「今夜は、ちょっと・・・」食事会後、“2人きりで飲もう”という女の誘いを男が断った理由とは
東大出身の、ハイスペック理系男子・紺野優作28歳。
ハイスペック揃いの仲間内で“平均以上”を死守することを至上命題としてきた優作。
そのポジションを維持するため、今、次のステージ「結婚」へと立ち上がることを決意する―。
◆これまでのあらすじ
大手メーカーでロボット研究をする優作は、4年ぶりに東京へ戻ってきた。
周囲が結婚を自分事として捉え始めたことに気づき、結婚できない男と評されることを恐れた優作は、婚活を始め、バーベキューで芽衣子と出会う。
「へぇ。じゃあ本当は出版社とか広告代理店で働きたかったんだ」
今日は芽衣子と2回目のデート。昼下がり、表参道の『アニヴェルセルカフェ』のテラス席にいる僕らは、秋の柔らかな日差しに包まれていた。
用意してきたいくつかの質問を、彼女は機嫌よく答えてくれる。
「そう。ずっと、書くことが好きで。編集者とかコピーライターとかになりたかったんです。でも1つも内定もらえなくて、今の会社に」
芽衣子は、もう過去のことだ、という口調で答える。未練がなくアッサリしているが僕はそれが逆に気になった。
「そうなんだ。まだ全然遅くないと思うけど」
すると、彼女はぶんぶんと頭を振り、恥ずかしそうに打ち明けた。
「今は、小説を書いていて。書き上げたけど、それだけで…」
「なんで?じゃあ僕に見せてみればいいじゃないか」
僕が手を差し出すジェスチャーをすると、芽衣子は照れながら、嫌だと駄々をこねた。
「でも温めてても仕方ないだろう?ロボットもさ、とにかく動かすんだ。動かしたもん勝ちというか。どれだけ考えてても、秘めとくだけじゃダメなんだ」
喉が渇き、ティーカップに口をつける。そしてふと気づく。
―また1人で語ってしまった…!
前回のミスを再び起こすという致命傷。
しかし芽衣子は澄んだ瞳でこちらをじっと見つめているだけだった。
優作の前に、芽衣子とは対照的な、“夢を叶えた”女が現れて…?
◆
芽衣子との2回目のデートを終え帰宅する途中、大学の同期会があるとの連絡を受けた。
あの後、芽衣子の希望もあって根津美術館を訪れ、帰り際に3回目のデートの約束を取り付けることに成功した僕は、なんとなく気分がよく、同期会などという面倒な集まりに顔を出す気になったのだ。
なんと場所は、あのノースリーブの女・リサと出会ってしまった六本木のレストラン。
再び絡むべきでない糸が絡んでしまうのではないか、そんな予感をかすかに抱いてはいたものの、28歳という年齢で六本木にビビっているのもダサいと言い聞かせ、僕はその予感を胸の奥に抑え込んだ。
カスミ草とバラ
斜め前にいる女性が、日々野環奈だと気づくまでに、どれくらい時間がかかっただろう。
「ねぇ、私のこと覚えてないの?」
不敵な笑みで、彼女は僕に話しかけた。
程よく開いた胸元から見える鎖骨と白い肌。リサより露出は少なめなのに、色っぽさをより感じた。
一粒のダイヤが、白い肌によく映える。
―芽衣子も光物が好きだろうか?
芽衣子と何も関連性がないこの場で、ふいに彼女を思い起こしたことを不思議に思う。
「優作くん?」
もう一度呼びかけられハッとする。目が合うとその瞳は、当時牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけていた環奈と何一つ変わらなかった。
「環奈…?」
6年も昔のことで、当時何と呼んでいたか思い出せない。
―日比野だっけ?環奈だっけ?まあいいや…。
僕は環奈、で押し通すことにした。
「今、どうしてるの?大学院のときも、卒業してからも、一度も来なかったから気になってた」
「ああ、僕は相変わらずロボット研究だよ。変わりなく。環奈は?」
すると彼女はふふっと笑った。
「もう、何にも覚えてないの?院に行かないで、広告代理店に就職するって決めたとき、本当にやりたいならいいんじゃないって言ってくれたの、優作君だけだったのに」
「あ…そういえばそんなこともあったな」
思い出される22歳の春。女性というだけで若干目立ってしまう工学部で、環奈は紛れもなく優秀な部類だった。
その彼女が、文系の友人に誘われ応募した大手広告代理店のインターンで囲い込みを受け、院に行かないという選択をしたのだ。
「あのとき嬉しかったんだよ。皆、ここまでやってきたことを捨てるなんて勿体ないって、誰も応援してくれなかった。最初から文系でよかったじゃんって言われて」
「僕はただ、自分の人生なんだし、やりたいことやればって思っただけ」
すると環奈は呆れたような口調で、頬を膨らましながら言った。
「そんなにみんな、強くないんだよ」
そして僕はなぜかまた、芽衣子のことを思い出す。
「ねぇ、知ってる?夏によくやってた、日焼け止めのCM。あのコピー、書いたの私なの。ロボット研究してたのに、私いつの間にかコピーライター」
環奈が笑った。僕はなぜか少しだけ反応に困る。
芽衣子が目指していた場所に、目指さずともたどり着いた環奈。
―カスミ草とバラ。
僕はなぜかその2つの花を対比するように連想した。
優作は環奈のさらなる一言に動揺を隠せず…?
同期会も後半は環奈と離れ、僕らはお互いに別々の輪の中にいた。
「すごく雰囲気変わったよな、大人っぽくなって」
同意を求められるように囁かれ、遠目に環奈をもう一度見る。
学生時代、ともにロボット研究に勤しんでいた彼女は桜蔭出身だった。熾烈な中学受験を戦い抜いた共通点があるせいか、よく話したわけでないが、どことなく馬が合ったのを思い出す。
「うーん。そうなのかなぁ」
僕は曖昧に言葉を濁す。
―環奈も、結婚なんてことを日々考えたりするんだろうか?
そうこうしているうちに幹事が1次会の終了を告げた。2次会への誘いが飛び交う中、僕はいち早く店の出口へ向かう。
ふいに、腕を掴まれた。陶器に触れたような冷たさ。振り返ったとき、ほのかにバラの香りがしたのは、幻想だったのだろうか。
「待って、優作君。もう帰るの?」
「あ…うん」
「…2人で飲み直さない?」
僕はたぶん目を見開いたと思う。まさかのモテ期到来か?悪い気はしないが、明日は芽衣子と3回目のデートだ。体力は残しておきたい。
「ちょっと今夜は…」
「そっか…。じゃあLINEだけ交換しとこうよ」
断る理由もないので、環奈の提案を快諾する。スマホを取り出す彼女の爪はキラキラと輝き、長く整えられている。改めて、彼女はもうロボットと決別したのだな、と実感した。
◆
芽衣子との3回目のデートに、僕は銀座にある『鮨 竜介』を選んだ。
これは“既婚者”というラベルを手に入れる、または“結婚できない”という称号を回避するための戦いだ。チンタラしているのは性に合わない。僕は今日クロージングをかけることに決めていた。
「緊張しちゃうね」
白木のカウンターが眩しく、ネイビーのワンピースに身を包んだ芽衣子は、僕にだけ聞こえる小さな声でそう言った。
「昨日は勉強してた??」
すっかりくだけた話し方で会話するようになった彼女が問いかける。
「いや、大学の同級生を集めた飲み会があって、それに初めて行ってみた。みんな理系なんだけどさ、1人だけコピーライターになってた奴がいたよ」
意識したわけではないが、何となく環奈のパーソナリティには触れずにおいた。
「すごい!きっと、その彼にとっては大きな決断だよね。今まで築いてきたものを捨てるって」
「うーん。そうなのかなぁ」
「きっと、コピーの世界に魅了されたんだね。やっぱり、好きなことを仕事にできるってすごいなって思う。だって簡単なことじゃないじゃない?私にはできなかったから」
芽衣子が環奈を男と思い込んだことが若干気になりもしたが、それ以上に気になったのは、昨夜、環奈が「コピーライター」と笑ったときの口調だ。
―ホントにあいつは好きな仕事をしているのか?
ふとそんな疑問を抱く。
「優作君、でも私も諦めない。小説応募してみようかなって思ったの」
「おお、そうか。でも僕じゃないのか、第一読者。いきなり大海原に出ていく感じだな」
「私も意外と度胸があるの」
芽衣子はいわゆる“ドヤ顔”の表情で、僕に笑いかけた。
◆
会計を済ませて店を出た後、僕は間髪入れずに交際を申し込んだ。
「…どうだろう、結婚を前提にお付き合いするというのは」
頷く芽衣子は耳が赤く染まっている。
「……かわいい」
僕は自分が発した声だと気づくまでに数秒かかった。
芽衣子が恥ずかしがるように僕の腕を軽く叩く。
幸せに包まれ始めたその瞬間、僕のパンツのポケットの中で、スマホが控えめに振動を伝えていた―。
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芽衣子とめでたく交際が始まるものの、優作は環奈に呼び出されて…?