誰もが子どもの頃、1度は「おまけ付きお菓子」にハマったことがあるだろう。なぜおまけはこれほど人を惹きつけてしまうのか、その謎に迫る(写真:FamVeld/PIXTA)

モノ情報誌のパイオニア『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス社)と東洋経済オンラインのコラボ企画ちょいと一杯に役立つアレコレソレ「蘊蓄の箪笥」をお届けしよう。

蘊蓄の箪笥とはひとつのモノとコトのストーリーを100個の引き出しに斬った知識の宝庫モノ・マガジンで長年続く人気連載だ。今回のテーマは「おまけ」。意外と知らない基本中の基本から、あまり知られていない逸話まであっという間に身に付く、これぞ究極の知的な暇つぶし引き出しを覗いたキミはすっかり教養人だ。

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01. 「おまけ」とは、商品を購入した際に値引きをしたり、追加で物品を付属する行為あるいはその物品のこと

02. もともとは「御負け(おまけ)」の文字どおり、客との駆け引きに〈負けて〉店側が値を下げることを指した

03. 商人の値引きの起源としては、京都・八坂神社の摂社である冠者殿社の「誓文払い」があげられる

04. 冠者殿社は誓約の神として知られるが、その利益として偽りの誓文をした身を払い清めるとされる

05. それゆえ商売上の駆け引きで契約を破ったり、金銭を得ることに罪の意識を感じていた商人の信仰を集めた

おまけの文化はいつ頃から?

06. 古くから祭礼日の10月20日には遊女などが参詣して身を払い、商人は利益を還元する大安売りを行った

07. この風習が値引き商法を生み出し、その流れとしておまけの文化が発達したともいわれている

08. おまけという言葉が全国的に使用されるようになった明確な時期や経緯は明らかになってはいない

09. しかし、大正時代に縁日で販売されたトコトンアメの口上には「もうひとつおまけ、トコトンアメ」とある

10. その頃にはおまけという言葉が一般化していたと推測されるが、昭和初期の『辞苑』には掲載されていない


11. 『辞苑』(博文館)は1935年に完成した辞書で、のちに『広辞苑』(岩波書店)となっている

12. 1639年加賀藩から分藩した富山藩は経済基盤確保のため、16世紀半ばから盛んになった製薬業に力を入れる

13. 18世紀には売薬が富山藩の一大事業となり、薬売りが各地を巡る「置き薬(医薬品配置販売)」方式で発展

14. その際、富山の薬売りが得意先にサービスとして持参したのが「富山絵」と呼ばれる浮世絵版画だった

15. 江戸時代後期から行われ「売薬版画」ともいわれるが、歌舞伎役者絵や名所絵などさまざまな図柄があった

16. カラー印刷の珍しい時代で需要も多く、また荷を背負う薬売りにとっても軽量で扱いやすいおまけだった

17. 富山絵は江戸〜昭和初期まで続いたが、紙風船、食べ合わせの表、歌舞伎情報、レンゲの種子などもあった

18. 当時は〈おまけ〉ではなく「進物」「土産物」と呼んだが、全国におまけ文化を広めた要因の1つだった

19. 19世紀後半、アメリカでは紙巻煙草の自社宣伝や包装強度を保つために「カード」を同封するようになる

20. これは「シガレット(煙草)カード」と呼ばれ、アメリカ拠点のAllen & Ginter社は1875年にスタートしている

21. シガレットカードには女優や野球選手、ボクサー、国旗、野生動物などが美しいイラストで描かれていた

22. シガレットカードはアメリカのみならずイギリスでも発展し、最終的には世界各国で見られるようになった

23. 明治維新を迎えた日本も同様で、日本初の両切り煙草を製造し〈煙草王〉と呼ばれた村井吉兵衛がこれに着目

24. アメリカでアメリカン・タバコ・カンパニーを創業したジェームズ・デュークの支援を得て独自カードを制作した

25. デュークから版を買い取り自ら印刷工場を建てると、西洋女性や風景画、花など多彩なカードを生んでいく

26. 村井はそれを1891年に発売した「サンライス」と1894年発売の「ヒーロー」という自社煙草に封入した

27. このカード封入によって村井の煙草は爆発的に売れるが、カードを目的とした子どもの喫煙が増加

28. それが社会問題となり、1900年4月には満20歳未満の喫煙を禁止する「未成年者喫煙禁止法」が施行される

「おまけ付きグリコ」が生まれたワケ

29. 1919年に栄養菓子「グリコ」を生み出した江崎利一は、1922年から三越百貨店でその販売をスタートさせる


おまけ付きグリコ。写真は2005年に販売された「タイムスリップグリコ」で、1970年に開催された大阪万博のフィギュアのおまけが入っていた(写真:時事)

30. しかし栄養菓子市場はすでに大手だった森永製菓、明治製菓に占められており、江崎の市場参入は困難だった

31. そこで江崎は販売促進のため村井の煙草カードをヒントに「カード」や「乳菓」を商品のおまけとして添付

32. 1927年には「おまけ付きグリコ」としてメンコや大阪造幣局制作の銅製メダルを付けるようになる

33. 人気は上昇するが当時は商品とおまけが同一袋に入っていたため、子どもたちが手探りすることも多かった

34. 小売店からの苦情が相次ぎ、江崎は商品とおまけを別パッケージにした通称「おまけサック」を開発する

35. このおまけサックの導入によってグリコの生産量は2〜3倍増となり大きな発展を遂げることになる

36. 1934年にはグリコ株式会社となり、セルロイドやアンチモニー、木、土製のおまけ玩具も作られた

37. 太平洋戦争中はおまけの材質も制限され、1942年にはおまけが消え商品そのものも配給制になった

38. この当時のものは白色パッケージで「配給グリコ」と呼ばれ、翌1943年には物資不足により生産をも停止する

39. 1945年に終戦を迎えるとライバルである森永、明治が配給統制の制限を受ける中、グリコは真っ先に再開

40. 調達できる範囲で材料を集め〈おまけ付きグリコ〉を菓子ではなく「食品付き玩具」として販売した

41. これは〈玩具〉として販売することで配給統制による規制をすり抜ける江崎グリコならではの裏技だった

42. 菓子類の販売統制解禁とともに紅梅食品(紅梅製菓)がキャラメルのおまけにしたのが「野球カード」だ

43. この野球カードは水原茂監督が率いた当時の読売巨人軍選手のブロマイドで、監督+9人の選手の10種

44. 川上哲治や千葉茂など人気選手がラインナップされており、カードを集めることで景品交換も可能だった

45. 実は、1947年設立の紅梅食品は日本初のプロ野球テレビ中継(巨人vs阪神戦)のスポンサーとして知られる

46. キャラメルは〈野球は巨人、キャラメルは紅梅〉というキャッチフレーズで販売され大ヒットとなった

47. 次第に〈おまけ付き菓子〉は一般化し、おまけの工夫によって菓子の販売数が左右されるようになっていく

48. 1952年岡山のカバヤ食品が製造・販売し、キャラメルにポイントを付けた「カバヤキャラメル」もその1つ

49. 50ポイントを集めることでハードカバーの児童用文学全集から1冊をプレゼントするというおまけ企画だ

50. 当時高価だった児童文学書をキャラメル購入で容易に入手できることから学校単位の応募もあったという

51. しかし翌1953年に新たに「カバヤマンガブック」をラインナップしたことで好意的だった学校やPTAが反発

52. それまで好調だったカバヤキャラメルだったが、不買運動にまで発展してしまう

テレビの普及でキャラクターをおまけに起用

53. 昭和30年代後半になるとテレビの普及や生活水準の向上とともにおまけの内容にも変化が生じる

54. 1961年、明治製菓は夏でも販売可能な糖衣チョコレートを開発し「マーブルチョコレート」として新発売


手塚治虫原作の『鉄腕アトム』は1963年からテレビアニメ版が放送を開始(写真:共同通信)

55. 一方、森永は同じく糖衣チョコレートとして筒のフタの部分におまけを付けた「パレードチョコ」を発売する

56. 森永の躍進に対し、明治はマーブルチョコのおまけとして1963年から『鉄腕アトム』シールの添付を開始

57. 手塚治虫原作の『鉄腕アトム』は1963年からテレビアニメ版が放送を開始し、明治はそのスポンサーだった

58. 明治の作戦は大成功で、のちに森永は『狼少年ケン』、グリコは『鉄人28号』のおまけ付き商品を販売する

59. 「キャラクターのおまけ付き菓子」の成功はキャラグッズが利益になることを示すビジネスモデルとなった

60. 1971年4月3日、石森章太郎原作・東映製作による特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の放送がスタート

61. 1971年12月カルビー製菓は「仮面ライダースナック」を発売し、「仮面ライダーカード」をおまけとした

62. カルビーは番組スポンサーも務めたがこれは創業者松尾孝と同郷・同窓だった東映・岡田茂の勧めだった

63. スナックの定価は20円。1袋に1枚のカードがおまけとして付いたが、スナック袋とカードは別々だった

64. スナック50袋入りの段ボールに54〜55枚のカードが同梱され、客は購入時に店員からカードを手渡しされる

65. 当時、子どもたちの間ではスターやヒーロー、アニメキャラなどの「ブロマイド」が流行していた

子どもにとって最新の情報源でもあった

66. その流行に便乗したライダーカード案はカルビー関係者の友人で経済学者・栗本慎一郎の提案だったという


仮面ライダー1号。写真はマカオにて開催された「仮面ライダー大集結特展」(写真:Imaginechina/時事通信フォト)

67. カードの表面にはライダーや怪人等の写真、裏面には通しナンバーと写真に関する解説文が記されていた

68. この解説文は番組プロデューサーの阿部征司が執筆しており、子どもたちの最新情報源になっていた

69. カルビーはカード制作にあたり石森プロの版権スチール撮影を手がけていたグループ・ナインと独自契約

70. 『仮面ライダー』は毎週土曜放送だったが、本編の撮影現場に写真スタッフを派遣してカード用に同時撮影

71. そのためテレビ放送直後の情報が即座にカード化されスナックに添付された

72. このおまけのライダーカードは全546枚だが、同番号であっても細部が異なるカードが52種存在する

73. 異種カードの差異はさまざまで、まったく画面が異なる、トリミング違い、解説が異なるものなどがあった

74. これは再版による発行時期の差や、各印刷所の作業の違いから生じたものといわれている

75. また「ラッキーカード」と呼ばれるレアカードがあり、これをカルビーに送付すると専用アルバムがもらえた

76. ラッキーカードの裏面は通常版と異なり、〈ラッキーカード〉の文字、カードの解説、カード送付の有効期限

77. 加えて、ラッキーカードの送付先としてカルビーの宇都宮工場と広島工場の住所が記載されていた

78. しかし応募するとカードが手元に残らず、のちにカルビーはカードに〈S〉の赤スタンプを押して返送した

79. 人気の一方でカードだけを集めてスナックを捨ててしまう「ライダースナック投棄事件」も全国で相次いだ

80. カルビーはスナック袋に〈お菓子は残さず食べよう〉という一文を印刷し、小売店にも販売対策をとった

81. 1977年、ロッテはチョコをウエハースで包みおまけシールを封入した新製品「ビックリマンチョコ」を発売


1980年代に流行したロッテの「ビックリマンチョコ」。写真は復刻版の「ビックリマン伝説」(写真:時事/ロッテ提供)

82. 1985年に10代目となる「ビックリマン〈悪魔と天使〉シール」シリーズを発売すると、これが大ブームとなる

83. おまけシールは天使・悪魔・お守り・ヘッドとカテゴリー分けされており2カ月ごとにバージョンが変わった

84. 発売翌年から小学生を中心に人気を集めたがヒット要因はシールにストーリー性、ゲーム性があったことだ

大人も夢中になるクオリティーが高いおまけも登場

85. ダジャレに見えるが『創世記』を匂わす密度の高い設定があり、シリーズが進むごとにキャラがパワーアップ

86. その結果、このおまけシールをもとに漫画やアニメが誕生。お菓子のおまけの歴史を変えるヒット商品となる

87. 1978年にカバヤ食品が発売した「ビッグワンガム」はおまけの「簡易プラ組立キット」の精巧さで人気を博す

88. 素材は軟質プラスチックで接着剤を使用しない〈はめ込み式〉になっており児童にも扱いやすかった

89. プラモデルの金型設計は、初期は駄菓子屋玩具を制作する駄玩技師が、のちにプラモ技師が担当した

90. プラモの種類は豊富で軍用・民間用を問わず陸・海・空に関わるものを網羅し、大人のマニアまで魅了した


フルタ製菓の玩具付き菓子「チョコエッグ スーパーマリオ スポーツ」(写真:時事/フルタ製菓提供)

91. 1999年にフルタ製菓が発売した「チョコエッグ」は空洞の卵型チョコレートの中に玩具が入っている構造

92. 玩具の制作にあたっては、海洋堂から提案された「日本の動物模型」を採用し、1999年9月に第1弾が発売された

93. 第1弾の企画・原型を担当したのは海洋堂所属のモデラーでネイチャーフィギュアの第一人者・松村しのぶ

94. これまでのおまけとは段違いの造型クオリティーが話題を呼び、食品玩具ブームの火付け役となった

95. 加えて、商品リストには掲載のない「シークレット」と呼ばれる希少フィギュアも混入

96. このアイデアがコレクター心をくすぐり、チョコエッグは発売から3年間で1億3000万個を売り上げた

97. ノンキャラクターで大成功を収めたチョコエッグだったが、2001年にフルタはディズニーキャラ版権を獲得

98. 方向性の違いから海洋堂は離れ、2002年発売「チョコエッグクラシック」が海洋堂の最終作となった

99. 現在「おまけ付き」の商品は菓子のみならず、飲料や入浴剤、雑誌、アニメDVDなど広範囲に存在する

100. またおまけそのものもムービーカメラやオンラインゲームの暗証番号、化粧道具など多岐にわたっている

(文:寺田 薫/モノ・マガジン2019年12月2日号より転載)

参考文献・HP/「おまけの博物誌」(PHP新書)「おまけとふろく大図鑑」(平凡社)「貧しくても元気だった懐かしの昭和30年代」(扶桑社)、タバコの文化史、江崎グリコ、森永製菓、明治製菓、カバヤ食品、カルビー、ロッテ、フルタ製菓ほか関連HP