得意分野は天気予報よりも災害というウェザーニューズの山口剛央さん。趣味を仕事にした山口さんの熱意とは?(撮影:梅谷秀司)

この連載では、社業を極める「オタク」たちに焦点を当てている。そこには、“好き”を仕事にする、仕事を好きになりたい人へのヒントがあるのではないかと思うからだ。

今回インタビューしたのは、世界最大の気象情報会社・ウェザーニューズの山口剛央さん。同社が24時間ネット配信する天気予報で解説員を務めている。得意分野は天気予報よりも災害だという。

熊本地震では1度目の大地震のあとも「また強い揺れが来るかも」と警戒を呼びかけていた。2日後に“本震”が来たことは言うまでもない。この呼びかけは、彼の頭に詰め込まれた膨大な災害データを根拠としている。どうやってその知識を身に付けたのかに迫る。

熊本地震では、強い地震への警戒を伝え続けた

――山口さんはほかの気象解説員とは少し違って、天気予報よりも地震や火山、災害の解説がお得意だそうですが、災害の解説とはどういうものでしょうか。


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2009年頃から大きな地震が起きたときに、出演して解説させていただいています。東日本大震災のときは、30時間ぐらい連続で出演しました。今後どれくらいの期間気をつけるべきかとか、津波を伴うような地震がまた来るのかなど、キャスター役の人がいろいろ聞いてくるので、それに答える形で伝え続けました。

――2016年の熊本地震では、1度目の地震が起きた後も、まだまだ警戒が必要と呼びかけていたそうですね。

あのときは、4月14日に震度7の地震が来て、4月16日にさらに大きな地震が起きました。14日の地震の後もかなり活発に地震が起きていたので、気になっていました。過去にそういう地震の起き方をしていて、さらに大きい地震が来た事例があるんです。

2003年7月の宮城県北部地震や1968年のえびの地震など、あと東日本大震災もそうですね。マグニチュード7.3の地震が3月11日の2日前に起きています。熊本地震はまさにそんな起き方をしていたので、14日の地震では終わらないかもという話をしました。

――地震の予知は不可能なものだと思っていましたが、予想できることもあるんですね。

予知は不可能だと思いますが、わかることもあります。ちょっと気をつけたほうがいいかもしれないという情報は、直感ではなく、過去のデータに裏打ちされて伝えられる世界だと思います。

――地震発生後すぐに解説するためには、普段からかなりの勉強が必要だと思うのですが、どうやって時間を作っていますか?

勉強はほとんどやっていません。地震に関心を持ち始めたのは中学生の頃で、とにかく読んでいて面白かったんでしょうね。なんでも頭に入ってきました。そのときのベースが9割です。あとは最新情報を入れていけばいいだけです。

――中学生の頃、何がキッカケで興味を持ち始めたんですか?


中学2年生のときに本屋で見つけた本がキッカケになったという山口さん(撮影:梅谷秀司)

本屋に行ったときに、たまたま棚の上に横倒しで置かれている本があったんです。なんとなく手に取って、それが理科年表という、本当に気象資料の数字しか載っていない本なのですが、それを見て衝撃を受けました。

当時中学2年生で、自分の人生を考えたときに頭の中に残っているのは、せいぜい5年か10年くらいです。そのもっと前、1400年くらい前から地震の記録が残っているんですね。楽しくて楽しくて、学校から帰ったらずっとそればっかり読んでいました。

――本当に数字ばっかりの本ですね……。これがほぼ頭に入っているとはすごい。地震が発生するメカニズムとか、そういう知識とは違いますね。

多くの解説員の方は、どちらかというと予測ですよね。これから雨が降るのかを、雲を見て、空を見て考えるのが好きっていうような方が多いです。私は、気象現象の結果何が起きたのか、どういう被害が出たとか、どういうふうな影響が出たとか、そちらに興味があるんです。

大学は法学部、最初の就職は製薬会社

――中学生のときに興味を持って、それを仕事にするつもりで進学、就職をしてきたのでしょうか。

気象系の大学も目指しましたが理系科目が苦手だったので、次に関心を持っていた法学部に行きました。1995年に就職した会社は薬品会社で、これも気象とはまったく関係ありません。気象予報士の試験が1994年に始まり、その辺から勉強を始めました。1996年3月に合格して、そのときに「準備ができたら気象会社に行こう」と、初めて決断しました。

――それで、転職活動を始めたんですね。

でも、合格後、半年以上は何も活動しませんでした。薬品会社の仕事が嫌いではなかったので。たまたまその年、1996年の秋に転勤の打診があって「今だ」って思いました。急にやめると言い出したので、上司もびっくりしていました。

会社をやめて転職活動を始めたのですが、どんな気象会社があるかまったく知らなくて、本に書かれていたリストの上から順に電話をかけていきました。1社目には冷たく断られ、2社目がウェザーニューズでした。「いい人がいたら取ってますんで」と言ってくれたので、履歴書を送ったりして、1997年1月20日に決まりました。

「ひまわりの受信機」を個人で買っていた

――面接では、地震に詳しいことをアピールしたんですか?

そういう話はしなかったと思います。ただ、ひまわりの受信機を買った話はしました。200万円したんです。買ったのは1996年7月で、社会人2年目ですから、買った瞬間、一文無しになりました。

アンテナは直径1メートルくらいあって、屋根の上に取り付けるのに工事の人がきました。受信表示装置はデスクトップでブラウン管モニターのパソコンです。インターネットで見られるひまわりと同じような物です。今思うと何ともない性能ですけど、当時はすごく楽しませてもらいました。1年で壊れましたけど。


ひまわりの受信機を200万円で購入してしまうほど、気象データが好きだと言う山口さん(撮影:梅谷秀司)

――どうして、ひまわりの受信機を買おうと思ったんですか?

気象のデータが好きなんです。ひまわりもある意味データです。これを手元に置く方法はないかなと思っていたときに、たまたま広告を見つけたんです。まず資料を取り寄せて、かなり高いことがわかりました。それから頑張ってお金をためて。発注した後は、もうすごかったですよ。

メーカーの人にとってみれば、個人でこんなものを買う人がいること自体、ありえないんですよね。営業の人が接待してくれて。「個人で買ったのはあなたが2人目です」と言われました。

――そんな巨大な物を家に設置するなんて、家族に反対されませんでしたか?

気象や地震に関しては、こいつは異質だということを親は知っていたので理解してくれました。10年間、毎日気象観測をやっていましたから。雨量を測るバケツを外に置いて、雨が降ると夜中でもくみに行って何ミリ降ったとか記録する。気温計を外に置いといて、自動記録なんてできないので、寒い中それを読み取りに行く。あとは雪が降ったら積雪量を測るとか。

――数字というか、データに対して、尋常ではない熱意があるんですね。

家にも資料がいっぱいありますが、読み物はほとんどなくてデータばかりです。地震、台風、大雪などのニュース映像も残しています。30年分ぐらいあります。高校のときからそんなことをやってるんですよ。新聞は、1987年ぐらいから残っています。全部、いつか役に立つと思ってやっていたんです。ひまわりもそうです。ある意味、役に立ってよかったです。

仕事は楽しいし、ありがたい

――その集めたコレクションというか資料は、いま、どう役立っていますか?


熊本地震では1度目の震度7の揺れあとも、強い地震への警戒を呼びかけていた(画像提供:ウェザーニューズ〔2016年4月15日深夜の放送より)

当時の報道を見ると、本やデータでは出てこない、もっと細かいところがわかります。当時の報道の仕方は、当時の社会の関心の持ち方そのものなんですよ。

阪神・淡路大震災のときだったら「南海トラフ地震の前兆か」とか、「高速道路が倒れたけど、ほかでは大丈夫なのか」とか報道されています。「復旧までどれくらいかかった」という情報も参考になります。当然、毎回同じになるわけではないですが、過去はこうでしたと話せます。

――特技を存分に生かせていますよね。やはり、仕事は楽しいですか?

楽しいです。楽しいとともに、ありがたいと思っています。いつも事あるごとに言うんですけど、この会社に入っていなかったら、ただの変わった人じゃないですか。本当に思うんですよ。あのとき、たまたまかけた1本の電話でウェザーニューズとの縁ができた。このことをすごくありがたいと思っています。

ウェザーニュースの2011年3月11日の放送は、今でもYouTubeで見ることができる。山口さんはその日、これから来る津波がどれだけ尋常ではないかを必死に説明していた。同規模の津波が来た例はそう多くなく、一例として1933(昭和8)年の昭和三陸津波を挙げていた。昭和8年が例に挙がるとなれば、多くの人の「いままで大丈夫だった経験」は役に立たないと直感的に理解できるだろう。災害が多いこの国で暮らす人間にとって、頼りになる存在だと感じた。