箱根駅伝予選会で力走する各大学の選手たち(写真:時事通信社)

第96回箱根駅伝。連覇を狙う東海大学、出雲駅伝の勝者・國學院大学などが注目されているが、今年の箱根では「靴」をめぐる知られざる戦いが、さらに激化するといわれている。

「ナイキの『ヴェイパーフライネクスト%』はすごいイノベーションです。いまやランニング界を席巻しています。今年の箱根駅伝も、80〜90%の選手がこのシューズを履いて走ると私は予測しています」

『あまりに細かすぎる箱根駅伝ガイド!2020』(ぴあMOOK)を刊行し、駅伝に関するマニアックな情報を発信するメディア「EKIDEN News」を主宰する西本武司氏は、選手の靴選びに注目している。その驚愕の世界を熱く語った。

「熟成されたナイキ・ヴェイパーフライ」が箱根を席巻

――西本さんは、全国各地の駅伝・長距離レースを取材されていますが、中でも各選手の靴に注目されているそうですね。


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学生駅伝の世界では、選手はユニフォームについては、大学と契約したメーカーのものを着ることになっています。でも、靴だけは、選手の感覚を優先して好きなものを選ぶことができる。そこだけはどんな指導者も制限できない、選手の唯一の「聖域」みたいなところです。

ところが、昨年秋シーズンから、かなり多くの選手たちが同じナイキの「ヴェイパーフライネクスト%」を履くようになっています。

昨年の箱根駅伝では、全出場選手のうち、「ヴェイパー」を履いていたのが86人、次いでアシックス51人、アディダス39人、ミズノ24人という具合でした。

しかし、今年の箱根では、80%近くの選手がナイキの「ヴェイパー」を履くと私は予測しています。

――昨年に比べて、今年はさらに「ヴェイパー」を履く選手が増える、と。

私はそう予測しています。というのも、昨年10月に行われた箱根駅伝予選会には40校以上の選手が集結しましたが、「ヴェイパー」でない靴を探すのが難しいほど、ほとんどの選手が「ヴェイパー」を履いていたんです。

どの選手も靴に対しては「俺はこのメーカーのアッパーとサイズと履き心地。そしてこのソールの反発と路面のとらえ方が合う」というようなこだわりを持っています。そのうえ、絶対、外すことができないレース、箱根駅伝の予選会ですから、それぞれの選手にとっては、「自分の集大成」のような走りをする必要があります。

そういう外せない場で、みんなが「同じ靴」を履くようになっている。もはや単なるはやりとは言えません。他メーカーの靴を履く予定だった選手が、監督から「『ヴェイパー』を履いてくれないか」と言われたというケースもあると聞いています。

61歳日本人女性が、フルマラソン女子の世界記録

――なぜそこまで「ヴェイパー」が増えているのですか?

ナイキから厚底が登場したのは2017年7月、まずは「ヴェイパーフライ4%」という初代モデルを大迫傑選手が履いて話題になりました。

ただ、初代の「ヴェイパーフライ4%」は、それまでの作り上げたフォームと合わない人も多く、この靴にフォームを変える必要もあるし、そのフォームをキープしたままハーフマラソンやフルマラソンを走り続けるには、そのための技術も必要とされる、まるでF1カーを運転するようなシビアな靴でした。才能ある一部のトップアスリートにしか、履きこなすのが難しいという面もありました。

しかし、あれから2年。ヴェイパーは「熟成」「進化」したんです。

――ヴェイパーが「熟成」「進化」した、というのは?

iPhoneが見つかったバグを、OSをバージョンアップによって改善するように、この「ヴェイパー」というシューズも2年間かけて「熟成」させたことにより、ついに万人がうまく走れる「ヴェイパー」が誕生したのです。それが昨年7月に発売された「ヴェイパーフライネクスト%」で、これが箱根駅伝を席巻しそうです。

実際、駅伝に限らず、いまや「ヴェイパー」はランニング界を席巻しており、その効果は目を見張るものがあります。

例えば、昨年12月、さいたま国際マラソンで、「ヴェイパー」を履いた61歳の弓削田真理子選手が2時間56分54秒をマークして、60歳以上のフルマラソン女子世界記録を2分21秒更新しました。

また、昨年11月のパラ陸上世界選手権では、男子1500m視覚障害部門の和田伸也選手と並走者の中田崇志さんのペアが日本新記録で4位。東京パラリンピック代表に内定しました。

彼らは2016年のリオではメダルを逃しましたが、その後、中田さんが「ヴェイパー」の存在に気がついて、トラック種目に「ヴェイパー」を取り入れたのです。彼らの年齢は40歳をすでに超えています。市民ランナーとして走られている方なら理解できると思いますが、この年でスピードが必要とされる1500mで記録を更新し続けるというのはありえないことなのです。

――靴に関しては「厚底か、薄底か」という論争がありましたが……

確かに日本には「分厚い靴は日本人に合わない」「薄ければ薄いほどいい」という定説が根強くありました。これまではマラソンシューズも、「薄くて軽いのに反発力がある」というところがポイントで、技術的にもみんながそこを目指していました。

しかし、ナイキが出した「ヴェイパー」は真逆の靴なんです。「薄く軽く」の常識をいったんすべて疑って、「新しいイノベーション」を生み出してしまった。

そこで昨年までは「厚底か、薄底か?」という論争までおこりましたが、この靴の「本当のイノベーション」は、ソールに反発性のある「カーボンシート」を入れたことなんです。そのことでランナーたちは楽にスピードを出せるようになった。そこが「本当のイノベーション」なのです。

「トップランナーのビッグデータ」が理想の靴を作った

――なぜ「新しいイノベーション」が生まれたんですか?

大きく2つあると私は考えています。1つは、『SHOE DOG(シュードッグ)』にナイキの創業時の様子が描かれていますが、創業者のフィル・ナイトは陸上選手出身で、「利益先行」ではなく、つねに「ランナーファースト」です。

その考えが、今のナイキにも脈々と続いていて、「アスリート」の声を聞く、そして「トップのエリートアスリートだけがアスリートなのではなく、体を持つ者はすべてアスリートだ」というナイキの哲学が背景にあるように思います。

もう1つが、その哲学に関わってきますが、ナイキという会社が「ビッグデータを活用した靴作り」をしているからだと私は考えています。

そもそも、今「靴の作り方」は大きく2つに分かれています。まずは「職人の靴」です。ニューバランスの三村仁司さんを代表とする職人が、自ら選手の足を見て、三村さんに蓄積された経験値をもとに、それぞれの選手だけのオリジナルシューズを作る。靴としてはこれが「最高グレード」ですが、これは、オーダーシューズであるがゆえに「量産することができない」という大手メーカーが抱える矛盾がありました。

ここにナイキは、「ビッグデータをもとに『集合知』で理想の靴を作る」という方法を確立しました。国内のメーカーは、日本国内の選手がメインのため、データも限られますが、ナイキには世界中にトップアスリートの顧客がいて、彼らに靴を渡し、フィードバックを受け取っています。「アスリートたちがどこに接地して、どういうふうに走ったか」というデータをもとに、ソール形状をデザインしてくのです。

2016年リオ五輪王者で男子マラソンの世界記録保持者、特設レースで人類初のフルマラソン2時間切りを達成したエリウド・キプチョゲ(ケニア)といったトップアスリートだけでなく、「速い人」「遅い人」「かかとから接地する人」「つま先から接地する人」「欧米人」「アジア人」「アフリカ人」まで世界中のいろんな走り方の選手のデータを集められるんです。

薄底がメインだった時代は、「厚底はブレるし、重いからダメだ」としか考えられていませんでした。しかし、「データからはじき出された理想の走り方」を可能にするのは、なるべく前傾姿勢にして、平地だけど坂道を下っているように走れるような角度。そして、レース終盤でも足に疲れが残らない十分なクッション性を持たせた厚くて軽いソールだったわけです。

では、今年の箱根駅伝は、どの大学が優勝するのか。どこもみんな「ヴェイパー」を履いてガンガン突っ込んできますから、とくに往路は、先頭が何度も入れ替わる可能性があります。どの大学も開学以来初めて「一瞬だけトップ」をとれるかもしれません。

混戦も予想されますが、その中でも私が注目しているのは「東洋大学」です。

東洋大学の総合優勝なるか

近年、強豪校でありながらも青学の後塵を排して総合優勝からは遠ざかっていた東洋大学。彼らは戦略的に「ヴェイパー」を取り入れて、2年連続往路優勝を果たした。そして3年目、とうとう復路も制覇して、ついに総合優勝を狙えるんじゃないか――ということを密かに考えています。


西本 武司(にしもと たけし)/「EKIDEN News」主宰。吉本興業、ほぼ日刊イトイ新聞を経て、コミュニティーFM「渋谷のラジオ」制作部長。"公園橋博士"の名前で駅伝をどこよりも細かく追っかけるWEBメディア「EKIDEN News」を主宰するほか、「TOKYO FREE 10」「オトナのタイムトライアル」など新しいレースを企画する。ランニングを始めて9年。走ること、見ることと多角的にマラソンレースを楽しむ。2017年ニューヨークシティマラソンにて(写真:EKIDEN News)

下馬評では、優勝候補は「東海大学」と「青山学院大学」です。10,000mやハーフマラソンのタイムからそう予想されるわけですが、なにしろ東洋大学は、「ヴェイパー」を取り入れることを前提で練習を積み上げてきて、ついにどの選手も「うまく走る」ということができるようになっています。

下馬評をひっくり返し、往路で優勝した2年前、1年生だった選手は3年生になり、さらに、靴そのものが改善され、どんな選手でもスピードを出しやすい靴となった。今の「ヴェイパー」は疲労度がかなり軽減され、最後の最後まで足が残る靴です。

これは30km走のようなハードな練習を積んでも疲れがさほど残らないということでもあります。故障のリスクも減り、月間走行距離も増えていきます。そのような環境で「3年以上履き続けた」という利が、東洋大学に傾く可能性はかなり高いと私は見ています。

そんな中、ライバル校も新しい動きがあります。青学は「アディダススクール」と呼ばれ、主力選手はずっとオーダーで作られたアディダスを履いていました。

ところが、昨年の全日本大学駅伝直後から、青学の選手たちの中にも「ヴェイパー」を履く選手が一気に増えた。アディダスからも、今シーズンは「ヴェイパー」同様のカーボンソール内蔵のシューズが登場しましたが、主力選手たちの大半が選んでいるのは「ヴェイパー」です。原晋監督は「靴は選手が自ら選ぶもの」とおっしゃっていただけに、選手たちがこぞって「ヴェイパー」に流れていったのは注目に値するでしょう。

そして、昨年の優勝校、東海大学ですね。昨年4月からナイキに切り替えました。実は、その東海大学の両角速監督が、今、選手たちと一緒にどんどんロードレース(10kmくらい)に出場し続けています。試合会場でも選手と一緒にジョグをしている姿もよく見かけます。

両角監督は、数々の名選手を輩出した「佐久長聖」に陸上部を立ち上げた人物です。大迫傑選手らに代表される、佐久長聖高校の美しいフォームは両角監督自らブルドーザーで造成したクロスカントリーコースで培われたもの。その監督がレースに出場するときの足元はやっぱり「ヴェイパー」なんですよ。

おそらく、東海大学にとっての理想の箱根の走りを、自ら走り込んで見つけようとしているのだと思われます。今後、「あっ、東海大学の走りだね」と言われるような美しい「ヴェイパー」のフォームで走る選手が次々と登場する可能性があります。

箱根駅伝は「靴」に注目して観戦すると、また違った楽しみがあります。箱根駅伝は今年で96回目。箱根駅伝もランニングシューズも、今後、さらなる進化を遂げてゆくでしょう。