ベテラン声優大塚明夫氏が語る「今の若い声優に欠けているもの」とは?(写真:Fast&Slow/PIXTA)

『攻殻機動隊』シリーズのバトー役や、『機動戦士ガンダム0083』のアナベル・ガトー役など、多くの代表作を持つベテラン声優の大塚明夫氏が語る「声優論」。第4回では、「今の若い声優に欠けているもの」について解説します。

「今日の現場、一度もリテイクが出なかったんですよ!」

そううれしそうに報告してくる新人が時々いますが、そんなことに喜ぶのはいかがなものかと思います。

新人のうちは、現場でリテイクを出されるのが怖い。それは仕方がありません。口パクを合わせるという、それまでの人生でやってこなかった動作をしなければいけないのですから緊張はして当然です。

しかし、それが高じて「文句言われなきゃいい、言い間違えず、きれいに台詞が時間内に収まったらそれでいい」という気分になってもらっては困ります。

駄目出しがない、リテイクがないということと、「合格点」の演技ができたかどうかは別問題です。もしかしたら「こいつはこれ以上できない奴みたいだから、これで我慢しておくか」と思われているかもしれない。その想像をせずにただ「リテイクなし」という結果に喜んでいる人はちょっと危機感が足りません。

口パクが「合う」「合わない」は重要じゃない

駄目出しやリテイクというものは、その場にある問題をともに解決しようという意志がなければ出されません。ディレクターにも声優にも双方の考えがある。それを持ち寄って、擦り合わせてよりよい完成品を作り上げる場が現場なのです。

もちろん、円滑に仕事を終わらせることは基本的には大事なことでしょう。現場でミスばかりする声優がいたら迷惑です。でも、口パクが合う合わないなんていうのは、実はそんなに大変なことじゃないのです。事前に映像を3度も見れば十分。それよりも、その人物なりキャラクターが持っている空気感をにおわせるためのポイントを探ることのほうが重要でしょう。

私の場合は、アニメであればいかにそのキャラクターを立体的に表現できるか、洋画吹き替えであればその役者の魅力をさらに増幅できるかどうかを事前に考えます。その部分に関する建設的な駄目出しやリテイクをもらうことは大歓迎です。もちろん、相手の言い分が納得いかなくてけんかをしたこともありますが、そうした経験があったからこそ信頼を得た仕事相手もまた大勢います。

重要でない、モブに近い役をとりあえずミスなしで言い終える。それがひかれる演技でなくても、「まあいいや、口パクは合わせてくれるから次もそういう役はまかせよう」とは思ってもらえるでしょう。でもそこで一歩踏み込んだ主張をする。ほかの声優にはできない演技をしようとあがいてみる。そうしたとき、初めて「ん? もうちょい喋らせてみようかな」「違う役もやらせてみようかな」と思われるのです。

それを自分のほうから放棄して、及第点を取れればいいという考え方になっている人には、じゃあお前さんはどこで主張するんだい、と思います。それが、関係者との飲み会の席である人もいるでしょう。自分の判断で、それを戦略として行っているのであればそれはそれでいいと思います。でも、そのくらいのレベルの人が日常的に仕事をしている以上、私の仕事は途切れません。

「とどこおりなく口パクを合わせてくれる人」ではなく、「大塚明夫」を呼んでくれる人と仕事をしているからです。私より仕事量の多い声優はいくらでもいますが、そのことで危機感を抱いたことはありませんし、これからもないでしょう。私に危機感をおぼえさせるほどの後輩に、どうか出てきてほしいものです。

若い声優は「同じような役ばかり」やるな

今、人気のある声優はたくさんいます。でもその人気がいつまでも続くことはありません。いつかは必ず旬が過ぎる。そのときに何が残るのかといったら、“力”だけです。そしてそれは「技術力」のみを指しません。

声質自体は、歳をとっても基本的に変わらないものです。でも、あるレベルを超えると肉体の劣化が始まります。これは避けようがありません。若いときは体がやわらかいため声帯もやわらかいのですが、歳をとると固くなります。声帯というのは長くやわらかいほど低い音が出るので、歳をとればとるほど基本的には低い声が出なくなっていくわけです。

「いい声」頼りの役者は、こうした劣化に抗えません。肉体の劣化が避けられないからこそ、その後に残る力を持っていないといけないし、より深い芝居をできるようにならなければいけないのです。

今はネット社会ですから、少しでも人気が衰えるとすぐさま「○○は劣化した」などと書かれたりしますが、それは若いときと同じような役ばかりやるからだろう、というのが私の考えです。

若いときに出ていた声が歳をとれば出なくなるのは当然のことなので、本来は役者もやる役も、ともに歳をとっていかなければいけない。しかし、人はどうしても若いときに得た旬をいかに持続させるか、若いままのように見せておくかに苦心してしまうようです。

ある程度の時間はそれでしのげるでしょう。でも、もっと人気のある若い声優が出てきたときにはたと気づくのです。ずっと同じものが続けば人間は飽きてしまうのだ、ということに。

現場のスタッフたちにも、当然ながら「作りたい」「新しいことをしたい」という欲求はあります。その欲求のはけ口として、「周りの使っていない役者を使う」という手段を選ぶ人がいる。そうすると、新鮮味の薄れた役者にはお呼びがかかりません。

また、歳をとった声優が、年下のスタッフたちにとって扱いづらい存在になってしまうという面もあります。20代、30代のディレクターにとって、50代、60代の声優は正直けむたい。駄目出しもしにくいでしょう。技術だけ高く、キャッチーでない声優となると余計そう思われます。「それでも○○さんじゃないと駄目だ」という判断をされないと、いともたやすく若い声優にとってかわられてしまう。山ちゃん(山寺宏一)などは、そういう意味では歳をとったからといってお呼びが減るタイプではありません。

声優は「技術力だけ」では生き残れない

ですから、実は技術だけで生き残るのはきついことなのです。50の椅子に50人の役者が座っていた時代は、確かに技術さえあればどうにかなりました。今はどんどん声優が若年化しているので、年寄りのキャラクターが出てきたときにも、前述のような理由で若手がキャスティングされてしまったりする。

こうした現状がじれったい、という気持ちもあります。優れた偉大な先輩がたくさんいるのに、彼らはなかなか最前線に出てこられない。悲しむべきことです。そういう方々と、私ももっと競演したいのですが……。

現場でベテラン同士がなかなかそろわない理由は、キャスティングにかけられる予算がどこも限られているからです。ランクの高い声優を1人使えば予算が大幅に減るので、あとのキャストを低いランクの若手にするしかなくなる。だから、一部のスター以外はどんどん世代交代してしまうのです。

洋画吹き替えの世界は世代交代が早いです。30代、40代の役者が中心なので、私などもすでに前線は退いている部類かもしれません。

そして、男性声優に比べて女性声優のそれのほうがさらに早くなります。これには、そもそも女性の役が圧倒的に少ないという要因があります。とくに年配の女性の役は少ない。作る側もお金がないものだから、お婆さんだろうと中年女性だろうとかまわず、ギャラの安い、若い声優にやらせてしまうのです。こういう中で、声優として生き残るのは実に大変なことです。

加えて言っておくと、女性声優の場合、洋画吹き替えの世界に限らず、こうした年齢競争がより過酷です。20代になっただけで売れなくなってしまう子もいるくらいです。16、17歳が一番売りやすい、というような風潮もあります。

高校を出て、声優学校に行って養成所に行って、というルートを踏んでいれば現場に出るのはどうしたって20歳くらいになりますから、「若いうちだけ使ってすぐに交換すればいい」と考えているアコギな大人に捕まったら悲惨です。

嘆かわしいことですが、手をかけなくても売れるものを拾ってきてばらまいて儲けよう、と考えている大人がこの世界には大勢います。まっとうな生産社会でないというのはそういうことなのです。

その中に無鉄砲に飛び込んで、売れなければ捨てられて、という顚末をたどる若者を見続けてきた私としてはやっぱり、「声優だけはやめときな」としか言いようがないのです。そんなのは自分の育った環境に比べればリスクでもなんでもない、と本気で言い切れる人だったら仕方がないですが、それでも「よし頑張れ」とは言えません。

若い声優たちに抱く違和感

若い声優たちと接していると、彼らが本当に役者としてキャラクターを演じたいと思っているのかどうか、よくわからなくなることがあります。モブを脱したい、レギュラーを取りたい、大きな役がほしい、という意欲があまり見えないのです。内心ではいろいろ思っているのかもしれません。でも行動に表れていないのでは周りの人間も判断しようがないのです。マネージャーだって、やる気の見えない声優にわざわざ仕事は持っていきません。

「役者の大小はあるが役の大小はない」、なんて言葉がよく演劇の世界では言われます。しかし、私はあると思います。物語の中で構造材として要求される部分が大きいか小さいか、それが役の大小です。

強烈な才能を持つ役者がシェイクスピアの芝居で伝令役をやったら、観客が「あの伝令にはものすごい意味があるのかもしれない」と思うかもしれません。普通の役者がやってもそうはならない。そういう意味では、確かに役者の大小は役の大小を超えるのかもしれません。でも役の大小もやっぱりあると思うのです。マクベスやリア王のほうが大きい役に決まってます。

そして、やはり大きい役をやったほうが演じる楽しみというのはよりわかってくるものだとも思うのです。一言二言しか言えない役ばかりだったら、芝居の本当の面白さ、奥深さを味わう機会もなかなかないでしょう。

個人的には、若手は皆もっと「主役がやりたい」「大きい役がやりたい」と望むべきだと思っています。本数ではなく、より大きな役を求めて戦うべきだと。そうやってあがいているうちに、その姿勢がディレクターやプロデューサーの目に留まって「こいつにもう少し大きい役やらせてみようかな」と思われたりするのですから。

そのためには、先輩に組みついていく、利用しようとすることも必要です。うちの事務所のマネージャーたちはよく新人に「先輩に現場に連れていってもらいな」とすすめるのですが、実際そうやって現場にくっついていく新人はほとんどいないようです。私のところに頼みにくる子もいません。

現場にもぐりこめば、「ちょっと喋ってみ」と声をかけてくれるディレクターはいます。やらせてもらえるのがモブの一言だったとしても、そういう場で自分をアピールしなければチャンスも増えません。実際、そうやって現場に通って、有名海外ドラマのレギュラーを取った声優もいます。昔の話になってしまいますが、私も新人時代は父にくっついていろんな現場に行き、一言二言喋らせてもらっていたものです。

下積みとは「戦いの期間」である

「いっぱい喋るのって楽しいんですね、明夫さん!」


ある若い人が、私にこう言ったことがあります。そうです。いっぱい喋るのは、演じるのは楽しい。

新人のうちだと、午前の現場で一言、夜の現場で一言、なんて日だってあります。一言喋って、あとはほかの役者の演技を見る。それも確かに勉強になるけれど、自分が演じていたほうが楽しみは勝るに決まっています。

演じるのが好きでこの世界に来たはずなのですから、やる以上はそうやって、楽しく働けるのがいいに決まっている。下積みとは、その時間を獲得するための戦いの期間です。その戦いを自ら起こさず、精進もせず、マネージャーが仕事を持ってきてくれるんだと思っている人は、一刻も早く声優業からは足を洗ったほうがいいでしょう。