「若者の中国離れ」が明らかに…台湾の総統選挙を現代史から読み解く エリートと庶民、北と南…様々な対立

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民進党の現職・蔡英文氏が勝利した台湾の総統選挙。その結果からは、台湾の「今」が透けて見えるという。『台湾物語 「麗しの島」の過去・現在・未来』の著者で、明治大学教授の新井一二三氏が解説する。

民進党と国民党の対立

1月11日に投開票が行われた台湾の総統選挙は大方の予想通り、現職・蔡英文(民主進歩党、以下民進党)の勝利で幕を下ろした。

予想を越えたのは、彼女が率いる民進党もまた、立法院(国会に相当)で単独過半数を獲得したことだろう。それは同時に、過去75年間、台湾政界を牛耳ってきた中国国民党(以下国民党)の衰退を印象付ける選挙結果ともなった。本稿は、この結果を、ここ20年を中心に台湾の歴史を振り返りながら考えてみたい。

蔡英文氏〔PHOTO〕Gettyimages

過去20年の台湾政局をふりかえると、李登輝(国民党)が総統をつとめた1990年代の民主化をへて、2000年に初めての民進党政権(陳水扁総統)が成立して以降、民進党(2000−2008)、国民党(2008−2016)、民進党(2016−2024)と二大政党による2期8年ごとの政権交代が定着したように見える。

しかし、台湾の二大政党制はアメリカやイギリスのように、イデオロギーや出身階層による対立がもたらしたものではない。常に新しい世代が補充されて続いていく形の二大政党制とは異なるのだ。なぜならば、国民党と民進党の対立は、出自と言語の異なる二つのエスニックグループから生じているためだ。

民進党は蔡英文総統も陳水扁前総統も、頼清徳次期副総統も、日本統治期(1895-1945)以前から台湾に住み、母語として台湾語を話す、いわゆる台湾本省人家庭の出身である。それに対し国民党は、第二次大戦後、中国共産党との内戦に敗れた挙句、やむなく台湾海峡を渡った外省人(中国大陸出身者)の政党である。

旧ソ連の支持を受けて、マルクス主義のイデオロギーで政権を獲得した共産党とも、亜熱帯/熱帯の島台湾に根を張る民進党とも異なり、中国伝統文明の継承者であることが、かつては国民党政権の正統性の証であった。もともと北京・紫禁城にあった宝物の数々を幅200kmの海峡を隔てて運搬し、台北郊外に建設した故宮博物院に陳列している事実からだけでも、それは十分に明らかであろう。

そして、蒋介石・経国親子が、人類史上最長の38年におよぶ戒厳令を敷き、台湾住民の人権をないがしろにする独裁政権を運営しながらも、国際的にある程度の地位を保持することができたのも、中国文明の継承者という役割を演じていたからこそである。特に日中戦争中、アメリカ議会に乗り込んで英語による演説を行い、中華民国への支持を呼びかけたマダム・チャン・カイシェックこと蒋介石夫人宋美齢が象徴していたのは、高度かつ洗練された中華文明そのものだった。

陳水扁の人気と没落

民主化が進行した20世紀の終わりまで、台湾社会において、国民党系外省人と台湾本省人の違いを最もわかりやすく示していたのは、中華民国の国語である中国語の発音だった。南部台南出身の陳水扁が2000年に総統の座についたとき、「台湾の子」と呼ばれてもてはやされた要因のひとつは、国立台湾大学出身の弁護士として社会的エリート層に属する陳が、台湾語と台湾南部なまり丸出しの中国語を話したことであった

水扁という名前すらも、正統的中華文明の側から見れば、教育程度の高くない役場の職員が間違って記した結果に他ならなかったが、庶民性という意味では、多数派である台湾本省人たちに、この上なく親近感を覚えさせたのである。

陳水扁氏〔PHOTO〕Gettyimages

残念ながら、陳水扁は当選時のスターのごとき人気と、その後8年間の政権担当期間における幻滅の差が非常に大きかった。在任中から妻や娘婿の金銭疑惑が報じられ、退任を求める100万人集会も、政敵の国民党によってではなく、同じ民進党の元主席によって呼びかけられた。そして2008年の選挙で敗れ、総統の職を辞すると同時に、機密費流用とマネーロンダリングの疑いで逮捕されるに至ったのである。

馬英九政権とひまわり学生運動

2000年代は中国経済が飛躍した時期にあたっていたが、独立志向の民進党治下にあった台湾は、その利益を享受し損ねて経済が低迷したと感じる人は少なくなかった。

2008年にすっかり人気のなくなった陳水扁から国民党のサラブレッドことハーバード大学法律学博士の馬英九へと政権が移ったのは、当時にしてみれば、ごく自然な流れだった。しかし、総統職についた馬英九が、中国と台湾の間に史上初めての直行便を就航させて、中国人観光客を多数台湾に招き入れるなどの政策を取り始めると、台湾社会には、このまま中国に取り込まれてしまうのではないかという危機感が広がったのである。

馬英九氏〔PHOTO〕Gettyimages

2014年3月、中国企業に対し、台湾のサービス業界への参入を認める法案を馬英九政権がゴリ押ししようとしたことから、ひまわり学生運動と呼ばれる大規模な反対運動が起きた。学生たちは3週間以上にわたって立法院議事場を占拠し、結果的に法案を取り下げさせた。

同じ年の秋に香港で雨傘学生運動と呼ばれる座り込み運動が起きたことは偶然の一致ではない。1997年にイギリスから中国に返還されたのち、一国二制度が半世紀間維持されるはずだったにもかかわらず、次第次第に影響力を強める中国共産党政権に対する若い香港人たちの反発は、馬英九政権下、急激に中国への傾斜を強めていった台湾で若い世代が感じた危機感と、この年、共振し始めたのである。

馬英九は1949年の中華人民共和国成立を受け、中国から台湾へ向かった両親の下、1950年に香港で生まれた。「英九」という名前の由来は「英領香港の九龍で生まれた」ためという説もある。ちなみに、台湾へと避難した外省人たちが、子どもの名前にその歴史を刻印した例には、他に有名作家の龍応台や、2020年の総統選に国民党代表として出馬を図ったホンハイ実業の創業者郭台銘がいる。

台湾人意識の覚醒

第二次大戦の終結から75年を経る現在、台湾本省人、外省人といった区別はもう大きな意味を持たないという人もいる。実際、通婚が進んでいるために、純粋な台湾本省人や外省人などほぼいないという言い方もできるだろう。

しかし、2020年の総統選に当たり、国民党候補として手をあげたのは全員が外省人家庭の出身者だったし、民進党側は全て台湾本省人だった。そして両者間の最も本質的な隔たりは、自分を含めた台湾人を中国人の一部だと感じるかどうかにある。

台湾本省人は半世紀に及んだ日本統治の間、日本語による教育を受けて徐々に日本人としてのアイデンティティを獲得し、太平洋戦争中には日本軍の一員として戦地に赴いた人も20万に上った。ところが、日本によるポツダム宣言の受諾は、日清戦争以降に得た領土を放棄する条項をカイロ宣言より引き継いだため、1945年8月を境にして、台湾人は中華民国の国民となった。そして、1949年から38年間に及んだ戒厳令下では、中国人としての意識を植え付ける教育が徹底されたのである。

自らを「台湾人」と考える意識の覚醒あるいは誕生は、1990年代の民主化以降の出来事である。民主化と同時に進行したので、台湾人意識の重要な内容として、民主と自由が含まれることとなった。そして、その後20年あまり、台湾人意識は徐々に深化していったのである。

一方、中国に対しては、別の国であると感じる度合いが高まっていった。そもそも国民党による戒厳令時代にも、共産党政権の中国に対しては「共匪」と呼んで敵意を醸成する教育を行なったのだ。親が中国出身の外省人で、民進党的な台湾人意識に強い違和感を示す人であっても、故郷の山河や中国5000年の歴史に対してはともかく、共産党政権に親近感を覚える台湾人は、滅多にいなかったのが実情である。ごく最近までは。

中国寄りになるメディアと政権

それが変化したのは、一つには中国寄り資本が台湾のメディアを集中的に買収した結果である。馬英九政権時代に、国民党寄りで有名だった日刊紙中国時報が、中国で煎餅工場を大々的に展開する企業に購入された件を皮切りに、テレビ局や雑誌も、一つ一つ買収されていった。

町の食堂などで流されているテレビ番組は、ことごとく中国寄りの発言を流すものとなり、地方に住む年配の視聴者らの考えに大きく影響を与えたのである。

フェイクニュースという言葉は、アメリカでトランプ政権が成立した前後に急速に広まったが、台湾でも時を同じくして事実とは異なる内容が、ニュースとして報道されるようになった。SNSなどネット上で流れる情報については、言うまでもない。

〔PHOTO〕iStock

だが同時に、台湾の選挙で中国寄りの候補者が選ばれるようになったのは、フェイクニュースだけが原因ではない。台湾出身の芸能人が中華民国の国旗をテレビ番組で振っただけで公開謝罪に追い込まれたり、はっきり中国に批判的と取られる発言をした俳優に至っては中国メディアだけでなく、香港や台湾でも仕事を干されている。中国寄りのデモや集会に参加して日当を受け取る庶民がいると同時に、中国の大学に客員で招かれて多額の報酬を支払われる大学教授もいる。

退任間近だった馬英九が、中国の習近平国家主席とシンガポールで会見した際、明かに習近平より一角落ちの立場を嬉々として受け入れた映像が雄弁に物語っていたのは、台湾海峡をはさんで国民党政権と共産党政権が対峙した時代は終わり、国民党は台湾における中国共産党の代理人として生きることを選んだという事実だった。

北部VS南部、エリートVS庶民

しかし、だからと言って、2016年に蔡英文のリーダーシップの下、再び政権に返り咲いた民進党が有権者の支持を一身に集めたわけでもない。陳水扁時代ほどではないにせよ、野党から与党に立場が変わると、以前自分たちが批判していた相手と似たような振る舞いを始め、人間性の弱点を露呈するようなドラマは多少なりとも見られたと言わざるを得ない。

また、蔡英文政権は戒厳令時代に国民党が国家財産を党有財産として蓄えた不動産を凍結したり、国民党系軍人、公務員、教員に対してはっきり有利に作られていた年金制度を改革するなどしたから、既得権を奪われた層からは抗議を受けたり、憎まれたりした。

やや複雑なのは、同性婚の合法化など、台北を中心とするリベラル層の支持を受け、国際的にも評価の高い政治的決断は、中南部の庶民層に著しい疎外感をもたらしたという点だ。2018年11月の統一地方選で、それまで台北にいて、大した政治的実績も持たなかった韓国瑜が突如南部の大都市・高雄に国民党の落下傘候補として舞い降り、驚くべき人気を醸して市長に当選した件には、地元台湾でも多くの人々が驚愕を隠せなかった。

なぜなら高雄は台湾では知らぬもののない民進党の地盤だったのだ。しかし高雄市長として市民に愛されていた陳菊が蔡英文政権の幕僚として台北に向かってからのわずか3年足らずの間に、高雄の有権者は他所から来た外省人二世の国民党候補を熱狂的に迎えたのだ。

あれは一体なぜだったのか。国民党VS民進党という構造には、外省人VS本省人に加えて、北部VS南部、エリートVS庶民といった対立も内包されていたということだろう。

〔PHOTO〕iStock

かつて南部出身の民進党政治家は、「台湾の子」陳水扁のような泥くささを持っていた。しかし、蔡英文が率いる現民進党政権は、本人が台湾大学学士、米コーネル大学修士、ロンドン大学博士と超高学歴であるのをはじめとして、ほとんどが留学し博士号を獲得している。

2018年の高雄市長選挙で韓国瑜に敗れた民進党候補は、台湾大学出身の医師で、父も民進党立法委員を務めた二世だった。その上品そうな物腰は北部のエリート層には魅力的に映っても、南部の庶民には、かつて国民党を代表していたハーバード大学法学博士の馬英九と同様、鼻持ちならないと感じられたのだろう。

世代交代で変わる台湾

それから一年あまり。統一地方選で大敗北を喫した民進党が再度選挙民の支持を得ることができたのは、香港で続く中国への抗議デモが一番の要因であるのは衆目の一致するところだ。

韓国瑜は市長に就任後、時を経ずして総統選に出馬、当初庶民性として支持されていた部分は、時間が経つにつれ、粗野、野卑な性格と解釈されるようになった。また、市長就任後すぐに香港で中国代表部を訪れたことも、中華民国総統ではなく、中華人民共和国の台湾特別行政府長官の地位を狙っているのではないかと受け止められた。

今回の総統選は本質的に世代間対立という構造を呈した。中国文明への漠然とした郷愁やリベラルな価値観への反発、「寄らば大樹の陰」的処世術として国民党に票を投じた年配者に対し、若い世代の有権者たちは、香港の現状を深刻に受け止め、民主と自由を重視する明確な選択を示した。75%という高い投票率、そして民進党候補として出馬した面々の驚くべき若さがその証明だ。

選挙結果は、民進党の勝利と同時に、国民党の敗北を告げるものであり、世代交代で政治的パラダイムが変わったことを示している。台湾海峡をめぐる政治的対立は、共産党VS国民党、国民党VS民進党の時代を経て、民進党=台湾VS中国へと枠組みを変え、新たな対立局面へと足を踏み入れたところだと言えるだろう。

※本稿でとりあげた台湾の現代史、国民党と民進党、外省人と本省人、北と南、エリートと庶民といった違いの歴史や、エドワード・ヤンや候孝賢らの映画など台湾文化の背景について知りたい方は、2019年出版の拙著『台湾物語』をぜひお読みください。