私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第10回
アテネ五輪に出場できなかった主将の胸中〜鈴木啓太(2)


アテネ五輪アジア最終予選の壮絶な戦いを振り返る鈴木啓太

 アテネ五輪最終予選、UAEラウンドの最終戦となるUAE戦、スタジアムは1万人を超える観衆が詰めかけ、完全にアウェーと化していた。

 勝ち点2差で首位のUAEを追う日本は、最低でもドロー以上の結果が求められていた。だが、試合前日に選手の多くが細菌性腸炎に見舞われ、下痢や微熱などの体調不良で苦しんでいた。

 試合前、キャプテンの鈴木啓太はトイレに行くと、それまで見たことのない悲惨な光景にあ然とした。

「普通、スタジアムの個室トイレって、扉が開きっぱなしじゃないですか。でも、その時はすべての(個室の)扉が閉まっていて、しかも(個室が空くのを)待っている選手がかなりいた。想像以上に、みんな、酷かった。これは、本当に大変な試合になるな、と思いましたね」

 日本はグループ最強の相手、UAEとの試合前に早くも窮地に立たされていたのである。

 試合は前半、日本が体を張った守備を見せ、また、UAEのシュートがバーを叩くなどの幸運にも恵まれて、0−0で折り返した。プランどおりの展開だったが、森崎浩司ら選手の表情には疲労の色がにじみ出ていた。

 後半30分を過ぎ、日本はドローを視野に入れての試合運びをしていた。まさしく体力的にも、精神的にも厳しい状況にあった。しかし後半39分、後半から出場した高松大樹が先制ゴールをゲット。さらにその3分後、田中達也が追加点を挙げ、2−0と勝利した。

 日本は、最大の難関を乗り越えたのである。

 試合が終わり、選手がふらふらの状態でピッチからロッカールームに向かっていった。その時、日本のテレビのインタビューを受けていた山本昌邦監督は感極まっていた。

「昌邦さんが泣いていたのは、知らなかったですね。監督として、相当なプレッシャーがあったと思います。

 試合後、僕も英語でインタビューをされましたけど、何を喋ったのか、まったく覚えていない。試合内容も、必死すぎて、余裕もなくて、記憶がないんですよ。そういうのは、それまでのサッカー人生で経験したことがなかった」

 ロッカールームに戻ると、下痢で苦しんでいた選手たちは消耗し切っていた。トイレに駆け込む選手もいた。勝利の喜びを爆発させる元気も、余裕もまったくなかった。

「みんな、かなり疲れ切っていた。ただ、勝ってホッとした、という感じはあったかな。(UAEラウンドで)これだけの勝ち点(勝ち点7)を取れると思っていなかったからね。個人的には、UAEの強さは身に染みてわかった。帰国したあとには、すぐに日本ラウンドも始まるし、『まだまだ厳しい戦いが続くな』と思っていた」

 試合後、ミックスゾーンに出てきた鈴木は、待ち受けるメディアに対応した。「チームの動きが悪かったようだが?」という質問を投げられると、鈴木は少し沈黙し、返答に窮した。”集団下痢”のことは言えなかったのだ。

「(沈黙の際には)その質問をどう処理しようかって、考えていましたね。正直には言えないなって。下痢は、言ってはいけないラインだと僕は考えていたんです」

 その後、山本監督がUAE戦の前日に”集団下痢”に襲われたことを吐露している。

 日本に帰国したチームは、阿部勇樹、大久保嘉人らを新たに選出した。重症だった成岡翔と、体調が戻らない菊地直哉の代わりに、近藤直也と根本裕一も追加で招集された。

 日本ラウンドも、UAEラウンドと同様、中1日で3試合を戦うスケジュールで行なわれた。3試合とも同じメンバーで戦うことは難しく、選手をうまくやり繰りしながら戦うことが求められた。ただ、平山相太など、下痢の影響で体調が万全ではない選手がまだ何人もいて、鈴木曰く「(日本の)台所事情はてんやわんやだった」。

 日本ラウンドの初戦も、バーレーンと対戦した。UAEラウンドでは引き分けに終わった相手だが、ホームでは勝ち点3が求められた。日本はコンディションが戻らない選手を多数抱えながらも、新戦力の大久保や阿部を温存して試合に向かった。

 すると、またしても日本に不運が襲った。

 チームの精神的な支柱であり、攻守の中軸でもある田中マルクス闘莉王が、前半31分に肉離れのため、負傷交代を余儀なくされたのだ。

「闘莉王がいなくなって、チームは大きく動揺しましたね。彼は攻守の要であることはもちろん、『おとなしい』と言われたチームにあって、ガンガン物を言う異色の存在で、その存在がチームにとって非常に大きかった。そういう選手がいなくなったのは、痛かった」

 闘莉王に代わって、急きょ阿部が入った。また、左のウイングバックには追加招集された根本が初スタメンで入っていた。主力が下痢の影響で動きが重かったせいもあり、全体の連係がうまくかみ合っていなかった。

 結局、決定的なチャンスを作れず、逆に相手のカウンター戦術にハマッて、0−1で初戦を落としたのである。

「『スベッたな』って思いましたね。『これはヤバいな』って。UAEラウンドで積み重ねてきたものが、このバーレーン戦に敗れたことで、一瞬にしてなくなった。しかも、内容的にも酷かった。攻撃の形を作れず、焦っていくなかで1点取られた。相手は5本しかシュートを打っていないんですよ。でも、そのうちの一発にやられた。この敗戦のショックは大きかった」

 UAEも日本ラウンドの初戦でレバノンと引き分け、この時点でUAEとバーレーン、そして日本が勝ち点7で並んだ。次のレバノン戦で日本が敗れ、UAEとバーレーンの試合でどちらかが勝てば、日本はかなり危機的な状況に追い込まれることになる。

 もう負けられない状況のなか、山本監督はレバノン戦でフレッシュな近藤と阿部を最終ラインに配置した。コンディション不良で初戦を欠場した平山と森崎を先発復帰させ、”切り札”の大久保もスタメンで起用し、勝負に出た。

 だが、この大事な試合のスタメンに、キャプテン鈴木の名前はなかった。

「試合前日に、昌邦さんから『明日は(試合に)出さないから、最終戦に備えてくれ』と言われたんです。でも(自分は)それを額面どおりには受け取れなかったですね。だって、レバノンに負けたら、終わりなわけですよ。(自分は)その試合に勝つためなら『次に出なくてもいい』という覚悟でしたし、そのぐらい大事な試合だったんです。その試合に出られない……自分の実力のなさもあるけど、ほんと悔しかった」

 鈴木はベンチにいながら、味わったことがない緊張感のなかで戦況を見守っていた。しかし、阿部や大久保らが身を硬くするような緊張感とは無縁のハツラツとしたプレーを見せ、そのふたりがゴールを挙げて、2−1で勝利した。

「嘉人と阿部はやっぱりやるな、と思いましたね。さすが役者だな、と。UAEから戦ってきた選手はプレッシャーがかかっていたけど、彼らは違った。ふたりからすれば、『(自分を)なんでUAEに連れていかなかったの?』って感じでギラギラしていたし、『やってやろう!』という気持ちが出ていた。嘉人と阿部は、僕らの世代の中の実力者であることを証明してくれた」


厳しい戦いを経て、アジア最終予選を突破したアテネ五輪代表。photo by REUTERS/AFLO

 迎えた最終戦のUAE戦。試合前、スタメンに復帰した鈴木は、それまでのサッカー人生のなかで「一番緊張していた」という。勝たなければいけないプレッシャーはもちろん、UAEラウンドでも牙をむいてきた相手のエース、FWイスマエル・マタルの存在も気になっていた。

「夜、寝ようとすると、(頭の中で)マタルの薄ら笑みを浮かべた顔が浮かんでくるんですよ。『こいつを抑えないといけない』という使命感があったし、日本とバーレーンが勝ち点10で並んでいましたからね。UAEに負けると(アテネ五輪の)出場権を失う可能性が高かったので、絶対に勝たなければいけない。ここ2年の活動の集大成となる試合だったので、すごく緊張していました」

 試合は前半12分、那須大亮のゴールで先制すると、日本のペースで進んだ。先行され、気落ちしたUAEは、後半12分にエースのマタルがレッドカードで退場し、完全に戦意を喪失した。

 結果、日本は3−0と勝利。ピッチにいた鈴木は試合後、すぐにベンチに向かって走り出した。バーレーンとレバノン戦の結果を知りたかったからだ。

「ドロー!」

 ベンチからの声に、鈴木はホッと胸をなで下ろした。

 日本は、3大会連続で五輪出場を決めたのである。

(つづく)