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モータースポーツでも活躍した初代ミニ

text:Richard Heseltine(リチャード・ヘーゼルタイン)photo:Richard Heseltine(リチャード・ヘーゼルタイン)translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
初代ミニ並みに、モータースポーツで優れた成績を残し、多くの人に慕われたクルマは少ない。1959年にブランズハッチ・サーキットで開かれた、ボクシングデー・ミーティング以来、多くの人を惹き込んできた。

積極的なレーシングチームやエンジニアたちは、ライバルに勝つために、由緒あるAシリーズ・エンジンから一見不可能そうに思えるほどのパワーを引き出した。それでも足りない時は、大排気量エンジンをボンネットに穴を開けて搭載したり、リアシートがあった場所に押し込んだりしてきた。

中にはオリジナルのエンジンブロックを鋳造するツワモノも出現。際限のない情熱とシリンダーヘッドの行く先は、神のみぞ知る、といったところ。

アレック・イシゴニスの傑作と同じなのは、見た目だけというクルマもあったが、スタイルはしっかり短くて背の高いずんぐりボディ。特に今回ご紹介するミニは、ボディのカタチがミニ、という程度のものが多い。中身はまったく違う、シルエット・フォーミュラ状態だ。

今回はミニ誕生60周年を記念して、知名度が低そうな、個性的な10台のミニ・レーサーを紹介したい。共通点があるとすれば、どのクルマの開発者にも引っ込み思案な人はいない、というところだろうか。

1. ビータ・ミン

ジョン・ハンドリーが1968年のヨーロッパ・ツーリングカー・チャンピオンシップでドライバーズタイトルを獲得した、クーパーSをベースにしたクルマがビータ・ミン(ミニではない)。ミニカー・メーカーのコーギーによってモデル化され、子供にとっても不朽のクルマとなっている。

青いビータ・ミンは、雑誌の表紙を飾ったほか、ロンドン・オリンピアで開かれた1969年のレーシングカー・ショーでも表紙に選ばれた。

ビータ・ミン

Aシリーズ・エンジンに、BVRT製の8ポートヘッドを搭載し、ゴッドフレイ製スーパーチャージャーとテサラミット・ジャクソン製のフュエル・インジェクションを採用。最高出力はフライホイール状態で182ps、車載状態では121psを発生するといわれた。

ジェフ・グッドリフとともに1969年のBARC(英国自動車レーシング・クラブ)カストロール・ヒルクライム選手権にビータ・ミンは投入され、見事すべてのラウンドでクラス優勝を達成している。彼は前年にも違うミニで参戦しており、翌1970年にはロータス・エランでも出場し、ハットトリック(3連勝)を遂げた。

マニアな小ネタ

このクルマには、2速で165km/hに達する高いギア比が組まれていた。グッドリフは1969年10月のホットカー誌でこう語っている。「ダウンヒルでは3速しか使っていません。トップギアまで入れたことはないんです」

2. ミノウGT

1960年初頭に登場した、ボブ・ヘンダーソンのミノウGT。当時のサーキットで見られた中でも、最も独創的なスタイリングを持ったミニだといえるだろう。

SUが設計した、ミニ用のフィッシュ・キャブレターの製造で広く知られていたボブ・ヘンダーソン。チーム・ミノーという名前でレースにも出場し、ミニのチューナーも設立。1962年にこのボディ・コンバージョンをスタートさせている。

ミノウGT

当時のAUTOCARによれば、「250ポンド(3万5000円)の費用で、ディスクブレーキからサンルーフまで備え、かなり装備は充実しています。貧乏人のGTとしてプランニングされたのが、新しいミニ・ミノウGTです」 と記されている。

ミノウGTは、基本的にはミニ・ピックアップ用の、逆スラントしたボディを改変したもの。英国サリー州のMPG&Hエンジニアリング社を通じて、595ポンド(8万5000円)のキットとしても提供されていた。1250ccのAシリーズ・エンジンも用意されていた。

ヘンダーソンはクーパーSのパワートレインを積んだミノウGTで戦い、1964年から1965年にかけて成功も収めている。実際に、何台がボディのコンバージョンを受けているのかは、明らかではない。

マニアな小ネタ

ボブ・ヘンダーソンは、後年にアーガイルGTと呼ばれるミドシップのスーパーカーを設計し、製造もしている。

3. ロテル・ミニ-ポルシェ

これまで誕生した最もエクストリームなミニといえば、トーレ・ヘレの情熱によって作られた、チューブラーフレームが組まれたシルエット・スーパーサルーンだろう。といっても、実際のミニの部分は殆どないといっていい。

ミニは、多才なカーデザイナー、レン・テリーによって大幅な変更を受けることとなった。インディ500を制したロータス38や、イーグル・ウエスレイク・グランプリカーなどの設計で腕をふるった人物だ。だが、ミニに関しては少々特殊なプロジェクトだったと思われる。

ロテル・ミニ-ポルシェ

トーレ・ヘレは以前に、テリーへバイキングF3のレーシングマシンの設計を頼んでいたが、計画を変更。ミニのボディに収まる、スペースフレーム・シャシーの設計を依頼する。そこには、ポルシェ935のフラット6エンジンが、ミドシップされることになった。

ミニ-ポルシェは1978年に姿を見せ、1979年シーズンにスウェーデンでいくつかのレースに参戦。主にドライブしたのは、若かりしコニー・リュングフェルトだった。このクルマが、その後どうなったのかは不明だ。

マニアな小ネタ

このミニ-ポルシェは、レン・テリーにとってモータースポーツ界へ別れを告げるクルマとなった。後年にはフルール・ド・リスなど、戦前風ボディを持つ、ビンテージ・スタイルのバンを設計するようになった。

4. スペシャル・チューニング 4WDミニ

舗装路とオフロードの混ざったコースを走行するラリークロスは、1970年代に一度人気が高まる。近年も人気だが、今以上にエキゾチックなマシンが参戦し、優勝を争っていた時期があった。

この1台限りの4輪駆動仕様のミニはその頃に、英国アビンドンを拠点とするスペシャル・チューニング・デパートメントが生み出したクルマ。製作期間はわずかに9日間だったという。

スペシャル・チューニング 4WDミニ

テレビ放映の予定があったリッデン・ヒル・サーキットでのレースに間に合わせるため、バジル・ウェールズと彼のチームは、ゼロから急ごしらえで完成させたという。

ミニのボディを被っているが、4輪駆動のミニ・モーク・プロトタイプの構成部品が組まれ、サスペンションは全面的に交換されてある。エンジンは1293ccのAシリーズで、当時最新の8ポート・クロスフローのSTシリンダーヘッドと、アマル・キャブレターを4基掛け。最高出力は6000rpmで125psを発生する。

レーサーのブライアン・チャットフィールドは、1971年5月、このモンスターの運転を任される。WD&HOウィルズ・ラリークロス選手権では、ヒート優勝に加え総合2位を達成。その後もいくつかのレースを戦っている。

マニアな小ネタ

デイビッド・エンジェルは1972年のオランダ・ラリークロス選手権で3ラウンド優勝を挙げている。だが、1973年シーズンを前に、ラリークロスは4輪駆動が禁止されてしまった。

5. ビータ・ミニ-ビュイック

ミニのレース界では、スター級ドライバーとして一時期地位を確立していたハリー・ラドクリフ。クルマの設計も手掛け、BRTデベロップメンツ/ブリティッシュ・ビータ・レーシングチームの一員でもあった。

1968年のヨーロッパ・ツーリングカー選手権の参戦に向けて、チームはミニ-ビュイックを生み出した。このマシンは参加車両の中でも、かなりの評判の悪さではあったのだが。

ビータ・ミニ-ビュイック

初戦に挑んだのは1964年。1071ccのクーパーSをベースにしていたが、エンジンは3.5Lのビュイック製V型8気筒がリアシートのあった場所に積まれている。

前輪駆動で、ホイールは13インチ。ジャガーEタイプのトランスミッションとデフを改造して取り付けてある。評判とは裏腹に、技術面ではかなり真剣に取り組まれたマシンで、共同監督のジェフ・グッドリフとともにラドクリフはレースやヒルクライムに参戦。

四角いボディに詰め込まれたエンジンは、都度派手なタイヤスモークを立ち上げ、レースファンの人気は高かった。だが、レーサーのブライアン・レッドマンはテストドライブの感想として、「死を招くマシン」 だと話している。恐ろしい。

マニアな小ネタ

初めての公道でのテスト走行中に、変速すると予期せず左側へクルマは向きを変えた。ミニ-ビュイックはそのまま道路を横断し、バス停で待つ人を驚かせながら、庭に突っ込んだという。

続きは後編にて。