11月19日に行われたベネズエラとのテストマッチで、日本代表は1対4で敗れた。

 日本代表が1対4で敗れるのは、17年12月の韓国戦以来だった。日韓両国ともに国内組で編成されたE−1選手権である。当時のヴァイッド・ハリルホジッチ監督が「韓国はパワー、瞬発力、技術、ゲームコントロールとすべての面で日本を大きく上回っていた。韓国を称えるしかない」と振り返り、翌年の解任の遠因にもなったゲームである。

 ベネズエラに負けたからといって、森保一監督の去就が騒がれることはないだろう。2年前の韓国戦とは、状況が異なるからだ。

 ベネズエラはほぼ1週間前に来日し、じっくりとトレーニングを積んでいた。指揮官ラファエル・ドゥダメルが、「一週間のトレーニングの成果が出た。完璧な試合をやってくれた」と話した出来栄えである。

 対する日本は、キルギスでのカタールW杯2次予選から帰国した選手と、ベネズエラ戦にのみリストアップされた選手が、16日から練習をスタートさせていた。コンディションにも戦術理解度にもバラつきがあり、チームの主力となってきた吉田麻也、長友佑都、酒井宏樹、南野拓実らが不在である。大迫勇也も招集されていない。主力メンバーを揃えたベネズエラとは、そもそもチームの成熟度に違いがあったと見ることはできる。

 ベネズエラは組織として磨かれており、一人ひとりの技術と戦術眼も高かった。森保監督が選手たちに求める「連係・連動」と「個で局面を打開する力」を兼ね添えたチームだが、そうは言っても世界的に飛び抜けたレベルではない。FIFAランキング26位は、彼らの現在地をほぼそのまま表している。

 そう考えると、敗戦は避けがたかったとは言えない。敗因を端的にまとめれば、「日本が自分たちのできること、やるべきことをまるでできていなかった」からだ。

 自分たちを追い詰めるようなミスが多かった。試合のリズムを失うミスであり、相手に主導権を譲るミスである。

 ミスを減らすことができなければ、ミスをカバーすればいい。1対1で劣勢なら、数的優位の局面で対応すればいい。チャレンジ&カバーを徹底し、ボール保持者を挟み込んでいけばいい。

 ピッチに立つ選手が変わっても、所属クラブとシステムが違っても共通するサッカーの原理原則を、ベネズエラ戦の日本は徹底することができていたのか。ハットトリックを決められたサロモン・ロンドンが優れた「個」でも、ゴール前で彼をフリーにしない、彼にパスを供給させない、といったことができていたのか。

 答えはいずれも「NO」である。

 4−2−3−1の日本に対して、ベネズエラは4−3−3だった。とくに相手がボールを保持している守備の局面で、システムのミスマッチを突かれたところはある。

 それにしても、解決不可能だったとは思えない。森保監督の働きかけで修正はできたはずだし、監督の指示を待たずに選手主導で対応したっていい。

 チームが機能しているかどうかは、ほかでもない選手が肌で感じているはずだ。うまくいっていないことを認識しながら、ズルズルと時間が過ぎていくことは避けなければならない。

 ところが、ベネズエラ戦は有効な手立てを持てずにハーフタイムを迎えている。カタールに完敗した1月のアジアカップ決勝のようだった。

 ベネズエラ戦の後半は持ち直した、押し返したという見方もできるだろう。しかし、客観的な立場になれば、ベネズエラが意図的にペースダウンした、リスクを取らない戦いへ切り替えた、と理解するのが妥当だ。前半を終了して4点差をつければ、日本だってそうするに違いないからである。試合後のドゥダメル監督も、「後半は得点を決める必要性が、もはやそれほど高くなかった」と話している。
 
 1対4という結果を、ヒステリックに責め立てるつもりはない。ただ、この試合を受けて、チーム内の序列は変わるだろう。変わらなければおかしい。
 
 チームの底上げの大前提となるのは、正しい競争原理だ。次にアピールのチャンスを得るのは、ベネズエラ戦をベンチで見守った選手たちになるべきである。