映画の中の名画 第3回『ブレードランナー(3)』1-1 ブレードランナーとSF映画へのオマージュ
映画の中の名画
【第3回】『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画(3)--『ブレードランナー』とSF映画へのオマージュ
2020.1.6 MON [文]平松洋
映画の中の名画/第3回掲載作品『ブレードランナー』(1982年公開)
プロローグ--映画評論家は分かってくれない!?
名画は、名画を映し出します。「映画」も「絵画」も、ともに「名画」と呼ばれてきました。実は、その映画(=名画)の中で、西洋絵画(=名画)が登場することが意外に多いのです。画家の人生や美術館が舞台となっている映画はもちろんですが、そうでなくても、さりげなく絵画が飾られていたり、絵とそっくりの場面が登場したりします。
名監督になればなるほど、単なる背景美術としてではなく、その映画の意図を伝えるべく、何らかのメッセージを込めて名画を登場させていたのです。しかし、映画評論の多くは、監督や俳優、脚本や映像、ロケーションや音楽については詳しく評論しても、絵画については、あまり語られていませんでした。
そこで、西洋絵画(名画)によって、逆に映画(名画)に光をあて、真の意味を解き明かそうというのが、この企画なのです。もちろん、絵画によって解き明かす過程で、ストーリーや結末を話すことになるので、ネタバレ注意でお願いします。できれば、映画を見てから読んでいただければ、目から鱗となるはずです。
平松洋[美術評論家/フリーキュレーター]
第3回は、第1回、第2回に引き続きSF映画の金字塔『ブレードランナー』をさらに深掘りします。
SF映画の金字塔『ブレードランナー』。舞台は酸性雨が降りしきる廃退した2019年のLA。人間を殺した凶悪なレプリカント(=アンドロイド)を、レプリカント専門の賞金稼ぎ(=ブレードランナー)のデッカードが追うが……。
『ブレードランナー ファイナル・カット』
劇場公開:1982年/主演:ハリソン・フォード(デッカード役)/監督:リドリー・スコット/原案:フィリップ・K・ディック/音楽:ヴァンゲリス/特殊撮影効果:ダグラス・トランブル/ビジュアル・フューチャリスト:シド・ミード
・日本語吹替音声追加収録版ブルーレイ(3枚組)¥5,990+税
・DVD ¥1,429+税
・ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
・TM & ©2017 The Blade Runner Partnership. All Rights Reserved.
“劇中の人造人間は、
レプリカントの存在が
人間のおもちゃにすぎないと、
戯画的に表したもの”
これまで検討してきたように、『ブレードランナー』は西洋絵画へのオマージュによって成り立っていたのです。
第1回:『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画(1)
第2回:『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画(2)--『ブレードランナー』とメランコリアのポーズ
しかし、それだけではありません。この映画には、ある絵画の構図を借用することで、草創期のSF映画へのオマージュも込められていたのです。
それが映画の終盤で、レプリカント(=アンドロイド)を殺すはずの主人公デッカードが、逆に、レプリカントであるロイに追い詰められていくシーンに登場します。ロイはデッカードに始末された仲間のレプリカントのゾーラとプリスの恨みとして、デッカードの指を2本折り、数秒間待ってやると言い、ワン、ツーと数を数えながら、追い詰めていくのです。
そして、なんとタイル張りの壁を頭でぶち破り、壁から顔を覗かせて「早く逃げろ。さもないと殺すぞ」「生きてなきゃ遊べないだろ。遊びたくなけりゃ……」と脅かします。
この場面こそ、映画史に関わるある人物が描いた絵画からとられていたというのが、私の持論なのですが、その説をご紹介する前に、この場面の不思議な点に注目したいと思います。
人間を殺したレプリカント(=アンドロイド)のリーダー的存在のロイ・バティは、レプリカント専門の賞金稼ぎ(=ブレードランナー)の主人公デッカードに追われる/上写真はそのロイが、逆にデッカードを追い詰めるという終盤の緊迫した展開の最中、わざわざ壁を頭でぶち破ってデッカードを脅かしている場面。このショットの真意とは…… " />
人間を殺したレプリカント(=アンドロイド)のリーダー的存在のロイ・バティは、レプリカント専門の賞金稼ぎ(=ブレードランナー)の主人公デッカードに追われる/上写真はそのロイが、逆にデッカードを追い詰めるという終盤の緊迫した展開の最中、わざわざ壁を頭でぶち破ってデッカードを脅かしている場面。このショットの真意とは……
【ロイの不可解な行動を絵画で解く】
というのも、通常壁を破るのは、そこから侵入するためや、相手との戦闘で仕方なく壊すわけです(実際『ブレードランナー2049』では、レプリカント同士の戦いで壁が壊されます)。ところがロイは壁を突き破った頭を引っ込めると、すぐ左側の入り口から堂々と中に入ってきます。
つまり、扉は最初から開いていたわけで、ロイがわざわざ頭で壁をぶち破る必要はありませんでした。これは、逃げる相手を徐々に追い詰めて殺す「お遊び」のためで、獲物を震え上がらせ、自分から逃げるように仕向けていたということです。
しかし、壁を頭でぶち抜いた後、その首をひっこめて横の扉から入り直すという行為は、あまりに説明的で滑稽だとは思いませんか。まるでコメディアンがドアが開いているにもかかわらず、わざと壁にぶつかって笑いを取るのと似ています。
そういえば、この映画には同じようなシーンが登場しなかったでしょうか。それが、劇中で遺伝設計技術者のセバスチャンが作った人造人間の「おもちゃ」が、プリスを出迎えたときに壁にわざとぶつかって笑いを取るシーンです。
左から、遺伝設計技術者のセバスチャン、レプリカントのプリス、セバスチャンが造った人造人間のおもちゃ " />
左から、遺伝設計技術者のセバスチャン、レプリカントのプリス、セバスチャンが造った人造人間のおもちゃ
このセバスチャンによって生み出された「おもちゃ」こそ、かつて宮廷に仕えた小人の道化師を模したものでしょう。西洋美術においては、ベラスケスが描いた『道化師エル・プリモ』が有名です[*1]。
[1]
ディエゴ・ベラスケス『道化師エル・プリモ』
1644年/キャンヴァスに油彩/プラド美術館
かつてはセバスティアン・デ・モーラだと考えられてきたが、現在では「従弟」という名の道化師エル・プリモだとされている
ちなみにこの絵画は、近年まで別の道化師セバスティアン・デ・モーラの肖像だと考えられてきました(現在でも一部には、この間違った名称が流通しています)。当然、『ブレードランナー』の制作時は、この絵は「セバスティアン」として知られていて、もしかしたら遺伝設計技術者「セバスチャン」の名前はここから取られたのかもしれません。
さらにこの絵は、後にゴヤによって版画化もされ有名になっていきますが、ゴヤの版画とよく比較される版画家にジャック・カロがいます。彼もこうした小人の道化師を描いていて、映画に登場する小人の道化のコミカルな要素は、カロの版画に近いといえるかもしれません[*2]。
[2]
ジャック・カロ『あしなえのギター奏者』(『小さな道化たち』より)
1621〜25年頃/エッチング
いずれにしても、小人の道化として作られた人間もどきこそ、レプリカントの同類にほかならず、自分たちの存在が人間の「おもちゃ」にすぎないことを戯画的に表したものでした。特に、性的な愛玩用に作られたプリスは、まさに人間たちにもてあそばれる悲しき玩具だったのです。
そんなプリスだからこそ、自分と同じ人造人間の小人の道化たちと接触すると、すぐにも、その本性を現し、みずからも道化師となって、人形のふりをしてデッカードを待ち構えるのでした。
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映画の中の名画
第1回:『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画(1)
第2回:『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画(2)--『ブレードランナー』とメランコリアのポーズ
【第3回】『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画(3)--『ブレードランナー』とSF映画へのオマージュ
2020.1.6 MON [文]平松洋
映画の中の名画/第3回掲載作品『ブレードランナー』(1982年公開)
プロローグ--映画評論家は分かってくれない!?
名画は、名画を映し出します。「映画」も「絵画」も、ともに「名画」と呼ばれてきました。実は、その映画(=名画)の中で、西洋絵画(=名画)が登場することが意外に多いのです。画家の人生や美術館が舞台となっている映画はもちろんですが、そうでなくても、さりげなく絵画が飾られていたり、絵とそっくりの場面が登場したりします。
そこで、西洋絵画(名画)によって、逆に映画(名画)に光をあて、真の意味を解き明かそうというのが、この企画なのです。もちろん、絵画によって解き明かす過程で、ストーリーや結末を話すことになるので、ネタバレ注意でお願いします。できれば、映画を見てから読んでいただければ、目から鱗となるはずです。
平松洋[美術評論家/フリーキュレーター]
第3回は、第1回、第2回に引き続きSF映画の金字塔『ブレードランナー』をさらに深掘りします。
SF映画の金字塔『ブレードランナー』。舞台は酸性雨が降りしきる廃退した2019年のLA。人間を殺した凶悪なレプリカント(=アンドロイド)を、レプリカント専門の賞金稼ぎ(=ブレードランナー)のデッカードが追うが……。
『ブレードランナー ファイナル・カット』
劇場公開:1982年/主演:ハリソン・フォード(デッカード役)/監督:リドリー・スコット/原案:フィリップ・K・ディック/音楽:ヴァンゲリス/特殊撮影効果:ダグラス・トランブル/ビジュアル・フューチャリスト:シド・ミード
・日本語吹替音声追加収録版ブルーレイ(3枚組)¥5,990+税
・DVD ¥1,429+税
・ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
・TM & ©2017 The Blade Runner Partnership. All Rights Reserved.
“劇中の人造人間は、
レプリカントの存在が
人間のおもちゃにすぎないと、
戯画的に表したもの”
これまで検討してきたように、『ブレードランナー』は西洋絵画へのオマージュによって成り立っていたのです。
第1回:『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画(1)
第2回:『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画(2)--『ブレードランナー』とメランコリアのポーズ
しかし、それだけではありません。この映画には、ある絵画の構図を借用することで、草創期のSF映画へのオマージュも込められていたのです。
それが映画の終盤で、レプリカント(=アンドロイド)を殺すはずの主人公デッカードが、逆に、レプリカントであるロイに追い詰められていくシーンに登場します。ロイはデッカードに始末された仲間のレプリカントのゾーラとプリスの恨みとして、デッカードの指を2本折り、数秒間待ってやると言い、ワン、ツーと数を数えながら、追い詰めていくのです。
そして、なんとタイル張りの壁を頭でぶち破り、壁から顔を覗かせて「早く逃げろ。さもないと殺すぞ」「生きてなきゃ遊べないだろ。遊びたくなけりゃ……」と脅かします。
この場面こそ、映画史に関わるある人物が描いた絵画からとられていたというのが、私の持論なのですが、その説をご紹介する前に、この場面の不思議な点に注目したいと思います。
人間を殺したレプリカント(=アンドロイド)のリーダー的存在のロイ・バティは、レプリカント専門の賞金稼ぎ(=ブレードランナー)の主人公デッカードに追われる/上写真はそのロイが、逆にデッカードを追い詰めるという終盤の緊迫した展開の最中、わざわざ壁を頭でぶち破ってデッカードを脅かしている場面。このショットの真意とは…… " />
人間を殺したレプリカント(=アンドロイド)のリーダー的存在のロイ・バティは、レプリカント専門の賞金稼ぎ(=ブレードランナー)の主人公デッカードに追われる/上写真はそのロイが、逆にデッカードを追い詰めるという終盤の緊迫した展開の最中、わざわざ壁を頭でぶち破ってデッカードを脅かしている場面。このショットの真意とは……
【ロイの不可解な行動を絵画で解く】
というのも、通常壁を破るのは、そこから侵入するためや、相手との戦闘で仕方なく壊すわけです(実際『ブレードランナー2049』では、レプリカント同士の戦いで壁が壊されます)。ところがロイは壁を突き破った頭を引っ込めると、すぐ左側の入り口から堂々と中に入ってきます。
つまり、扉は最初から開いていたわけで、ロイがわざわざ頭で壁をぶち破る必要はありませんでした。これは、逃げる相手を徐々に追い詰めて殺す「お遊び」のためで、獲物を震え上がらせ、自分から逃げるように仕向けていたということです。
しかし、壁を頭でぶち抜いた後、その首をひっこめて横の扉から入り直すという行為は、あまりに説明的で滑稽だとは思いませんか。まるでコメディアンがドアが開いているにもかかわらず、わざと壁にぶつかって笑いを取るのと似ています。
そういえば、この映画には同じようなシーンが登場しなかったでしょうか。それが、劇中で遺伝設計技術者のセバスチャンが作った人造人間の「おもちゃ」が、プリスを出迎えたときに壁にわざとぶつかって笑いを取るシーンです。
左から、遺伝設計技術者のセバスチャン、レプリカントのプリス、セバスチャンが造った人造人間のおもちゃ " />
左から、遺伝設計技術者のセバスチャン、レプリカントのプリス、セバスチャンが造った人造人間のおもちゃ
このセバスチャンによって生み出された「おもちゃ」こそ、かつて宮廷に仕えた小人の道化師を模したものでしょう。西洋美術においては、ベラスケスが描いた『道化師エル・プリモ』が有名です[*1]。
[1]
ディエゴ・ベラスケス『道化師エル・プリモ』
1644年/キャンヴァスに油彩/プラド美術館
かつてはセバスティアン・デ・モーラだと考えられてきたが、現在では「従弟」という名の道化師エル・プリモだとされている
ちなみにこの絵画は、近年まで別の道化師セバスティアン・デ・モーラの肖像だと考えられてきました(現在でも一部には、この間違った名称が流通しています)。当然、『ブレードランナー』の制作時は、この絵は「セバスティアン」として知られていて、もしかしたら遺伝設計技術者「セバスチャン」の名前はここから取られたのかもしれません。
さらにこの絵は、後にゴヤによって版画化もされ有名になっていきますが、ゴヤの版画とよく比較される版画家にジャック・カロがいます。彼もこうした小人の道化師を描いていて、映画に登場する小人の道化のコミカルな要素は、カロの版画に近いといえるかもしれません[*2]。
[2]
ジャック・カロ『あしなえのギター奏者』(『小さな道化たち』より)
1621〜25年頃/エッチング
いずれにしても、小人の道化として作られた人間もどきこそ、レプリカントの同類にほかならず、自分たちの存在が人間の「おもちゃ」にすぎないことを戯画的に表したものでした。特に、性的な愛玩用に作られたプリスは、まさに人間たちにもてあそばれる悲しき玩具だったのです。
そんなプリスだからこそ、自分と同じ人造人間の小人の道化たちと接触すると、すぐにも、その本性を現し、みずからも道化師となって、人形のふりをしてデッカードを待ち構えるのでした。
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第1回:『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画(1)
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