精神保健福祉士の野口愛さん

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 精神や身体に障害を抱える人々の就労移行支援事業所「サンヴィレッジ三ノ宮センター」(神戸市中央区)で、精神保健福祉士として通所者の就職に向けた支援員を務める。

 面談を繰り返してコミュニケーションを深め、希望の職種に沿うよう、一人一人の適性を見極めて人材育成プログラムを組む。最終ゴールはあくまでも就職だ。

 精神保健福祉士を目指したきっかけは、父親の強迫神経症だった。幼い頃から精神障害を患っていた父親は、波がありつつも仕事をこなし結婚、野口さんが生まれた。ところが、野口さんが甲南大に進学した頃から症状が悪化。強迫神経症特有の一つのことに執着する症状を見せ始めた。

 いつまでも手を洗う。近くの公園を夜中から朝方までぐるぐると歩き回る行動を、何日も続ける。気が済んだ頃合いを見計らい、夜も明けきらぬ早朝、迎えに行くのが野口さんの役目だった。友人にもほとんど、父親の病気について話したことはなかった。

 父親の病状は進み、野口さんが3回生になった頃には重い鬱病を併発。風呂に入れない、食べない、話さない…。みるみるうちに痩せ、部屋が汚れていく。母親は泣き、父親自身も危機感を抱いて、自ら「病院に入る」と閉鎖病棟に4カ月間入院した。ショックや後悔、罪悪感の波が、野口さんに押し寄せた。

 父親の様子を見続けたことがきっかけで「精神疾患や福祉を学びたい」と就職の内定を断り、専門学校への進学を決めた。決心を伝えられた母親は、「あなたまでお父さんの人生を背負うことはない」と、またも涙を流したという。大学卒業後の平成30年、神戸医療福祉専門学校中央校(同区)の精神保健福祉士科に入学。精神福祉について1年間学んだ。

 専門学校へ通う傍ら、サンヴィレッジ三ノ宮センターでアルバイトを始めたのも、他ならぬ父親の病状を見守っていたから。入院では変わらなかった症状が、就労のためのスキルを身につける同センターに通い出したことで劇的に改善。精神の落ち着きを取り戻し、顔色が良くなり、体調も回復した。

 通所した人たちの就職率が高いことは、壁にずらりと貼られたイニシャルと就職先を記したカードが証明している。「これ、父のなんです」。そのうちの1枚を指さした野口さんが笑顔を見せた。

 通所者が在籍できるのは2年まで。その間に就職できなければ退所、就職が決まって入った会社が合わなくてもセンターに戻ることはできないという厳しいルールがある。つまり支援スタッフ次第で、通所者の人生が左右されることもあるということだ。

 「1年目でもベテランでも、通う人にとって私たちの役目は変わらない。支援にかかわると決めたら、人の2倍泳げる体力と精神力が必要」。専門学校時代の恩師に教わった思いをいつも胸に秘めて、通所者に向き合っているという。

 野口さんのもう一つの顔が、昨年7月にスタートした精神障害の親を持つ子供同士の交流会「WARAKATA(わらかた)」の主宰者。会の名は「笑って語って」から取った。交流会では、主に同年代の会員同士が不安や疑問、体験談をぶつけあい、「あるある」を共有する。気持ちが晴れ笑顔になることで、「家族と向き合う力」を蓄えることができる。

 「近い将来、小学生から大人まで、いろんな年代が集まって、一人で戦わなくてもいいんだよ、みんな一緒だよ。そんなふうに思ってもらえる場を提供し続けたい」と夢を語った。(木村郁子)

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 精神保健福祉士 精神障害のある人やその家族をサポートする。普通の生活を送るための訓練施設の紹介、就労支援など、社会復帰を手助けする国家資格。福祉系大学を卒業するか、一般大学卒業後に専門学校などで1年以上学ぶと受験資格が得られる。高校や短大卒などの場合は、実務経験の後に専門学校や通信教育で学ぶ必要がある。