流産1回と子宮外妊娠1回。7年の不妊治療で夫婦が見つけた答えに涙
 子どもが欲しいけれど、持たない人生を選ばざるを得なくなった時、人はどんな葛藤を抱くのでしょうか。

 今回は、静岡県に住む恭子さんの人生を紹介。彼女が流した涙の裏には言葉にできない葛藤と子どもを持たない女性のたくましさがありました。

◆子宮と膣の間に“障害物”が…

 現在42歳の恭子さんが結婚したのは、31歳の時。ご主人とは、1年経っても子どもを授からなかったら不妊治療をしようと話し合い、32歳の時に不妊治療専門病院を訪れました。すると、子宮と膣の間に他の人にはない「障害物」があり、生まれつき妊娠しにくい体だということが判明。障害物は子宮を全摘出しないと取れない場所にありました。

 自分の体を知った恭子さんは夫婦で話し合い、40歳まで不妊治療を行うことに。しかし、採取できる卵子の数が少なかったため、毎回採卵からスタートしました。「一度にたくさんの卵子を採取できる人もいるようですが、私は毎回1個か2個だけでした。」通院していた病院では少ない数だと無麻酔での採取となるため時間やお金だけでなく、身体的にも辛い思いを強いられることになったのです。

「いつか来る出産よりは痛くないだろう」と我慢し続け、行った7年間の不妊治療。その結果は流産1回と子宮外妊娠1回でした。

◆治療5年目の子宮外妊娠で死を覚悟

 事前に主治医から、障害物があるため流産する可能性があることやお腹が大きくなったら子宮の入り口を閉じ、赤ちゃんが落ちてこない手術が必要だと言われていたため恭子さんは流産に対し、ある程度心の準備はしていたそうですが、やはりショックは大きかったと言います。「流産した時、お腹の赤ちゃんは8週目でした。心音を聞かせてもらい、翌週夫にも心音を聞いてもらう予定でしたが、その前に……。トイレやお風呂など、1人になれる場所でよく泣いていました。」

 そして、悲しみが癒えない恭子さんを襲ったのが、子宮外妊娠という予想外の事態。「ある日、それまでエコーで見えていた赤ちゃんらしき影がなくなったため流産したと告げられました。でも、その影はたまたま見えていた何かで、実は卵管で子宮外妊娠していたんです。」その結果、恭子さんはご主人に連れられ、夜間救急へ向かいました。そのまま卵管切除となったのです。「手術前、あまりに痛くて親や友達に遺書みたいなメールを送りました。」

 子宮外妊娠をしたのは、治療を始めて5年目のこと。死にかけた恐怖と悲しさが入り混じった恭子さんは1年間治療を休止しました。「術後はお腹の中にいたことに全く気付けなかった申し訳なさで赤ちゃんに謝りました。主治医から治療を休止するのはもったいないと言われたけれど、心が持ちませんでした。」

◆赤ちゃんの心音は飼い猫の心音と同じくらいだった

 度重なる悲しみを経験し、一時は天国へ行ってしまおうか……とさえ考えるほど心は限界に。そんな恭子さんをこの世に踏みとどまらせたのは2匹の飼い猫たちの存在でした。「大事な猫たちを置いていくことは出来ないと思い、堪えました。エコーで聞いた赤ちゃんの心音は飼い猫の心音と同じくらいの速さだったので、今でも時々、猫の胸に耳を当てて心音を聞かせてもらうことがあります。」

 子供が欲しい。授かりたい。育てたい。一緒に買い物に行きたい。成人式を見たい。孫が見たい。――不妊治療中に抱いていた様々な願いは結果的に叶わなくなってしまいましたが、治療を止めると決めた40歳を迎えた日、恭子さんが感じたのは安堵の気持ちだったそう。「いろんな未来を想像していましたし、夫も私も子どもが好きなので産めないことは辛かったですが、7年の不妊治療でやるだけやったので悔いはありませんでした。」