいいよ。適度な距離感と、家庭以外の居場所は必要だ」

心を開くことで、圭一も自分なりの思いを語り出したのだった。


ようやく向かい合う夫婦。二人が最終的に導き出した答えとは…?


圭一は少し俯いて、低い声で言った。

「それと…母さんのことは本当に申し訳なかった。自分が世話を焼かなきゃって思い込んで、完全に暴走したんだと思う」

「そうね…私、お義母さんとうまくやるには、しばらく時間が掛かりそう。さすがにショックが大きくて」

不倫の捏造や、会社まで押しかけてきての嫌がらせ。いくら圭一の親とはいえ、許せることと許せないことがある。

「時間も大切だけど、まず必要なのは向こうからの謝罪だよ。俺からも強く言っとくし、翔子はしばらく相手にしなくて良いから」

「わかったわ」

ずっとモヤモヤしていた義母の問題。だがそれを圭一の方から切り出して、こうして謝ってくれたことで、翔子は少しすっきりした気持ちになれた。

人生はまだまだ、先が長いのだ。病めるときも健やかなるときも共に過ごすと神様の前で誓った日のことを、思い出す。あの瞬間のように、初心に戻って全てに向き合うことが大切なのかもしれない。

「伝えなくてもわかってくれるはず」という過信をせずに、悩みも迷いも、当然喜びも家族でシェアしよう。

翔子はそう心に誓い、二人の話は今後の仕事の展望に至った。

「俺はこの先定年まで研究者一筋だ。でも、この一つのことを突き詰めていくことが、俺には合っているとつくづく思うよ。この道のプロフェッショナルを目指す。翔子はどこを目指しているんだ?」

「やっぱり、語学を活かしたい。今は翻訳や通訳も真似事レベルだけど、もっとしっかり勉強してスキルを積みたいと思ってる。それとね…。英語が話せることで世界がもっと広がるってことを、次の世代に伝えたい。私、専業主婦も楽しくやってたでしょう?子供好きっていうのは間違いないの」

すると圭一は、笑顔を見せた。

「子供に英語を教えたいってことか。翔子なら、良い先生になりそうだ」

「まだまだ先の話だけど。いつか叶えられるように、頑張るわ」

好意的な反応に翔子は胸をなで下ろし、思わず笑顔になる。

ようやく、夫婦の間にリラックスした空気が流れる。そして静かに夜は更けていった。






数日後、翔子は『希須林 青山』で千尋とランチをしていた。

これまでのお詫びと、これからも仕事を頑張りたいという旨をあらためて伝えたいと思ったのだ。

モチモチの食感が絶品の担々麺を食べながら、千尋はにっこりと微笑んだ。

「翔子、本当に色々と大変だったわよね。でも、ここを乗り越えようと思ってくれてよかった。年齢を重ねる中で、きっと仕事もプライベートもどんどん充実していくわ。困難はあると思うけど、また一緒に乗り越えましょうね」

「はい。最近は航太と一緒に過ごす時間も増えていて、関係もよくなってきたって思います。毎晩一緒に英会話のオンラインレッスンを受けているんです。

すごいですよね。子供の吸収力って。どんどん上達して、私も驚いています。私やっぱり、英語に携わっているときが一番幸せを感じるんです。ずっと関わっていければいいなって…」

翔子の言葉を聞いて、待っていましたと言わんばかりに千尋は切り出した。

「実は…。会社も事業として前から考えていたことがあるの。オンライン英会話と同じように、自由に英語を使って学べる環境が、実際のサロンや教室でできればいいなって…。うちの外国人クライアントさんたちともよく話していたのよ」

「英会話サロンを、事業として経営するということですか?」

千尋は頷いて「あなたと再会する前から温めていたことが、ようやく実現できそう」と言った。

「すぐに動き出しましょう。先生としても、コーディネーターとしてもあなたは適任」

翔子はその展開の早さに唖然としたが、敏腕経営者というのはこんな風にタイミングと感覚を何より信じているのだろう。



それからしばらくすると、英会話サロンの展開の話は業務としてあっという間に進み、デザイナーの明彦がサロンの内装を手がけながら、どんどん準備が進んでいった。

「翔子ちゃん大活躍だって?すごいなあ、俺にも英会話教えてくれよ。あ。娘の玲も通いたいって。高校入ったら留学するって張り切ってるんだよ」

「玲ちゃんが?もちろんです。喜んで!」

いつか自宅で英会話サロンを開きたいと思ってはいたが、こんな風に会社の事業として動き出すとは考えてもいなかった。

そして、もうひとつ驚くべきことがあった。

翔子のパートナーとして、舞花が任命されたのだ。

千尋にその事実を知らされたとき、翔子は思わず驚きの声を上げた。


一歩踏み出して、扉を開けて見えた未来は?


「え?舞花さんが?」

「あの子が言い出したの。新しい事業の責任者として立候補するって」

「すごいバイタリティーですね。すてき」

「翔子に影響を受けたのよ。あなたの何があってもめげずに仕事するところも、家族や周りの人たちを大切にする気持ちも、あの子に伝わったの。舞花、すっかり改心したわ。とはいえやっぱり素直じゃないし、ああいう性格だからご迷惑かけると思うけど」

慌ただしく準備が進み、あっという間にプレオープンの日を迎えた。

会社と目と鼻の先にあるテナントの前には、オープン記念の花がいくつも届き、華やかに彩られている。

翔子は、明るいベージュのスーツを着て、背筋を伸ばしレセプションに立つ。外国人講師の対応で朝から目まぐるしく時間が過ぎていった。

生徒となる子供達が集まりはじめ、その対応をするのは舞花だ。走り回って大騒ぎする男の子を、小さな女の子を抱きかかえながら追いかけ回す舞花の姿は微笑ましかった。

「走っちゃだめ!危ないよ!」

舞花はタジタジだが、やはり笑顔だ。駆けつけた明彦も一緒になって手を焼いている。

―よかった。舞花さん、楽しそう。

感慨深そうにその光景を見ているのは、千尋も一緒だった。翔子の隣にすっと立ち、しみじみと言う。

「あなたが奮闘している様子を見て、私も視野が広がったの。挑戦させてくれてありがとう」

「そんな…こちらこそありがとうございます。私はこれからもずーっと憧れの千尋さんについていきますよ」

翔子はそう答えて、二人で微笑み合った。




「ママ!」

そのとき、ドアが勢いよく開いた。

レセプションに飛び込んできたのは航太と…そして、花束を抱えた圭一だ。

圭一は、翔子と千尋がいるレセプションに近づくと、「おめでとうございます」と言って千尋にピンクのバラの花束を差し出した。

「あら。渡す相手はこちらでしょ」

千尋は笑って、翔子の方へ促した。圭一は、照れながらもそれに従う。

「ここまで大変だったな。ひとまず、おめでとう。まだまだこれからだと思うけど」

「ありがとう。ようやくスタートラインに立てたわ。いろいろあなたにも迷惑かけると思うけど、私、頑張るから」

「もちろん、力になるよ」

二人は微笑みながら見つめ合う。すると航太が、何かを思い出したように急に真面目な顔をする。

「今日、パパが音羽のおばあちゃんも誘ったんだよ。でもおばあちゃん、“ママに合わせる顔がない”だって。どういう意味?」

「そう…ありがとう」

わだかまりが完全に溶けるには、まだ時間がかかるかもしれない。

それでも、全て素直な気持ちで受け入れること。思いを分かち合うこと。翔子は、それらの決意を自分なりに実行するだけだ。

「翔子さん、時間ですよ」

舞花の声に、はっと我に返る。

子供向けクラスの一つを、翔子は講師として担当することになっていた。大きな一歩が今始まるのだ。

翔子は、圭一から受け取った花束を愛おしそうに見つめた。

じわじわと嬉しさがこみ上げてきて、胸が温かくなった。母になってからは忘れていたときめきが、今蘇ろうとしている。

「翔子、頑張って」

圭一はそっと翔子の肩に手を置いた。

いつの間にか呼び方も、「ママ」から「翔子」になっていることには気付いていたけれど、あえて触れないでいようと思った。

シャイな性格の圭一のことだから、恥ずかしがって呼び方を戻してしまうのが想像できるのだ。

だから自分だけの大切なときめきとして、心の中でそっと呟く。

―圭一、ありがとう…。

「じゃあ、行ってくるね」

“家族に、仕事に、眼に映る全てに恋をし続ける私”であるために。翔子は新しい部屋の扉を開けた。

Fin.