中立でいなければならない立場を長く続けていることもあるが、僕には贔屓のチームがない。個人的な志向と一致したサッカーをするチームは好きと言えば好きだが、Jリーグの場合、それは一時に限られる。クラブの志向ではないので、監督の交代とともに色も変わる。来季も好きでいる保証はない。万が一、好きなチームができたとしても可能な限り隠そうとするだろう。繰り返すが職業柄。

 前置きが長くなったが、と言うわけで僕は、東京都民ではあるけれどFC東京のファンではまったくない。もちろん嫌いというわけでもないが、先週の土曜日に行われたJリーグ最終節、横浜F・マリノス対FC東京戦では、東京を応援した。かつてないほど目一杯、そのサッカーに期待した。優勝争いがもつれることを切望したわけだ。

 生粋の東京ファンは、こちらの何倍もその気持ちが強かったはずだ。4点差の勝利を願って全力で応援したと思われるが、その夢はあっけなく散った。前半26分、ティーラトンのゴールが決まった瞬間、雌雄は決したと言っても過言ではなかった。横浜に2点目が決まったのは前半44分だったので、後半戦への興味は限りなくゼロに近いモノになった。

 しかし、FC東京のサポーターは最後まで席を立たなかった。海外だったらそうはいかない。試合を最後まで観戦していく人より、スタンドを後にする人の方が断然多い。

 FC東京の選手たちも、それに応えるかのように(?)、10人になった相手から追加点を奪われ、0-3とされても、ゴールを目指そうとした。長谷川健太監督も試合後、「後半難しい状況になっても、選手たちは戦う姿勢を最後まで見せてくれた。ああいう気持ちで戦うことが次に繋がる」と、その姿勢を讃えた。

 日本的とはこのことだと思った。最後まで試合を捨てないことは大事だが、実質0-6でリードされているチームが、残りわずかとなって逆転できるはずがない。外国ならギブアップが常識だ。ファンも同様。帰路につこうとする。このあっさりとした現実的な感覚が日本にはない。0-6を1-6とし、一矢を報いることができたところで、その姿勢は次に繋がる尊い姿勢なのか。希望的観測に過ぎない。

 前回の原稿(FC東京はリバプールになれるか。直接対決のカギは守備ブロックの位置)でも触れたが、この試合は出だしがすべてだった。長谷川監督がどんなスタメンを組み、どんな布陣で臨むかが最大の焦点だった。

 負けて元々と、開き直れるか。半ば破れかぶれの作戦で臨めるか。42.195キロのマラソンを、スタートから世界新記録ペースで飛ばせるか。サッカー的に言えば、従来の堅守速攻型と、どこまで異なるスタイルで臨むことができるか、に目を凝らした。

 ところがそうした期待は、たちどころに泡と消えた。試合直後こそFC東京はチャンスを掴んだが、ほどなくすると気がつけば、横浜にゲームコントロールを許していた。

 取るべき作戦はなかったのか。横浜のストロングポイントの一つである右ウイングの仲川輝人に、FC東京のサイドバック(SB)小川諒也はべったりマークに張り付いたままだった。小川は代表にこそ招集されたことはないが、J1を代表する攻撃能力の高いSBだ。仲川のマークを捨て、攻撃参加に出てみたら、仲川はどうしただろうか。小川と一緒に帰陣したのではないか。マークを捨てて上がる。これはリスキーな行為になるが、4点差をつけて勝たなければならない試合では、その程度の冒険は冒険に含まれない。

 その小川の前を務めたのは(4-2-3-1の3の左)ナ・サンホだった。「横浜のフラットな4バックは脇(サイド)から崩さないと……」とは、ナ・サンホを起用した長谷川監督の弁だが、そのためには小川の協力が不可欠になる。単独突破を期待するのは無い物ねだりに等しくなる。