負債には、いい負債と悪い負債があります(写真:William_Potter/iStock)

「超低金利時代」と言われつつ、終身雇用の前提が崩れた今、ローンを組むのに二の足を踏んでいる人も多くいるでしょう。しかし一方で富裕層はローンを好み、積極的に組んでいくといいます。お金をたくさん持っている彼らが、なぜわざわざ利子のかかるローンを組むのでしょうか?

元野村證券のトップセールスであり、マザーズ上場のフィンテック企業を経営する冨田和成氏の近著『資本主義ハック 新しい経済の力を生き方に取り入れる30の視点』から、ローン・負債に対しての考え方を紹介します。

負債とは便利なテコである

元手が少ない中で資本の利回りを得るための手段として、ローンというものがある。通常、ローン、あるいは借金・負債と聞くと多くの人は怖がる。

しかし、逆に富裕層はローンが大好きだ。

私はかつて東南アジアのあるオーナー社長から日本で不動産投資をしたいと相談を受けたことがある。

そのためにめぼしい物件を探し、見つけることができたが、その物件の購入条件に「キャッシュで払うこと」というものがあった。借り手が海外に住んでいたら、いざというときに取り立てに行けないからだ。

その話を社長にしたら、「人の金で儲けられるから不動産投資をするのだ。そこにキャッシュを使うくらいならほかにもっと有効な使い道はいくらでもある!」と怒られた。まさに正論である。

資本主義のゲームをわかっている経営層や投資家は、負債のことを「テコ」だと認識している。自分では動かせない重たいものを動かすときに一時的に借りる便利な道具だ。道具の利用料を少し支払って重たいものを動かし、利用料を上回る利益を出せれば、自分のお金をほとんど使っていないのに利益が生まれる。

不動産投資なら、毎月の賃料収入がローン返済額を上回れば、毎月お金が生まれる仕組みになる。

経営もそうだ。銀行からお金を借りて工場を作り、工場が生み出す利潤が返済額を上回れば、自社のキャッシュに手をつけずに事業を拡大することになる。

この「負債=テコ」という発想はあらゆる場面で持ちたい。自分にとってリターンの見込めそうな大きな石が転がっていたときに「絶対動かせないや」とすぐに諦めるのではなく「これを動かすテコはどこかにないかな?」と考えるのだ。

例えば、会社員をしながらブログを書き続けていて、いずれはフリーか副業でライターになることを考えている人がいたとしよう。

ある日、たまたまAmazonで一眼レフのカメラを見て「写真も撮れるライターなら編集者に重宝がられて差別化できるかもしれない」と気づいた。

しかし、価格は30万円。手持ちのキャッシュはないがクレジットカードは持っている。

1年かけて貯金をするか、いま買うべきか?

私がライターを目指すならすぐさま買う。撮影技術で付加価値をつけたいなら1日でも早く練習しないといけないからだ。

そもそもクレジットカード会社に支払う利息は、年率12.5%で12回払いだとしても2万700円だ。この「2万700円」という金額は、「カメラを1年前倒しで使える権利代」である。

つまり、1年という時間をお金で買っているのと同じことだ。1年前倒しで副業をはじめたら余裕でペイできる。だったら借りたほうが得だ。

挽回が効かない借金は必ず避けよ

しかし、もちろん負債には、いい負債と悪い負債がある。いま説明してきたような、「自分が持つスキルや不動産などといった資本にレバレッジをかけるための負債」はいいものだ。

一方で、「資本ゼロの”着の身着のまま”の状態で負わされる借金」については、この資本主義経済というゲームの中においては絶対に避けなければならない。

というのも、通常の投資では大きな武器となるはずの「複利の強烈な威力」がマイナスの方向に効いて、あなたに牙をむくからだ。借金を返すためにさらに高利の消費者金融からお金を借りるというような状況を想像するとすぐにわかるはずだ。

例えば直近の仮想通貨バブルでは多くの億超えの資本家を生んだが、その陰には億単位の負債を抱えた人もいる。値動きやその値付けに根拠がない仮想通貨のトレードは、運で勝負が決まる文字どおりのギャンブルといって差し支えない。

そんな対象に対して「絶対に上がるはずだ」という夢しか見たがらない人が下手にレバレッジをかけると、利益をもたらし続けてくれるはずの手元の資本がなくなるばかりか、損失を生み続ける借金のみが残ってしまうという事態になりうる。

心理学の概念に「正常性バイアス」というものがある。これは本来誰が見ても危機的な状況に陥っているのにもかかわらず、「自分だけは助かる」と勝手に思い込んでしまうという人間心理の性質を表す。

高いレバレッジに麻痺して、急降下する仮想通貨のリアルタイムチャートを見ながら「大丈夫だ、こんなことがあるわけがない。必ずいつか反転するはずだ」と確たる理由もない希望的観測を持ってしまうというのは、誰しも本当にありうる話なのだ。しかしそうなってしまっては、挽回が難しくなってしまう。

とはいえ、そうした事態を怖がりすぎてリスクを取らないというのも違う。リスクを取らなければリターンを得ることはできないのは、資本主義社会の大原則だ。

重要なのは、リスクを取る中で「最高のシナリオ」と「最悪のシナリオ」をどちらも読むということ。これがリスクコントロールの肝である。前職での経験の中で富裕層の資産管理を通じて感じたのは、こうした人たちはこのリスクコントロールが非常にうまいということである。

未来を確実に読むことは不可能だ。未来は、現実世界にある複雑な要因がそれぞれどう作用するかによって「分岐」する。

すべての事態がうまく噛み合って素晴らしい結果をもたらしてくれるシナリオ。

やることなすことすべてが裏目に出てしまって最悪の結果となるシナリオ。

そしてその中間に位置する無数のシナリオが、一つひとつの可能性として存在する。

富裕層には経験豊富な経営者が多いが、こうした小さなことが積み重なって起きる連鎖反応の強烈さを、ポジティブなほうにもネガティブなほうにも経験していることが多い。だからこそ、「どちらもありうる」という姿勢で、その両端についてリミッターを外して考えることの価値を知っている。

「運命の歯車」という比喩があるだろう。彼らは、今その運命の歯車がどちらに回っているのかを、客観的に捉えることができる。ギアが「ドライブ」に入っているときに思いっきりアクセルを踏み、「バック」に入っているときにはブレーキを踏んで落ち着かせる。確率に支配される資本主義経済の下では、このアクセルとブレーキの踏み分けが勝負を分ける。

「自己分析」と「ルール化」が冷静なリスク管理のコツ

もっとも、冷静に自分を捉えることは並大抵のことではない。うまくいっていれば調子に乗るし、うまくいかなければ悲観的になるのは普通だ。また、そもそもポジティブな性格なのかネガティブな性格かによっても、状況の捉え方は変わってくる。

そういう意味で、内省の時間というのはとても重要であり、「メタ認知能力」を磨くことが、資本家としての実力を伸ばすために必要なことなのだ。


例えばもし自己分析の結果、自分がネガティブな感情に寄ることが多いということがわかったのなら、それをルールによって対応することができる。いつも「もうこれより上がるわけがない」と早めに株を売ってしまって機会損失を被ることが多いなら、「売ると決めたタイミングからさらに2日待ってみる」というようにルールを設定するのだ。

一代で富裕層になることを目指すのであれば、小さな元手を低利率で投資していては間に合わない。株や不動産などの資本への投資はもちろんのこと、自分自身への投資についても、どこかでハイリスク・ハイリターンの選択に踏み出すタイミングが必ず来る。

その中で勝算は高い選択肢は何かを突き詰めて考え、徹底的にリターンを追求しつつも、一方で資本をまるっきり失ってしまうような危険な賭けだけは避ける。そのようなリスク管理能力を身に付けることが、資本主義経済を“ハック”するための一番のキモとなる。