森保ジャパンはカタールW杯本大会(2022年11月)まで持たないのではないか。解任を求めているというより、いまのままでは、おのずとそうした運命が待ち受けているのではないかと心配する。

 そのサッカーを見て想起するのは、岡田ジャパン(第2次)でありジーコジャパンだ。

 岡田武史監督は実際、任期の終盤、解任騒動にさらされることになった。いったん自らの口で辞任を口にしている。翌日には「冗談でした」と撤回し、ドタバタ感を残しながら続投することになったが、その問題点は、南アW杯本番の足音が近づくにつれ露呈することになった。

 ジーコジャパンも3年目を迎えたあたりから徐々に下降線を辿り始めた。勢いを失いながら本番を迎えることになった。ドイツW杯の成績(2敗1分/グループリーグ最下位)は大会前から粗方、予想できていた。

 賢かったのは岡田監督。本番でそれまでとはやり方を一変。まったく新たなコンセプトで、予行演習もろくにせず、初戦のカメルーン戦に臨んだ。結果はベスト16。まさに土壇場で打った大博打が奏功した格好だった。

 ジーコは就任当初は、中盤ボックス型の4バック(4−2−2−2)で戦っていた。当時のブラジル式サッカーの定番で、ブラジルサッカーの影響が強かった日本では、4バックと言えばこれが定番だった。

 しかし、ジーコ監督もほどなくすると3−4−1−2にシフトしていく。それは前任者であるフィリップ・トルシエが好んだ布陣で、欧州ではある時期までイタリアやドイツで流行っていた守備的サッカーの定番である。

 日本でもその守備的な3バックが当時、大流行していた。Jリーグを見渡せば、この布陣を使用しているチームが半分ぐらいを占めていた。欧州では守備的サッカーが急速に衰退し、3−4−1−2を見かける機会も少なくなってきた時期に、である。

 トルシエ時代、ジーコはそのサッカーを嫌っていた。それをテレビで堂々と口にしていた。4−2−2−2への変更を、トルシエとの違いを明確にしようとする手段としていた。その1人増えた中盤に、トルシエに2002年W杯の最終メンバーから外された中村俊輔を起用。するとメディアは、ジーコがブラジル代表時代「黄金の4人」の一員だったことになぞらえ、中田英寿、小野伸二、稲本潤一、中村俊輔の4人を黄金の4人の日本版と称して、賛美した。

 日本といえば中盤。これを機にいっそう中盤でパスをつなぐサッカーこそが、日本のあるべきスタイルだとの空気が醸成されることになった。

「攻守に賢く器用にプレーできる中盤選手が絡むことが日本の特徴。そうしたよさを活かしながら、いろんなオプションを試していきたい」

 とは、E1選手権に臨むメンバー発表会見で述べた森保監督の一節だが、森保監督も相変わらず中盤サッカーに傾倒している一人に見える。

 しかし、ジーコは程なくすると3−4−1−2を使用した。当初は「国内組は3−4−1−2の方が慣れているから」と、メンバーを国内組中心で組む場合に限られていたが、次第にその割合は増え、ドイツW杯でも初戦(オーストラリア戦/1−3)では、4−2−2−2ではなくこちらを採用した。

 蛇足になるが、ジーコはその数日前、初戦に臨むスタメンを発表してしまった。3−4−1−2と4−2−2−2。そのどちらを選択してくるか、少なからず頭を悩ませていたであろうオーストラリアのヒディンク監督に、プレゼントを贈る結果となった。1−3の敗戦は予想された結果だったとも言える。南アW杯初戦のカメルーン戦に、それまで見たこともない布陣で臨んだ岡田監督との最大の差でもあった。

 岡田監督はその後、オシムを挟んで監督に就任すると、ジーコ的なサッカーをした。就任初戦で採用したのは、中盤ダイヤモンド型4バック。オシムがそれまで採用した4バック(4−2−3−1)より、選手が真ん中に固まりやすい、4−2−2−2に近い4バックだった。3バックも採用した。こちらもジーコが採用した3−4−1−2だった。オシムが採用した3バック(5バックになりにくい)とは違っていた。