熟年離婚から再婚に至った63歳「母」の現在とは?(イラスト:堀江篤史)

35歳以上で結婚した「晩婚さん」を月2件ペースで訪ね歩いている本連載。始まったのは2014年の夏なので、すでに5年以上も続けていることになる。夫婦で登場してくれた人たちを含めると160人以上の晩婚さんと語り合ってきた。

「私の結婚ストーリーなんて平凡で……」と謙遜する人もいるが、必ず味わい深いドラマがあり、興味が尽きることはない。

多種多様な晩婚ケースを収集してきた自負はある。しかし、親子ともに晩婚で、娘の後に母親が結婚したという事例は初めて遭遇した。母親のほうは再婚である。

長年の不満と疲労が原因で熟年離婚に至った

今回登場してもらうのは、昨年末の掲載記事に登場してくれた上村由里さん(仮名、38歳)のお母さんだ。


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由里さんが社内の組合を通じて「組合婚」を果たしたのが2018年の初め。その後、母親の野粼澄江さん(仮名、63歳)が結婚相談所に入会し、3カ月後に現在の夫である学さん(仮名、68歳)と出会って結婚を決めた。現在、母娘2組の新婚カップルで旅行を楽しんだりしている。

東京駅の八重洲口方面にある喫茶店で待っていると、由里さんに付き添われて澄江さんが来てくれた。笑顔が自然かつ魅力的で、ボブカットもはつらつとした印象を受ける。こちらに気遣いをしてくれつつも、自分の意見をはっきりとたくさん言う女性である。長女の由里さんと外見も性格も似ているようだ。

澄江さんは23歳のときに前夫の正晴さん(仮名、65歳)と結ばれ、翌年に由里さんを産み、30年以上も結婚生活を続けた。由里さんの下には長男と次女もいる。いわゆる熟年離婚に至ったのは、長年の不満と疲労が原因らしい。

「前の主人(正晴さん)は自分勝手な人で、由里が生まれるタイミングで会社を辞めて独立し、飲食関連の仕事を始めました。私は子育てをしながら働くのが当然だと思われていて、従業員さんたちの食事のお世話もしながら徹夜をした時期もあります。

3人の子どもを産む前はつねに貧血でした。でも、注文の電話が毎日100本以上も鳴るので取らなければなりません。妊娠しているのに休む暇がないんです。体力的な限界を超えていましたが、負けず嫌いなので働き続けてしまいました」

正晴さんは澄江さん以上に激しい性格で弁もたつ男性のようだ。自分の思いどおりに物事を進めないと気が済まない。何か意見されると3倍返しで反論をする。由里さんが中学校2年生のとき、急に「田舎暮らしをする。子どもたちも自然の中で育ったほうがいい」と宣言。家族の意見は一切聞かずに縁もゆかりのない関東地方の僻地へ移住を決行。そのせいで由里さんは進学する高校を選ぶことができなかった。

「いわゆるモラハラ夫で、結婚して何年経っても勝手なところはまったく直りませんでした。私が働きすぎで体を壊したこともわからない人なのです。次女が高校に上がった頃、老後を2人で暮らすのは無理だと思って家を出ました」

今から10年前の出来事だ。しばらくは由里さんとの仲良し姉妹のような2人暮らしを満喫していたが、由里さんを「お嫁に出した」後は気が抜けてしまい、体調を悪化させてしまった。長年の疲れが出たのかもしれない。

「娘の記事で『あなたがお嫁にいかないと私が再婚できない」と私が言ったとありましたが、それは冗談ですよ。由里を嫁に出してホッとしましたが、私は60歳を過ぎて再婚する気なんてありませんでした。でも、体がなかなか治らずに不安になったんです。同僚から結婚相談所を紹介してもらい、やるだけやってみることにしました」

体調が治らず不安になり、再婚にむけ結婚相談所へ

その結婚相談所は40代女性が1人で運営しており、幸運なことに澄江さんと意気投合。見た目に関して具体的な指導を受けても素直に聞くことができた。

「提携の美容室で髪を切ってもらい、貸していただいた服を着て、プロフィール写真を撮りました。持ち上げてもらうと女は輝いちゃうんですね(笑)。

自分が好きな服と自分に似合う服は違うことも知りました。選んでもらったブラウスはビビッドなデザインで気が引けたのですが、周囲は『とても似合う』と言ってくれて、それを着て撮った写真を主人(学さん)も気に入ってお見合いを申し込んでくれたそうです。8万円ほどの費用は私には安くありませんでした。でも、プロにお願いしてよかったと思います」

お見合いに関しては、カウンセラーは「場数を踏むことが大事なので、あまり考えすぎずに直感で申し込んで」と軽いアドバイス。ただし、60代の澄江さんにはいくつか条件があった。

「後妻としてのトラブルは避けたいので、子どもがいない人を望みました。私には子どもがいるのでずうずうしいのですが……。お金も大事です。年金で困らずに生活していける人を希望しました」

実際にお見合いを始めてみると、初対面の人と2時間会話するだけでも精神的にヘトヘトになることに気づいた。若い人のように1日のうちに3人とお見合いし、100人以上と会ってから決める、なんて自分にはできない。

「100人会っても完璧な人などは見つからないでしょう。基本的な条件が合う人と10人までお見合いして、フィーリングが合えば結婚しようと思いました」

学さんと出会う前に、素敵な男性と2人も知り合うことができ、親しくなりかけたと澄江さんは振り返る。結婚相談所のカウンセラーの指導に従ってプロフィールと自分を磨き上げた成果だろう。

「1人は私より2歳年上のハンサムな男性でした。服装もとてもオシャレで、私のことを気に入って申し込んでくれたのです。会う約束をすると、30分も前から席に座って私が来るのを待っていてくれる方でした」

しかし、結果的に澄江さんは彼を「お断り」する。澄江さんの前にしばらくお付き合いした女性が別れた前妻に似ていた話などをされて、「この人は愛情が深すぎて私には重すぎる」と感じたからだ。

もう1人は、2歳年下の職人さん。会うたびに会話が弾み、このまま先に進もうかと澄江さんは考えていた。しかし、彼は先輩からの誘いを断れず、その飲み会を優先してしまうことが続いた。先輩が好きなホステスが店を辞めるので送別会、といった内容だ。だからといって彼を嫌いになったわけではないが、「気が短い」澄江さんはほかの候補に目を向け始める。その人こそが8番目にお見合いをした学さんだ。

夫婦が最終的に結婚生活に求めるものとは

学さんはどんな人なのですか、と問いかけても澄江さんは褒めることはしない。むしろ、「ちょっと上から目線」「片付けができない」「やたらに元気で出かけるのが好きすぎるので私はゴロゴロできない」などの批判的な言葉が並ぶ。すでに身内なので、妻として謙遜をしているのだろうか。再婚してよかった、とは感じているんですよね?

「もちろん! 将来の不安がなくなりました。毎日一緒にいるのでどちらかが倒れたときも大丈夫でしょう。金銭的にも年金だけで普通のサラリーマンぐらいの収入があります」

学さんは不動産も少し持っているので、その収入が入ると5000円ぐらいの贅沢なランチを2人で楽しんでいる。高校を出てから40年以上、ずっと働いてきた澄江さんだが、今は2人分の家事をすればいいだけ。好きな庭いじりを存分にやることもできている。

「主人は母親が亡くなってから入院したこともあり、5年間ぐらい婚活していたそうです。自分の世話をしてくれる人を探していたのでしょう。でも、とても元気な人なので私のほうが先に倒れるかもしれません。『そのときはあなたに私の世話をしてもらうよ』と言っています。主人は『それだけはやめてくれ!』と叫んでいます」

かつては古風な仕事人間だったという学さんも、定年後は穏やかで丸い人柄になったようだ。澄江さんと由里さんに言わせると「諦めの境地」だ。

「彼は素朴な人なので、私がズケズケ言っても『はーい』と返事をしてくれます。部屋の片付けをしたら?と言うと、『はーい。考えとく』です(笑)」

やたらに元気なところは前夫の正晴さんと共通している。自分はそういう男性に心ひかれる傾向があるのかもしれない、と澄江さんは苦笑する。ただし、大きな違いがある。学さんは聞く耳を持っていることだ。

こちらの意見をすべて取り入れる必要はない。聞き流してくれてもいい。でも、「3倍返しの反論」などはせず、とりあえずウンウンと聞いてほしいのだ。夫婦が最終的に結婚生活に求めるものは、安心と「しゃべり相手」なのかもしれない。