制度の狭間に取り残されている現実もある(写真:mits/PIXTA)

「8050問題」とは、80代の親が収入のない50代の子どもの生活を支え、行き詰まってしまっている世帯のことを指す。その背景には、長期高年齢化しているひきこもり状態にある人たちとその家族の孤立がある。

行政の支援が届かないまま、親が先に死んでしまい、そのまま子どもも死んでしまう事件や、親が先に死んでしまい、どうすることもできない子が親の死体を放置して逮捕されてしまう事件などが全国で相次いでいる。

「8050問題」に直面する当事者たちは、なぜ「ひきこもる」という選択肢を選ばざるをえなかったのか。そして、そんな社会に生きる私たちは今、何を問われているのか――。拙者『ルポ「8050問題」高齢親子“ひきこもり死”の現場から』より一部抜粋し、現場の声をリポートする。

2018年1月、北海道札幌市のアパートの1室で、82歳の母親とひきこもる52歳の娘の親子の遺体が発見された。

同年3月5日付の北海道新聞によると、死因は2人とも「低栄養状態による低体温症」で、1月6日、検針に来たガス業者が異変に気づき、アパートの住民が室内に入ったという。2人は、それぞれ飢えと寒さによる衰弱のため、2017年の12月末までに亡くなったと見られている。娘は、長年ひきこもり状態にあったという。

同紙の記事によれば、母親が亡くなったとされる時期は「2017年12月中旬」で、娘は通報することなく母の遺体と同居。後を追うように同年の「年末」に息を引き取った。

冷蔵庫は「空」だったが、室内には「現金9万円が残されていた」という。

親子共倒れから見えてくる支援制度の問題

母親が、このアパートに入居した1990年当時、すでに世帯の収入は「年金だけ」の生活で、「生活保護や福祉サービスは受けていなかった」。娘は、学校を卒業してから就職したものの、「人間関係に悩んで退職し、ひきこもり状態」になったという。いわば、就労経験者という典型的な「中高年ひきこもり」者の背景だ。

「障害者手帳や病院(の診察券)などは、見つかっていない」という。ひきこもる人の多くは、「障害があるわけではない」などと診断を受けたにもかかわらず、その親も「うちの子は障害者ではない」などと否定したり隠したりする傾向がある。こうした障害認定を受けていないために、支援の制度に乗ることができない問題もある。

この事例でいえば、世帯には年金収入があり、高齢の親も一人暮らしではなく「働き盛りの世代の子」と同居もしていた。対応する法律や制度がなく、熱意のある担当者でない限り、「生活上、問題がない」とみなされても不思議ではない。まさに制度の狭間で、家族全体が孤立し、親子共倒れにより死に至ったのかもしれない。

「親子は近所づきあいを避け、周囲に悩みを漏らすこともなかった」

母親と交流のあった女性が、数年前から生活保護を申請するようアドバイスを続けたものの、母親は「他人に頼りたくない」からとかたくなに拒んだ。その結果、母親が先に亡くなり、娘もそのまま、誰かに助けを求めることも、外に出て食料を買うこともなく、亡くなった──。

──なぜ、母娘は周囲に「助けて」と声をあげることができなかったのか?

──なぜ、母娘が最悪の状態で発見されるまで、誰も手を差し伸べることができなかったのか?

ひきこもり状態」の40〜64歳が推計61万人

今、全国でこの札幌の親子と同じように、親子共倒れの悲劇に追い込まれるケースが多発している。

当該家族が置かれた状況や背景はさまざまだが、いずれにせよ、高齢のひきこもり状態の子の生活を、高齢の家族が支えている本質的なメカニズムは変わらない。

周囲から見ると、現状を切り取れば主に経済的観点から生活に問題がないと判断されやすく、支援の対象にはなりにくい。ところが、見落とされがちなのは、将来の予防的な観点だ。今は生活に問題がないように見えても、生活を支えてきた高齢の家族に万一のことがあったとき、たちまち生活は困窮しかねない。

たとえお金が残されていたとしても、本人に生きる希望や意欲がなければ、生きるために動き出そうというエネルギーも湧かなくなる。まさに、緩やかな死へと向かう、ひきこもらされた人たちの気持ちが見て取れる。

こうした現実を裏付けるかのように、2019年3月29日、内閣府が中高年ひきこもり実態調査で、衝撃的な数字を公表した。40歳以上のひきこもり状態の人が全国にどのくらい存在しているのかを推計した、国による初めてのエビデンスである。

内閣府によれば、40〜64歳の「ひきこもり中高年者」の推計は約61万3000人にも上る。ひきこもり状態になったキッカケは「退職したこと」が最も多く、雇用環境の問題が要因になっていることがわかる。年齢も、「40歳以上になってから」が約57%と半数以上を占め、全年齢層に大きな偏りなく分布している。つまり、どの年代からでも誰もがひきこもり状態になる可能性があることを示している。

筆者のもとには、支援の狭間に取り残されて孤立してしまった当事者や家族たちから、SOSの声が数多く寄せられる。

北海道に住む田辺さんご夫婦もそのうちの1例だ。田辺和義さん(仮名)は現在85歳、妻の文子さん(仮名)は3つ下の82歳で、息子の紀行さん(仮名)は55歳。まさに「8050問題」ドンピシャの世代だ。1964年生まれの紀行さんは、2006年の42歳の頃から、10年以上ひきこもり状態にある。

両親は、北海道に2人で暮らしているが、紀行さんは働いていた頃に購入した東京のマンションに1人で暮らしている。そのため、両親が北海道からたびたび上京して、紀行さんの状態を見守っている。

紀行さんは、北海道で生まれ育ち、地元の進学高校を卒業。その後上京し、有名私立大学に入学。一人暮らしをしながら、4年で卒業した。就職先は誰もが名前を耳にしたことがある有名な企業だった。

就職をしてからもしばらくは順風満帆というか、勤務態度もまじめで、とくに問題なく働いていた。しかし、40歳にさしかかる一歩手前の39歳頃から、ときどき仕事を休むようになる。とくに月曜日になると、身体が動かなくなり、休むことが多かった。

それでも、何とか出勤を続けるものの、40歳の頃には連続して2週間程度、欠勤することもあった。2週間の休みの後は通常どおりの仕事を再開していたようだが、それでもたびたび休むことはあった。

当時の紀行さんの仕事は、文字どおりの超過勤務。朝早くから深夜まで仕事に追われ、残業することもしばしばだった。まじめで几帳面な紀行さんは、メインの仕事以外の雑務を頼まれても断ることができず、残業時間は日に日に増えていた。また、ノルマの数字などもきつく、精神的に追い込まれていたはずだ。

「頼まれると断れない」から終わるまで仕事を続けてしまう。「困っていても助けを求められない」から1人で抱え込んでしまう──この特性は、まさに「ひきこもり」状態になる人に共通する傾向でもある。

41歳のとき、相変わらず欠勤が多かった紀行さんは、精神科を受診。「うつ病」と診断され、ひとまず休職することになった。

マンションのローンと生活費は両親が負担

こうして休職をしたものの、紀行さんは1人で暮らしていたマンションでほとんど寝たきりの状態になってしまい、身の回りのこともできなくなってしまっていた。

そこで、和義さんは文子さんとともに上京。紀行さんの生活の面倒を見ていた。その後、休職期間中ではあったものの、紀行さんは会社を退職することになった。

退職後も、数カ月程度は母親の文子さんがマンションに滞在して身の回りの世話をしていたが、その後は北海道に帰ることになった。

紀行さんはその後、ほぼひきこもり状態のまま、一人暮らしを続けている。マンションのローンと生活費は両親が支払っている。

現在は両親も健在のため、どうにか経済的に支えることができているが、2人とも80歳を超え、体力的にも金銭的にも限界がきているという。

そこで、和義さんは、紀行さんの住む東京にある区役所に相談に訪れた。

「私どもが亡くなった後、紀行がどうやって暮らしていけばいいのか不安で仕方ありません。マンションのローンは残り少ないのでどうにか払うことができるかもしれませんが、生活費や身の回りのことなどを相談したくて、区役所に行きました」

こうしてせっかく和義さんが相談に行ったのに、窓口の担当者から「39歳以下でなければ対応できない」と断られたという。

「39歳以下でなければ対応できない、と。生活保護についても、今は私どもが支えられていて、自分名義のマンションもあるんだから、無理だと……。はっきりとは言われていませんが、現状ではどうすることもできないと、そういうことでした」

和義さんは、役所の対応に途方に暮れてしまった。

「紀行は今、ちょっと買い物に行くことなど、身の回りのこともできてはいます。ただ、私どもが死んで収入がなくなったらどうするのか……。マンションのローンをたとえ払い終わっても、固定資産税とかそういうものは払えないでしょうし……。この先どうしようと不安になって、時間ばかりが過ぎていくような気がします」

社会構造の歪みが原因

紀行さんのように制度の狭間に取り残され、途方にくれている家族は全国にたくさんいる。

そもそも「ひきこもり」は長い間、不登校の延長のような捉え方をされており、「親のしつけ」や「甘え」「若者特有の心理」を発端とする問題だと言われてきた。そのため行政がひきこもり支援の対象としてきたのが「15〜39歳」だったのだ。

だが、これまでも述べてきたように、人は何歳からでもひきこもり状態になりうる。そして筆者は、これまで、数多くのひきこもる当事者たちの声を聞くにつれ、ひきこもりという行為は、個人や家族に要因や責任があるのではなく、「社会構造の歪み」が生み出している問題だと考えるようになった。


1度レールから外れると、なかなか元には戻れず、何をするにしても、入り口に立ちはだかるのは、履歴書の経歴という障壁だ。

雇用環境も大きく変化し、コスト競争などが激しくなって、非正規や派遣の数も増大。サービス残業などの超過勤務も強いられる。そのうえ、日本には「自己責任」という考え方が根付いていて、「社会に迷惑をかけてはいけない」「他人に迷惑をかけてまで生きていてはいけない」といった自己を犠牲にすることが美徳とされるような社会的風潮や価値観が蔓延している──。

そんな個人の尊重されない歪んだ社会で働いたり、生活の軸を置いたりしてしまえば、自分自身が壊れてしまう。そうした危機感から、自分を守るための防衛反応として、ひきこもらざるをえない選択をさせられている人が実に多いのだ。

ひきこもり」という言葉が世間に浸透していった当時からそんな現状があったにもかかわらず、多くの人が制度の狭間に取り残されて、なんの支援にもつなげることができなかった。その結果として、まますます孤立し、ひきこもりが長期化したのである。それが今「8050問題」として社会に顕在化してきたのである。