女性誌『Suits WOMAN』で注目を集めた「貧困女子」。これは普通の毎日を送っていたはずが、気がつけば“貧困”と言われる状態になってしまった女性たちのエピソードです 。

三枝信子さん(仮名・35歳・無職)は、2か月前まで派遣社員だったのですが、うつ病が原因で仕事を辞めてから無職生活を続けています。

「貯金がみるみる少なくなり、あと80万円しかありません。食費を切り詰め、暖房も入れられず、真っ暗な部屋で、布団をかぶって昼夜逆転生活をしています。頼れる親族もおらず、今は家賃7万円のワンルームマンションで、破滅の時を待っているような感じ。動こうにも動く気力もなく、毎日、死にたいと思いながら目覚めて、死にたいと思いながら眠ります」

信子さんは福島県郡山市出身。大学進学と同時に東京に出てきたのは、実家と縁を切りたかったから。

「両親は私が8歳の時に離婚しました。原因は、父親の実家が入信していた宗教に、母がなじめなかったからです。母に一目ぼれした父は、猛アタックして結婚。母は『あなたが信じている宗教を辞めるなら結婚してもいい』という条件を出して、結婚し私が生まれました。父はいったん棄教したのですが、私の祖父母の猛烈な説得があり、再入信。より強くその宗教を信じるようになり、母にも入信をすすめることが度重なり、母は私を置いて出ていきました。今は何をしているか不明です」

お母さんは、信子さんが学校から帰ってくると、家にいなかったそうです。なんの書置きもなく、信子さんに対してもなんの未練もない様子だったとか。

「母が実家と縁が薄く、母方の祖父母とは会ったことがありません。私は父側の祖父母にかわいがられていたので、そういうところもイヤだったんでしょうね。私は幼いころからその宗教の集会に行き、たくさんの子供と大人に囲まれて楽しかった」

その5年後、お父さんはその宗教の信者で10歳年下の女性と再婚。

「継母もいい人なんですが、父との間に子供が2人生まれると、空気が変わってきますよね。家庭で私だけが阻害されていました。祖父母も新たに生まれた弟妹に夢中。私は成績が良かったので、東京の大学に進学したのですが、それが縁の切れ目になりました」

母親がおらず、常に大人の歓心を得ることを心がけていたという信子さんは、人に迷惑をかけることを極端に避ける性格だという。

「嫌われないようにびくびくしてしまうから、いつもつけこまれるんです。『誰かが守ってくれる』という安心を得られないので、つい相手に媚びてしまうんですよね。だから歴代の彼氏はDVだったり、ヒモだったり。東京の中堅私大を出てから、お茶の製造会社に勤めたのですが、これもパワハラに遭って、3年で辞め、派遣社員になりました」

正社員の時は、会社に魂と人格を預けて働いているような気がしたといいます。その会社は、社訓を毎朝唱え、社員飲み会や社員旅行を頻繁に行なっていました。休日がその旅行にかぶることもあり、その日の給料は払われないのに付き合うのもイヤだったけれど、断れなかったそうです。一方で、その会社に派遣で来ていた人は、仕事が終われば定時で帰り、余計な付き合いに参加しなくてもよかったのです。

手取り給料が少なく、タッパーのごはんと納豆で昼食

「それに、派遣社員は手取りが多い。新卒で勤務した会社の手取り給料は16万円でしたから。私たち正社員がタッパーにご飯をつめて持って来て、納豆と即席みそ汁でデスクで昼食。一方で派遣さんは外のレストランで、1000円のランチを食べられる。それがいいなと思いました」

そんな気持ちから仕事を辞めて派遣会社に登録し、順調に仕事を続けます。

「大手広告代理店、自動車会社など2社経験しています。この2社は長かったです。やはり、大手の会社の方が働きやすい。社員さんも派遣に対して“まとも”な扱いをしてくれます。おそらく、セクハラや差別などは、社会的責任もあって、自制しているんでしょうね。派遣も順調に更新されて、いい感じでした。2社目の会社は、規模縮小で更新されなかったのですが、私は派遣社員なのにお別れ会までしてくれたのです。私がうつになったのは、3社目の中小企業です」

薬に頼らず、治療したいと思っても、薬の量は増えていっている。

中小企業では男性がストーカー化、様々なトラブルが重なり、適応障害からうつに〜その2〜に続きます。