しっかり者!(C)日刊ゲンダイ

写真拡大

〈お付き合いする男性は私が食べさせるくらいの人が理想。『蜜さんのところにお婿に行けて本当によかったわねえ』と彼の両親に泣かれ、そこへ私が『お義母さん泣かないで、ヨシオさん(仮名)の面倒は私が』と返す……。そんな将来を妄想しては、ほくそ笑む毎日です〉(FRaU 2017年6月号)

壇蜜と橋本マナミが結婚…「令和の愛人キャラ」最右翼は?

 令和元年「いい夫婦の日」の11月22日に、漫画家・清野とおる氏(39)と結婚した壇蜜(38)は、かつて女性誌で執筆したコラムの中でこのように語っていた。

 2人が出会ったのは入籍から3カ月前のTBS系バラエティー番組「櫻井・有吉THE夜会」での共演。壇蜜はこの時すでに清野氏との結婚を予感していたのかもしれない。

 清野氏は、代表作「東京都北区赤羽」(全8巻)で“ディープな街”赤羽を全国区にしたことで知られ、続編である「ウヒョッ! 東京都北区赤羽」(全6巻)は今年2月まで連載されていた人気漫画家だ。

「清野氏は赤羽に特化した地域密着型の漫画家で、漫画ファンの中でもマニアックな作家として知られています。恐らく印税収入だけでも1000万円は下らないと思いますが、壇蜜さんの収入には遠く及ばないでしょう。壇蜜さんはテレビやラジオのレギュラーに加え、CMも数社と専属契約を結んでいます。副業の投資や駐車場経営も加えると推定年収は1億円に近いと言われています。経済的には超がつくほどの格差婚になりそうです」(芸能ライター・弘世一紀氏)

■年収差は10倍?

 2人の結婚のおかげで突如注目を浴びることになった赤羽商店街では、結婚を祝福する横断幕が掲げられた。そこには「祝 壇蜜さん」の大きな文字の後に小さな字で「漫画家 清野とおるさん」と、書かれていた。これにはさすがの清野氏も、「ほかの街や他の媒体ならともかく、せめて『赤羽』くらいは俺の名を先に配置しておくれよ……!」 と、冗談めかして泣きを入れていた。

 そんな清野氏は今も赤羽に住んでおり、今後は壇蜜の自宅へ通い夫のスタイルで行き来しながら暮らすようになるという。そんな壇蜜の自宅は、世田谷区屈指の人気エリアである三軒茶屋。赤羽と同様にディープな飲み屋が多いことで知られているが、地価には歴然とした差がある。しかし不思議なことに、この2人に関しては、“格差婚”を匂わす指摘はほとんど見当たらない。

「中学、高校時代を規則の厳しい女子校で過ごした壇蜜さんは自分に合う本当の自由を求めて、職を転々とします。20代後半になって、自由を感じるためにはあえて『不自由』や『理不尽』を経験することも大切だと考え、水商売や大学病院の助手として死体を扱う仕事を始めたのです」(芸能事務所関係者)

 冒頭のコラムの中でも、壇蜜自身、その当時のことをこのように語っている。

〈職を転々としながら恋を育み、そして失い……長年“男を変えてカギ変えて”といった暮らしでした。29歳で芸能事務所に入った時も、それまで3年ほど付き合っていた方とお別れをしまして。抱えるものが多すぎたのです。恋を失えばどれほど仕事をしたって誰も悲しまない。だったらすり減るまでやってみようと、芸能事務所に水商売、大学病院の助手と、3つの仕事をいっぺんに決めたんです。遺体に触れた後に漫画喫茶でシャワーを浴び、そこから水着の仕事へ、といった生活を3年ほど続けました。よく、それで得たものはあるんですか? と、聞かれますが、徹底的に大変な状況に身を置いたことは今の土台になっていると思います」(前出・FRaUより)

■ブレーク後も小さなアパート暮らし

 大ブレークを果たし、芸能の仕事に専念した後も、彼女の基本的な生活スタイルは一切、変わらなかったという。

「三軒茶屋の前は東武東上線沿線の路地の入り組んだ下町情緒たっぷりの街に住んでいたこともありました。しかもコーポタイプのアパートの小さな部屋。芸能人オーラは完全に消し、地元の商店街に買い物に出かけていましたが、一般人としての当たり前の生活感覚を彼女はずっと大切にしてきました。それは今でも全く変わりません」(前出・芸能事務所関係者)

 そういえば、清野氏からプロポーズを受けたのも、「三軒茶屋の西友に買い物に行って、帰り道に自転車置き場でそんな話になったっていう記憶があります」と、語っていた壇蜜。一方の清野氏は11月30日、自身のツイッターで婚姻届を書き間違え、苗字が壇蜜の苗字「齋藤」になっていることに気付き、早急に戸籍訂正申立てをすることを明かしているが、こんなポンコツエピソードが出るたびに、読者はなんとなくホッコリし、壇蜜もほほ笑むのだろう。