ライターの武田砂鉄さんと放送作家の町山広美さんが11月28日、都内で行われた映画『家族を想うとき』(12月13日公開)トークイベントに登場しました。トークイベントの模様を前後編にわたってお届けします。

【前編は…】それでもアマゾンでポチってしまう私たち

分断される私たち

武田砂鉄さん(以下、武田):このトークイベントの打ち合わせ時に「印象に残ったシーン」について聞かれたんですが、印象に残ったシーンというか、携帯電話の呼び鈴が鳴るときに胸がキュッとなりました。

皆さんも試写会が終わったら、携帯をチェックするわけですよね。「あいつから連絡がきているから」とか「トークイベントを聞かないで帰ったほうがいいのでは」とか「連絡したほうがいいのではないか」というように短いスパンでいろいろなことに迫られている。

映画の介護福祉士の母親もそうですよね。あの呼び出しがなければ追加の仕事が入ってこないのに、呼び出しがあるから対応せざるをえない。でも、それで生活が成り立ってしまっているんですよね。

町山広美さん(以下、町山):携帯を持っていることで時間を切り売りできるし、重複した活動ができるし、二つのことを同時にできる。自分の中でも分断が起こっているんだなあと感じますね。

武田:家族で楽しくご飯を食べていても、電話一本でそれが壊れてしまう。

「家族で解決しろ」と迫る日本社会

武田:直接的なメッセージが100分間、流れている感じがしますね。単線的というか。

タイトルは『家族を想うとき』ですが、この4人は家族の枠組みの中にいる。ほかに頼るところがないから家族に帰ってくる。日本の社会でも一緒で、親が頼れないなら祖父に頼れとかね。とにかく、血で解決しろって言っているわけですよね。

町山:最少単位の家族でやれって言っている。ほかの連帯の関係を崩しているのがここ何十年で起きていることですよね。

武田:数年前に安倍さんは「3世代同居税制」を掲げたけれど、これだけ働き方も住まいも多様化しているのに「家族でどうぞ」って言われても解決できないですよね。

町山:ケン・ローチ監督は、ずっと労働者階級の人たちにまなざしを注いで映画を作ってきたけれど、日本は事情がちがって、みんな自分たちのことを「労働者」とは思っていない。消費者という自覚ですよね。

武田:令和に元号が代わるときにGWが10連休になりましたけど、そのときに同世代の派遣社員の人と話していたら「10日休むとお給料が減って大変」という話をしていて、その苦悩はテレビや新聞では伝わってこなかったんですよね。

町山:正社員を前提としているんですよね。

いつの間にか「自己責任論」にハマってしまう

武田:「自己責任」という嫌な言葉がありますが、儲けられないのはお前のせいだと言われる。

町山:「働き方改革」も「働かせ方改革」ですからね。雇うほうの都合でよくなっているだけ。それを「働き方改革」という言い方をする人たちなので。

武田:僕は今37歳なのですが、「人生再設計第一世代」と言われまして。どう再設計するかは見えていないんですが、それも自己責任的な考え方ですよね。

町山:映画のこの家族も「自己責任」にハマっちゃうんですよね。提示されている問題のほうが間違っているのに、イエスかノーで答えちゃう。その枠組みがおかしいよと言えないし、気付かない。

武田:「自己責任」という言葉が使われるとき、曽野綾子さんみたいな人が出てきて「最近の若者は生ぬるい。私が若い頃はもっと大変だった」と今の人たちをけなす。時間軸で比較して押し付けてくる人いますから、「そういう人たちを何とかしていく」…と言うと具体的になっちゃうけれど。(そういう人たちを)注意していかないと、と思いますね。

町山:向こうが提示してくることが間違っているというのを言わなければいけないのだけれど、一人で言うのは難しいから連帯しようということなんですけれどね。

「その箱がおかしいんだよ」を言うのが大人の役割

武田:日本社会は格差を是正する機会が少ないことが分かってきた。この前の萩生田光一文部科学相の「身の丈」発言だって、裕福な家庭で育っていない高校生がいたら、あの発言を受けて「僕は大学に行っちゃいけないのかな」って思っちゃうだろうし、すでに思わせてしまっているかもしれない。そういう意味でも、大きな問題発言だったと思います。

町山:可能性の枠組みをどんどん小さくしていくんですよね。

武田:「若者」という大きな言葉でくくっちゃうのもよくないけれど、若者の人たちって状況察知能力が高い。空気や状況を読んで「僕はここくらいに抑えていこう」と察知して、そんな社会が形成されていくとしたら、寂しいしつまらないことだと思うし、強制するようなことをしていく人たちは梳(す)いていかないといけないと思いますね。

町山:大人は「そもそもその枠組みがおかしいんだよ」って言っていかなければいけない。

武田:若者たちは「この箱の中で何をしよう?」って思うんだけど、年を重ねた大人たちは「その箱がおかしいんだぞ」と言っていかないと。箱を与えておいて「自由に振る舞え」と言っても「その箱は限られているから動けないよ」ということになっちゃうから。

2050年を語る人たちに見てほしい

武田:町山さんが印象に残ったシーンはありますか?

町山:アビーに介護されている女性が「私も役に立つのかしら?」とつぶやくシーンですかね。

武田:ああいう人に「自分は生きている役割があるんだろうか?」と考えさせちゃう社会は明らかに間違っている。

町山:主人公のリッキーが、フランチャイズの宅配ドライバーとして働き始めるとき、本部のマロニーに「勝つのも負けるのもすべて自分次第。できるか?」とあおられて「ああ、長い間、こんなチャンスを待っていた」と答えるシーンがあるのですが、「勝ち負け」というのもポイントかなと。

本来は勝ち負けじゃないものを「勝ち負け」にすり替えられて「負けた」「負けた」と思わされる。ホリエモン的な人たちが仕掛けてくるやり方ですけれど。

武田:僕も一応、彼らの本をちゃんと読んでいるんですが「2030年の展望」とか「2050年のビジネス」と先回りして語られているんですが、今、世の中を生きていると「2019年12月をどう生きるか」が切実な問題になっている人もいるわけですよね。それをすっ飛ばして2050年を提案してくる。もちろん2050年のことも考えなければいけないんだけれど、それをすっ飛ばして「クールだね」と言われるのは違うなと思いますね。

町山:足浮いているぞって思いますけどね。彼らのゲームだからね。でも、彼らのゲームに乗る必要はないんですよ。

武田:ただ、切実なテーマの映画をそういう人たちにも届けたいじゃないですか。彼らに「俺、2050年のことを考えている場合じゃなかった」って思わせることが必要なのかなって。

町山:これだけ切実な具体的なことが迫ってくる映画を見て、それでも2050年のことを言っていたらバカに見えますよね。

武田:そういう人たちに映画を見てもらって、終わったときに「で、2050年はどうしますか?」と聞いてほしいですね(笑)。

『家族を想うとき』ってどんな映画?

『家族を想うとき』は、『わたしは、ダニエル・ブレイク』などで知られるイギリスのケン・ローチ監督の最新作。主人公のリッキーは、マイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立。妻のアビーはパートタイムの介護士として、朝から晩まで時間外まで働く日々を送っています。家族を幸せにするはずの仕事が、家族との時間を奪っていき、高校生の長男セブと小学生の娘のライザ・ジェーンは寂しい思いを募らせていく……というストーリー。

■映画情報
『家族を想うとき』公式サイト
12/13(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
【配 給】ロングライド
【写真コピーライト】photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019