「淀川寛平マラソン2020」をPRする間寛平

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 新年を迎え、2020年を特別な年とする芸能人も多いだろう。タレント、間寛平さん(70)もその一人。今年は芸能生活50周年のメモリアルイヤーだ。 

 昨年7月に古希を迎えた寛平さん。その際、取材したときには、1970年10月に吉本新喜劇入団から語り始めると、知人の借金の保証人やアメマバッジによる借金苦、阪神大震災で自宅が全壊、アースマラソン、前立腺がんを発症…。最近では木登り中に落下し、左鎖骨や肋骨(ろっこつ)9本を骨折するなど、いくら時間があっても足らないほど、ネタが尽きなかった。

 「あっという間というより、長かったな〜。みんなに助けてもらった。ホンマに助けてもらってるわ〜。先輩、後輩、全部に助けてもらってるわ〜。まだこれからも助けてもらうけどね」と50年を振り返る。ドラマチックすぎる人生の節目の度に人に助けられてきたからなのか、常に周囲の人への感謝を忘れない。

 だからこそ、アースマラソンのゴール時に大勢の芸人仲間が見届けたことが証明するように寛平さんには人が集まる。私も取材をさせていただいて、寛平さんはとにかく優しい。損得で人を選ばない。私のような記者でも裏表なく接していただき、食事にも誘ってくれる。そして、その食事会には、近所のパン屋のご夫妻、寛平さんの母の老人ホームの職員、ショップ店員らの一般人ばかり。大御所なのにすべての人に平等に接してくれる。

 寛平の人柄の良さを改めて、感じたのが昨年5月、吉本新喜劇で看板座長だった木村進さんが亡くなったときである。寛平にとって名コンビとしてファンを沸かせた盟友である。しかし、1988年、脳出血で倒れ、一命を一命取り留めたものの、左半身に重い障害が残り、38歳の若さで新喜劇を退団した。

 ここからは私の想像ではあるが、木村さんが座長時代、人気者扱いされ、周りに人が集まってきたが、新喜劇を退団した瞬間に周りに群がっていた人が一気に去っていったと勝手ながら推測する。しかし、寛平さんには肩書や権力など関係ない。木村さんと親交を続け、晩年まで見舞いに通い続けた。正月にはお年玉を持っていき、足りないものがあれば届けた。この献身的な姿に遺族も「感謝しかない」と涙していた。

 寛平は通夜で「僕がこうして長いことやれているのは進ちゃんのおかげ。僕がわけわからないギャグばかりやっていたところをうまいことツッコんでくれて、目立つようにやってくれた」と感謝しきりだった。

 芸人にも誰でも平等に接するから、その芸人がブレークすると、「昔、お世話になったから」といざとなったときに助けてくれる。(寛平さんにはそのような算段はないが…)そして、敵を作らない。寛平さんの人生はそのようなことの繰り返しの気がする。

 いくつになっても甘えん坊精神で迎えた50周年。意気込みを聞くと、「まず最初に淀川寛平マラソンきっちりやって、もっともっと盛り上げて、いい年にしたいね」。まず見据えるは来年3月1日に自身がホストを務めるマラソン大会「フジパンPresents淀川寛平マラソン2020」(大阪・淀川河川公園)。スタートダッシュを決め、自分史に残る1年を駆け抜ける。