岐阜県内を通るリニア中央新幹線日吉トンネルの建設工事現場(記者撮影)

折り合いが悪いJR東海と静岡の関係にも例外がある。静岡県の県庁所在地で政令指定都市でもある静岡市との関係は良好だ。

静岡に関してはリニア中央新幹線のルートはすべて静岡市内を通る。JR東海と静岡市は静岡工区の建設に向けて、現場に至る林道の改良工事に関する協定を2019年7月に締結した。

その前年の8月、JR東海の宇野護副社長の元に、静岡県から難波喬司副知事名で一通の文書が届いていた。そこにはこう書かれていた。「貴社との交渉等は静岡県中央新幹線対策本部が行います。ついては、貴社が関係利水者及び市町と個別に交渉等を行うことは、ご遠慮くださいますようお願い申し上げます」――。県が事務局となって、静岡市を除く島田市、焼津市、掛川市など流域の8市2町などで構成される「大井川利水関係協議会」を8月2日に設置し、JR東海との交渉は県に一本化すると決めたのだ。

県からの公式な要請では仕方がない。個別交渉をJR東海は控えた。

それから1年余りたった今年11月6日、JR東海と静岡県の関係改善に向け調整役となった国土交通省が市町を訪問してヒアリングしていることに対して、静岡県の川勝平太知事が、「5年前に当時の国土交通大臣がJR東海に“地元の理解と協力を得ることを確実に実施するように”と求めたのに、やってこられなかったから、今国交省の担当者が回られている。JR東海は反省すべきである」と言い出した。JR東海が地元に足を運んでいないとして批判したのだ。

【2019年12月2日10時00分追記】初出時、JR東海と静岡市の協定締結時期、宇野副社長の名前に誤りがありましたので、上記のように修正しました。

完全にこじれた関係

県の要請を受けて、個別交渉を控えていたJR東海にしてみれば、心外な発言である。そもそも、県から要請がある以前は、JR東海は流域市町などへの個別説明を行っていた。知事の発言は、5年前からJR東海が地元への説明をまったく行っていなかったようにも聞こえる。

金子慎社長は、「知事がそうおっしゃるなら、流域の市町に個別にご説明にお伺いしようと思います」と、11月8日に発言した。JR東海はその翌週、静岡市および8市2町に面談を申し込んだ――。

JR東海と静岡県の関係はこじれきっている。そもそも水問題に関するこれまでの経緯という「事実」についても、両者の認識がまったく違うのだ。

JR東海の認識では、水問題を含めた環境問題について県や利水団体、沿線市町と以前から対話を重ねており、2014年10月の認可取得後は県が取りまとめ役となって工事着手に向けた基本合意の文書案作りを進めていた。ところが、合意案がほぼまとまり最終段階に入った2017年10月になって、川勝知事が突然、「JR東海の態度は極めて傲慢だ」と、協定締結に反対を表明したという。


静岡県の川勝平太知事(撮影:今井康一)

これに対して、県側の認識では、工事認可前の段階から「トンネル湧水の全量を戻せ」と主張し続けているが、JR東海からは回答がなかった。そのため、トンネル湧水の全量を戻すよう何度もJR東海に要求している。

このように過去の経緯に関しても、両者の捉え方はまったく違う。

県はトンネル湧水の全量戻しを要求するが、JR東海は環境影響評価で論点になっているのは大井川における河川流量の確保だと考えてきた。そのためJR東海はトンネル工事によって発生する湧水の全量は戻せなくても、大井川の水量を維持できるだけの湧水は戻せると説明してきた。

だが、着工が遅れると2027年の開業が危うくなる。背に腹は変えられない。2018年10月、JR東海は県の主張を受け入れ、「原則としてトンネル湧水の全量を大井川に流す」と回答した。ようやく両者の間で意見が一致したかに見えた。

国交省も協議に加わったが…

ところが、一件落着とはならなかった。県が「全量を戻す方法」についてJR東海に対して詳細な説明を求めたのだ。

JR東海は、2019年9月に具体的な工法を提示したが、「静岡県内で工事中のトンネルが山梨、長野とつながるまでの間は静岡県の湧水が山梨、長野側に流出する可能性がある」として、県側はこの工法に反対。トンネル湧水を一滴たりとも県外には流させないというのが県の主張だ。

今年8月からは国交省が協議に加わった。しかし、川勝知事は、リニアを所管する鉄道局は環境問題の検討ができないとして、水管理・国土保全局、さらには環境省、農林水産省の協議参加を求めている。

赤羽一嘉国交相は11月22日の記者会見で川勝知事の発言を「ちょっといかがなものか」といさめたが、知事の剣幕に押されたのか、従来からの「国土交通省として必要な調整や協力を行っていく」という方針に加えて、「開業の遅れをJR東海が心配しているのであれば、まずは両者間で懸念をしっかりと議論してクリアしていただきたい」という発言が加わった。一歩引いた印象だ。

赤羽大臣の記者会見と同じ11月22日、神奈川県相模原市に設けられるリニア神奈川県駅(仮称)起工式が行われた。リニアは東京都、神奈川県、山梨県、長野県、岐阜県、愛知県に1つずつ駅が設けられる。神奈川県駅はJR横浜線と相模線、京王相模原線が停車する橋本駅に隣接する形で設置される。


リニア中央新幹線神奈川県駅(仮称)の工事現場周辺の風景(撮影:尾形文繁)

橋本駅北口は高層マンションが立ち並び、「イオン」などの商業施設もある。一方で、南口は駅前にあった県立相原高校が2019年4月に移転し、閑散とした雰囲気だ。この相原高校跡地の地下にリニア新駅が設置される。

新設される中間駅の中では、神奈川県が工事の先陣となる。JR東海の金子社長は、「地上に造られるほかの中間駅とは違い地下に駅を建設するため、早くスタートしたかった」と話す。

期待高まる相模原市

開業後はリニアが横浜線や京王相模原線とも結ばれるため、東海道新幹線の新横浜駅のような利便性が期待される。市はリニア駅の地上部分を再開発して、オフィスビル、商業施設などの一般的な施設を造るだけでなく、宇宙開発、ロボット産業など次世代技術を創造する拠点としても活用したい考えだ。


リニア神奈川県駅(仮称)の起工式であいさつする神奈川県の黒岩祐治知事(撮影:尾形文繁)

「さがみロボット産業特区」を推進する神奈川県の黒岩祐治知事は、「未来の乗り物リニアと、新しい産業であるロボットは相性がいい。リニアが開業する2027年には町中にロボットがあふれるような、日常生活でロボットを体感できるまちづくりをしたい」と希望に満ちた将来像を描く。

相模原市の本村賢太郎市長も「多くの人が相模原の駅で降りたいと思ってくれるようにしたい」とリニアに期待をかける。市民の間には環境問題を心配する声もあるが、知事、市長ともに工事着工を祝い、開業を心待ちにしている。

それから4日後の11月26日には岐阜県内を走る日吉トンネルの建設現場が報道公開された。駅の建設現場やトンネル作業坑が公開されたことはこれまでにもあったが、リニアが走る本線トンネルの公開は今回が初めてという。

全長14.5kmの日吉トンネルのうち、公開されたのは全長7.4kmの南垣外(みなみがいと)工区。トンネル本線は、山岳トンネルの工事でよく使われるNATM(ナトム)工法で掘削が行われている。1日およそ6mのペースで掘削が進んでいるという。現場周辺にはウラン鉱の存在も確認されているが、JR東海は「ウラン鉱を避けて掘削している。目下のところ基準値を超えたものは出ていない」とする。


日吉トンネル建設の工事ヤード(記者撮影)

トンネルから地上に出ると工事ヤードがあり、土砂の仮置き場が設けられている。発生土をすぐにベルトコンベアで運ぶのではなく、仮置き場で発生土の重金属含有量を毎日チェックして、基準値を超えていた場合は、環境影響対策を施した遮水タイプの別の仮置き場に運ぶ。現時点で、基準値を超えた発生土は約1万㎥あり、行政から許可を受けた専門業者を通じて処理をしているという。

また、全長約2kmのベルトコンベアが設置され、トンネル内の発生土を発生土置き場まで運搬する。通常なら発生土はダンプで運ぶが、「住民の皆様との話し合いの中で、騒音・振動や一般交通への影響を避けるためにベルトコンベアも活用してダンプの台数を削減することが決まった」とJR東海・岐阜工事事務所多治見分室の加藤覚室長が説明する。

個別交渉拒否のカラクリ

日吉トンネルは地元住民との話し合いが無事まとまり、工事も順調に進んでいる。神奈川県駅の工事もいよいよ始まる。


リニア神奈川県駅(仮称)の起工式で報道陣の質問に答える相模原市の本村賢太郎市長(撮影:尾形文繁)

こうした状況を見ると、難工事であり一刻も早く着工する必要があるはずの静岡工区だけが手付かずという異常ぶりが際立つ。

さて、大井川流域の市町に面談を申し込んだJR東海はどうなったか。結論を先に言うと、静岡市を除く8市2町は会談を拒否した。

11月19日の記者会見で、川勝知事は、「8市2町、全会一致というのはすごいことです」「僕は正直感動しました」と8市2町の対応を手放しで称賛した。この件に県が関与しているのかという質問に対して、川勝知事は「まったくありません」と答えている。

そもそも、県や8市2町が参加する大井川利水関係協議会では、JR東海との交渉は県が行うと決定している。従って、もしこの決定が変更されていないのであれば8市2町がJR東海と個別交渉しないのは当然ということになる。その点で、確かに県は関与していないのだろう。地元テレビ局の情報番組で、掛川市の松井三郎市長や島田市の染谷絹代市長が「JR東海の説明を聞きたい」という趣旨の発言をしている様子が報じられたが、今回拒否した理由も協議会の決定に従った結果だと考えれば納得がいく。

地元と交渉してはどうかとも聞こえる川勝知事の「誘い」に乗って面談を申し込み、地元から門前払いを食らう結果に終わったJR東海。対して、川勝知事は静岡市の回答をなかったことにして、「全会一致でJR東海との面談を拒否したのは地元の不信感の表れ」という印象を作り出すことに成功した。川勝知事が一枚上手だった。

11月22日の神奈川県駅起工式後に金子社長、黒岩知事、本村市長らの記者会見が行われたが、質問は静岡県の水問題に集中した。

金子社長は「地元の皆様のご心配に対しては、”心配ないんですよ”ということをしっかりと説明したい」と述べ、8市2町と面談したいとの思いをにじませた。

本村市長に「川勝知事に会ったら何を話すか」と質問したところ、「“水の問題が重要であることは承知しているが、(リニアは)国家プロジェクトとして重要なので、ぜひご理解いただきたい”とお伝えしたい」と、金子社長を側面支援した。

川勝知事の強気の姿勢の背後には、「水問題は重要だ」と考える県民の支持がある。事態を打開するためには、JR東海は各地域で工事が環境に配慮して行われていることを実例として示すしかないし、静岡県以外のリニア沿線の各自治体も知恵を絞る必要がある。そして、何よりも金子社長と川勝知事が直接面談して、とことん議論することも必要なのではないか。