ユマキャンプにて(1998年撮影)/(C)共同通信社

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(杉村繁ヤクルト打撃コーチ・当時広報)

元参謀が見た“勝負師”野村克也 日本Sで執念のイチロー封じ

 野村克也さんの下で選手としてはプレーしておらず、専属ではありませんでしたが、広報として9年間、一緒にやらせていただき、思い出はたくさんあります。

 本当に野球が好きな方でしたね。就任1年目のユマキャンプでは1カ月の間、1時間のミーティングを休日を含めて毎日やった。監督の部屋には本やノートがたくさん積んであって、夜な夜な資料を作っていました。ミーティングルームで大学教授のようにしゃべりながらホワイトボードにバーッと書いて、すぐにバーッと消してしまうので、選手たちは必死にノートに書き移していたのが印象に残っています。

 選手には厳しく接していました。古田(敦也)をはじめ、そんなに言うの? というくらいよく怒られていたし、常にベンチのムードはピリピリしていた。選手とは一線を引いていて、基本的に食事に一緒に出かけたりはしなかった。厳しくも野村さんの指導が肥やしになって、何人もの教え子が監督やコーチとして今もやっているのですから、野村さんの遺産ですよね。

 ただ、僕ら裏方には選手とは真逆で、よく気を遣ってくれた。ユニホームを脱ぐと、本当に優しい方でした。

 ある時、裏方全員で野村さんの自宅へ招かれたことがありました。

「好きなものがあったら、もってけ」

 部屋には、山ほど積まれた服や靴、何百本はあろうかというネクタイがあって、それをプレゼントしてくれるというのです。見ただけで何十万円もするとわかる高級スーツも、惜しげもなく。野村さんと服のサイズがぴったりと合う裏方なんて、両腕に7〜8着抱えて持って帰っていましたね(笑い)。

 シーズン中は裏方にも手厚い“監督賞”を出してくれましたし、試合後の食事についても、その時々で「今夜はいいぞ、スギ。適当に食事をするから」と、自由にしてくれたこともたびたびあった。仕事は大変な部分はありましたけど、しんどかったという思いはありませんでした。本当に寂しいです。