サッカー王国ブラジルは、ちょっと変わっている。クリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシ級のバロンドールを狙えそうなスーパースターこそ近年、現れていないが、それに次ぐ選手はたくさんいる。欧州サッカーはブラジル人選手なくして成立しない状況がいまなお続いている。
 
 Jリーグを見渡しても似たようなことが言える。ドウグラス(ヴィッセル神戸)、チアゴ・マルチンス(横浜F・マリノス)など、Jリーグのレベルの維持に欠かせないブラジル人選手が多くいる。
 
 ところが監督は、それとは真反対の状況にある。欧州で名を残した監督はほとんどいない。ユーロ2004でポルトガルを準優勝に導いたルイス・フェリペ・スコラーリがせいぜいだ。よい選手がヤマのようにいるので、よい監督がいなくてもなんとかなってしまう。ブラジルには、よい監督が生まれてくる土壌がないとは、昔からよく言われる定説だが、それにしても少なすぎるという感じだ。
  
 チャンピオンズリーグなど、欧州の最高峰でプレーした経験のある元選手たちは引退後、どうしているのだろうか。ブラジルにはまさに「名選手名監督に非ず」を地で行く世界が広がっていることになる。
 
 こう言ってはなんだが、その代表格がジーコとなる。その烙印がハッキリと押されたのは日本代表監督時代だ。その本番となった2006年ドイツW杯でなにより唖然とさせられたのは、カギと言われた初戦、対オーストラリア戦の、その数日前にスタメンを発表してしまったことだ。その時、ジーコジャパンには2つの選択肢があった。3-4-1-2か、4-2-2-2か。少なからず頭を悩ませていたはずのオーストラリア監督ヒディンクに、あろうことかジーコはなんと自ら正解をプレゼントしてしまったのだ。
 
 当然のことながら、試合に敗れ、その瞬間、日本のベスト16入りの目はほぼ消滅した。3戦目でブラジルに1-4で敗れグループリーグ落ちが決まると、ジーコは日本人選手のフィジカル面の弱さを敗因に挙げたものだが、こちらの抱いた敗因は監督にあった。
 
 メンバーはけっして悪くなかった。日本がいいサッカーを世界に示す絶好の機会だった。その中で起きたこの敗退劇。こちらの数ある観戦歴の中でも好ましくない出来事として刻まれている。
 
 代表監督ジーコの印象は芳しくない。だが、その代表チームの練習の合間に、遊びでボールを蹴るジーコの姿を見ると、そうした思いは一瞬、すっ飛ぶのだった。滅茶苦茶巧かったからだ。その昔、バルセロナの練習を見に行った際、監督のクライフが練習に加わり選手と一緒にボールを蹴るシーンを幾度か見たことがあるが、その時に抱いた感激とまったく同じだった。
 
 そもそもジーコは、こちらをサッカーの虜にさせた張本人でもある。ブラジル対イタリア。初めて出かけたW杯、82年スペイン大会でこの一戦を生で見てしまったことが、この道に入る大きなきっかけだった。あの試合をもう一度……。それからウン十年、いまなおライターを続けている理由でもある。

 それはともかく、いつ何時も、目指すサッカーについて朗々と、サービス精神を全開に語ったクライフに対し、監督ジーコは、こういうサッカーがしたいという熱い思いを、最後まで語ることがなかった。

 唯一耳に残るのは「自由度の高いサッカー」になるが、それは監督目線ではなく、選手目線の言葉に聞こえた。少なくとも哲学的な監督でなかったことは、クライフとの比較することで鮮明になる。

 ジーコは2018年から鹿島アントラーズのテクニカルディレクターに納まっている。鹿島が勝利すれば、ほぼ自動的にジーコ・スピリットが取り沙汰される構図にある。早い話が勝利はジーコの手柄になりがちだ。