インパクトだけは最強クラス?!東北のめちゃマイナーな戦国武将「松本図書助」

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私事で恐縮ながら、コーエーの歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズが好きです。本作品にはタイトル通り織田信長(おだ のぶなが)をはじめ、全国各地の戦国武将が勢ぞろいしますが、その中に強烈なインパクトを残す名前(武将)が何人か登場します。

その一人、松本図書助(まつもと ずしょのすけ)に心奪われてしまったプレイヤーは、きっと筆者一人ではない筈です(※そして初見で「としょすけ」と読んでしまったプレイヤーも、筆者一人ではない筈です)。

今回はこの松本図書助についてざっくり紹介したいと思いますので、少しおつき合い頂けたら嬉しいです。

図書助(ずしょのすけ)とは?

さて、この松本「図書助」という名前は諱(いみな。本名)ではなく、主君から与えられた官職(※厳密には官途:かんど=朝廷の許可を得ていない私称)です。

政務に励む図書助(イメージ)。

雑学がてら紹介すると、この官職は朝廷の蔵書(記録文書や経典など)を管理する「図書寮(ずしょりょう)」という機関のナンバー2(助。正六位下)に当たり、現代で言うところの国立国会図書館の副館長的な存在と言えるでしょう。

※ちなみにトップは「図書頭(ずしょのかみ)」と言って位階は従五位上(じゅごいのじょう)に相当、五位以上は内裏(だいり)への昇殿が許される「貴族」となってしまうため、さすがに名乗るのが憚られたものと考えられます。

図書助の本名は何て言うの?その生涯も紹介

さて、調べてみると、この松本家は代々「図書助」を名乗っているようですが、「信長の野望」に登場する図書助は、その活躍した年代から松本氏輔(まつもと うじすけ)であろうと見られています。

長福寺蔵「松本図書父子肖像」Wikipediaより。

年代は不詳ですが、奥州会津(現:福島県西部)の戦国大名・蘆名盛氏(あしな もりうじ)に仕えた船岡城主・松本舜輔(まつもと きよすけ)の嫡男として誕生しました。

元服に際して主君より拝領した「氏」の字と、松本一族で代々受け継いでいる「輔」の通字を合わせて氏輔と改名。併せて代々受け継いできた「図書助」も称します。

※ちなみに父・舜輔も、蘆名家の先代当主である蘆名盛舜(もりきよ)から諱の一字を拝領しており、代々にわたって忠義を尽くし、信頼に篤い一族であったことが察せられます。

また、松本家は主家である蘆名氏を代々補佐する「四天の宿老(蘆名四天)」に列せられている名家であり、何だか少年漫画に登場する「ナントカ四天王」みたいでカッコいいです(よね?)。

そんな物々しいキャラ設定?をもった松本図書助氏輔ですが、天正二1574年5月13日に陸奥国田村郡(現:福島県東部)の戦国大名・田村清顕(たむら きよあき)との戦いで討死してしまいました。

史料によれば、その様子は以下の通りだったそうです。

「五月十三日 松本図書安積ニテ戦死」
※『会津旧事雑考』より。

安積の戦い(イメージ)。

5月13日に安積郡(あさか。現:福島県中央部)の戦闘で討死したことのみ伝えられていますが、せっかくこの戦いに勝利したのだから、もう少し(ちょっとくらい話を盛ってでも)詳細にその最期(どのように戦い、誰を討ち取り、誰に討ち取られたかなど)を記録してあげて欲しかったと思います。

終わりに

「自分の地元ならいざ知らず、地方のマイナー武将なんて興味ないよ!」

……そんなご意見が聞こえて来そうですが、有名無名に関わらず、どんな人間にもそれぞれ懸命に生き抜いた生涯があり、その積み重ねこそが歴史と言えます。

人間誰でも死ぬのは怖いものですが、きっと一番怖いのは「忘れ去られてしまうこと」だと思います。

「へぇ……こんな人がいたんだ。こんな生涯を送ったんだ」

気にかけること、思い出してあげることこそ、死者に対する何よりの供養。今回は名前のインパクトで松本図書助を紹介しましたが、気が向いたらマイナーな人物にも興味を向けてもらえると嬉しいです。

参考文献:
向井吉重『会津資料叢書第四/会津旧事雑考』会津資料保存会、大正七1918年9月13日
大石直正編『中世奥羽の世界』東京大学出版会、昭和五十三1978年4月1日