デモ参加者のメッセージが書かれた大量の付箋で作る「レノン・ウォール」(右側)があるタピオカ店

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デモ参加者のメッセージが書かれた大量の付箋で作る「レノン・ウォール」(右側)があるタピオカ店

犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案から始まった香港警察とデモの戦いは、今後もさらなる泥沼化が予想されている。

そんななか、騒乱の陰で泣きを見ている香港在住の日本人がいる! ルポライター・安田峰俊(やすだ・みねとし)氏が彼らの深いため息を聞いた。

■「デモ不景気」が飲食店を直撃!

今年6月以来、香港では親中国的な現地政府に抗議する激しいデモが続いている。香港警察は実弾発砲によってデモ側に数人の重傷者を出し、11月中旬までに1万発近い催涙弾を発射するなど強硬な鎮圧を実施。先月17日には衝突現場にいた日本人大学生が逮捕される事件も起きた。交通機関のマヒなど社会への影響も非常に深刻になっている。

ただ、香港市民はデモに好意的だ。先月24日の区議会選挙では、デモ側に親和的な民主派(泛民[はんみん]派)系の候補者が議席の約85%を獲得し、体制側の親中派(建制[けんせい]派)を打ち破った。

4年前の前回選挙では、建制派が議席の7割を占めたことを踏まえると、まさに大逆転だ。これは、前回選挙より20ポイント以上高い、過去最高の投票率の下、従来は選挙に参加しなかった若者層が大量に民主派候補に投票した影響が大きい。

とはいえ、選挙結果を受けた香港政府がデモ隊の要求を認める兆候はなく、今後も激しい抗議活動が続くのは確実な情勢だ。これに対して、現地の民意を尊重しつつも頭を抱えているのが、香港で暮らす日本人たちである。

2017年の時点で在香港日本国総領事館が把握している現地在留邦人は約2万5000人。留学生や香港人の配偶者を除く多くの人は、駐在員や現地で働く起業組・就職組とその家族だ。今回は「デモの街」香港で暮らす日本人の声を拾い歩いた。

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「外国人の多くは香港の経済力とビジネス環境に惹(ひ)きつけられて来ている。なので、日本人や欧米人のビジネスマンにはデモに反対する人も少なくないようです」

31歳の香港人弁護士はそう話す。デモが激化した今年7月から9月(第3四半期)、香港のGDP(域内総生産)成長率は前期比マイナス3.2%を記録。世界金融危機の影響を受けた09年以来の景気悪化を迎えた。

加えて、香港デモは8月末頃から、一部が暴徒化。「親中的」だと見なした店舗を破壊したり、放火したりとやりたい放題だ。

そして、その対象には「吉野家」や「元気寿司」「一風堂」(ラーメン)など日本でもおなじみの外食チェーンが含まれている。いずれも経営を担う現地フランチャイズ企業が親中的だとして、これらの店舗が一部の過激なデモ隊に襲撃された。

ちなみに、これらの店舗の経営に日本本社は関与していない。ただ、日系ブランドが被害を受けた、という点は確かだ。

香港で複数の店舗を展開する日系外食チェーンの現地代表A氏(45歳)はこう話す。

「先日、フェイスブックに『スタッフがデモを批判した』と中傷が書き込まれたことが判明し、デモ隊に店舗を壊されないか肝を冷やしました」

安全上の理由から、彼の取材は匿名が条件。今年8月に台湾系のタピオカ店がSNS上で親中的なメッセージを出したことを理由に店舗を破壊された例もあり、第三国資本の店舗でも危険はあるのだ。

「デモが激化して以来、月間の売り上げが20%も減少した店舗もあります。特に繁華街の店舗が厳しいですね」(A氏)

この外食チェーンの店舗がある香港島の繁華街・銅鑼湾(コーズウェイベイ)では、11月まで毎週末のように警官とデモ隊が数千から数万人規模で衝突しており、双方の催涙弾と火炎瓶が飛び交っていた。また、デモ隊が地下鉄の施設を破壊対象にしているため、衝突の兆候があれば地下鉄はしばしば駅の閉鎖や路線全体の運休を行なう。

「閉店や営業時間の短縮はしょっちゅうです。お客さまの安全第一ですし、従業員の退勤手段も確保してあげなくてはいけないので......」(A氏)

日本人商社マンO氏(45歳)によれば、現在、香港には1万5000店の飲食店が存在するが、物件の契約更新がある来年の旧正月(1月25日〜28日)までに全体の1割が倒産する見込みだという。

「地下鉄が早い時間に止まるので、特にバーのダメージが大きい。逆に市民が外に出たがらないことでフードデリバリーは好調です。自炊が増えたのでスーパーの売り上げも落ちていません」

終わりの見えない「デモ不景気」のなかで、大家の側も店子(たなこ)を逃さないよう懸命だ。デモの影響が大きい銅鑼湾や尖沙咀(チムサーチョイ)など繁華街の店舗家賃は、交渉次第で2、3割引きになるケースも出ている。

もっとも、景気の悪い話ばかりではない。今年の夏以降、「スシロー」「すき家」「がんこフードサービス」など、複数の日系飲食チェーンが新規進出しているのだ。

「これまで香港で飲食店を展開するのにネックになっていたのは、世界最高レベルの家賃や人件費の高さ、人手不足などでしたが、現在は家賃が大幅に下がり、サービス業分野の失業率も上昇中です。デモによる混乱をチャンスとみる考えもあります」(O氏)

香港では地元の大資本ほど中国との関係が深く、デモ支持者によるボイコットや破壊の対象になりやすい。そのため、小規模店舗や100%外資の飲食店に顧客が集まる傾向も生まれている。経営形態によっては"意外とアリ"な状況も生まれているのだ。


先月24日の区議会選挙では各地の投票所に長蛇の列ができた

中国製催涙弾の恐怖

「今年7月から、売り上げ5割減の状態がずっと続いています」とボヤくのは、香港で高級ジュエリーや時計の小売店を複数経営する日本人男性S氏(62歳)だ。

「高級品は大陸からの中国人客が主な顧客。デモ激化後は業界全体がピンチで、大手の『周大福(チョウタイフック)』は売り上げが7割から9割減と聞いています」

デモ隊の一部が中国人排斥を唱えたことや、中国側で香港への恐怖感を煽(あお)るプロパガンダ報道がなされたことで、中国人客が激減したのだ。

「14年に学生デモ隊が2ヵ月以上も繁華街の路上を占拠した『雨傘革命』と比べても、今回はずっとひどい」(S氏)

8月に外務省が海外安全情報をレベル1(その国への渡航、滞在には十分な注意が必要)に引き上げたことで、日本人向けのビジネスも厳しくなった。中国在住の日本人駐在員向けに香港の保険加入をコーディネートしている男性T氏(40代)は、こう話す。

香港の保険は契約書を対面で交わすルールがあるのですが、日本の大手企業のなかにはリスク管理の視点から香港渡航を禁止する例もあります。そのせいか、ここ数ヵ月で新規の契約成立数はゼロです」

彼はビジネス以外でもこんな受難に遭った。

「残業後に街に出たら警官隊のデモ鎮圧に遭遇しまして。防毒マスクなしで催涙ガスを吸い込み、頭痛とめまいに苦しみました。翌朝には首のリンパがめちゃくちゃ腫れました......」(T氏)

10月頃から香港警察は、従来の英国製に代わって、より強力な中国製の催涙弾を使用。住宅街やビジネス街でも所構わず乱射している。そして、中国製の催涙弾にはダイオキシンなどの有害物質が含まれるため、健康被害の懸念を訴える声は香港市民か日本人かを問わず根強い。駐在員の夫を持つ妊娠9ヵ月の女性(37歳)はこう嘆く。

「胎児への影響が心配です。それに、デモ中はあちこちの道路が封鎖されるので、そんなときに陣痛が来たらと思うと気が気ではありません」

■日本人留学生の多くはデモ支持だが......

最後に香港で学ぶ日本人留学生について触れたい。

香港の大学には数百人以上の日本人留学生や教員らが在籍する。先月半ばには、学生運動が盛んなことで知られる名門校・香港中文大学で警官隊とデモ隊が激しく衝突した。

「海外協定校からの来学期の交換留学生が大量に辞退したことで、大学側は困っています。彼らは香港警察に損害賠償を請求したい気持ちなのでは?」

中文大で非常勤講師を務める小出雅生(まさお)氏はそう話す。先月12日から大学の敷地の一部に警官隊が踏み込み、テニスコートでは催涙弾が舞った。衝突は数日後に沈静化したが、同大学は今学期の終了を大幅に前倒し。他大学もこれに倣い、香港各地のキャンパスから学生の姿が消えた。

「学期が途中で終わって、学生数百人の成績をどうつけていいか困っています。ただ、もっとかわいそうなのは日本人留学生ですよ」(小出氏)

中文大では50人程度の日本人が学んでおり、留学を切り上げての帰国や、台湾や中国本土の大学への転籍など対応に追われた。

もっとも、香港では学生や教員の多くはデモ支持派だ。日本人学生の間でも「デモを非難する声はほとんどない」(小出氏)という。

「デモは少なくとも年を越すまでは続く。これまで香港政府は市民との対話集会でも"お説教"的な姿勢で接するだけで、誠実ではなかった。事態収拾には政府側の柔軟な姿勢が必要です」(小出氏)

この騒乱に翻弄(ほんろう)されている現地の日本人は、事態の平和的な解決を望んでいる。

●安田峰俊(やすだ・みねとし)
1982年生まれ。中国ルポライター。天安門事件を取材した『八九六四』(KADOKAWA)が第5回城山三郎賞、第50回大宅壮一ノンフィクション賞をW受賞。新刊は『もっとさいはての中国』(小学館新書)

取材・文・撮影/安田峰俊