スタジアムはそのグリーンに取り囲まれた状態にある。国立競技場が全体的に緑っぽい建物に見えるのもそのためだ。しかし、地面に植えられているものではないので、それなりに手入れが必要になる。その外周を1キロとすれば、プランターが設置されている距離は3層式なので計3キロに及ぶ。このグリーンはずっと維持されるものなのか。オリンピックまでの限定的なものではないかと勝手に想像するが、その少しばかり怪しい存在のグリーンをカメラが捉え、アナ氏がスタジアムのコンセプトを説明する姿に違和感は募らせずにはいられなかった。
 
 無理やりにも程がある報道だ。杜のスタジアムをコンセプトに掲げた時、周辺の樹木は極力伐採しないと言っていた。ところが旧スタジアムの取り壊しが始まると同時に、外苑西通り側に並んでいた樹木は、全て伐採された。

 スタジアムを囲む片側(正面スタンド側)のコンコースから一切、グリーンは拝めない状態になった。そこで外気をスタンド内に取り入れると言っても、その外気は交通量の多い外苑西通りの排気ガス混じりの、杜の空気とは程遠いものになる。無数のプランターに植えられたグリーンを設置せざるを得なくなった理由だろう。

 男性アナは続いて、通りがかりのイタリア人ジャーナリストに話を聞いた。「木の温もりを感じるスタジアムだ」そうである。半分お世辞まじりだろう。こちらがイタリアの新築スタジアムを取材に行き、現地のメディアから急にマイクを向けられれば、悪い話など絶対にしない。お祝い気分を台無しにするような野暮な真似はしない。木の温もりに疑問を抱いたとしても、だ。

 確かに国立競技場の天井部分には多くの木が使われている。セールスポイントといえばセールスポイントになる。それで木の温もりを感じる人もいるかもしれない。しかし天井部分にはめ込められた木は白木である。合板を切断したような安っぽい色をしている。時間の経過とともに変色し、神宮外苑の杜の空気と同化していくようには見えない。

 その白木が天井にスノコのように張り巡らさせているのだ。色も好きになれないが、スノコ状に張り巡らされたデザインにも賛同する気になれない。綺麗ではないのだ。そもそも、そこに白木を貼り付ける必然性に疑問を感じる。グリーンにしても木にしても無理やり使おうとしている印象を受けるのだ。

 さらに言えば、そのスノコがの間隔が所々、一定ではなく乱れているのである。美しくないのだ。広かったり狭かったり。随所に雑な施工が目に止まる。木を使っていれば、木の温もりが感じられるというものではない。

 この国立競技場には、東京都民を中心とする税金が投じられている。民間の所有物ではない。100%おめでたい話として片付けるわけにはいかない。

 そもそもこのレポートした男性アナに、スタジアムにまつわる知識はどれほどあったのか。世界のスタジアムと相対的な目で比較する力はあったのか。スタジアムへの愛を感じさせないNHKにしては、あまりにも軽すぎるレポートと言えた。よいスタジアムが絶対的に不足する日本、スタジアム取り巻く文化が決定的に不足している日本の現状をそこに見た気がした。

 立地以外によいところはどこなのか。よいと言われている世界のスタジアムに比肩する箇所はどこなのか。正月の天皇杯で訪れた際に確認してみることにしない。