来日したジュリアン・シュナーベル監督とウィレム・デフォー

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 映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』で画家フィンセント・ファン・ゴッホを演じた俳優ウィレム・デフォーとジュリアン・シュナーベル監督が来日時にインタビューに応じ、デフォーの演技法の秘密がひもとかれた。誰にも理解されなくとも自分が見た“世界の美しさ”を信じ、不器用なまでに芸術と向き合った孤高の画家が、自らの人生を通して何を見つめていたのかを感動的に描き出した本作。ゴッホそのものとして存在したデフォーは、第75回ベネチア国際映画祭・最優秀男優賞に輝き、オスカー主演男優賞初ノミネートも果たした。

 デフォーにとって、演じるとは「“する(doing)”ということ」。「本作は絵を描くことについての映画だ。だから僕は実際問題として絵を描かなくてはいけないし、キャラクターとして絵を描くことについて知っていなくてはいけない」と画家でもあるシュナーベル監督から手ほどきを受けたという。

 「彼からは、どのように絵具を混ぜて、筆を持ってカンバスに置き、物事をどう見るかということを学んだ。例えば木を見た時、僕が木そのものを描こうとしたら、彼は『待って。見て。何が見える? 光が見えたのなら、光を描くんだ』と。その時から、僕は物事を違った風に見るようになったんだ。それは絵を描くことだけでなく、ゴッホが何を話していたのかを理解する鍵になった。彼が書いた手紙の数々ももちろん読んだわけだけど、絵を描き始めるまでは何を言っているのか理解できない部分がいくつかあったんだ」

 「“する(doing)”」ということが、物の見方まで変えていく。デフォーは「学びの過程で自分が知っていることを越え、考えることを越え、自分自身の衝動や世界の見方を“外”にあるものと交換する。そうすれば完全にその人物にトランスフォームすることになる。実際にその人物として感じることになるんだ」と説明し、シュナーベル監督はそれはゴッホの画法にも共通すると続ける。

 「ゴッホは『描いている時は考えない。考えるのをやめて感じるんだ。僕は自分の内と外にある全てのものの一部だと』と言っていて、それこそウィレムがやっていたことだと感じた。彼は自分の内と外にある全てのものの一部になり、知っていることも知らないことも自分の中に取り入れて、“その瞬間”をわたしが撮影した。彼がゴッホとして存在している時、それは最も純粋な瞬間だと思った。なぜなら、仕事と彼の人生とが切り離されていないから。わたしはそれを目の当たりにする幸運を得た。もはや演技というものはなく、それは“存在すること”だった」

 映画の80〜90%はファーストテイクを採用しているほか、脚本がしっかりしていたため、1日の早いうちにその日の撮影分を終えてしまうこともしばしばあったという。デフォーは「時に余分な時間があったから、アルルの自然の中に入って、絵を描いて、歩いて、そしてジュリアン(・シュナーベル監督)が何かを思いついて、追加の素材を撮れたりもした」と明かす。

 そうして生まれたのが、黄金色に輝く麦穂の波をゴッホが歩く印象的なシーンだ。ポスターにもなったこのシーンについてシュナーベル監督は「あの時は、自然の中を歩き回れるような場所を探していた。撮影監督と一緒に取り組んでいたウィレムから『麦畑を見てみて。ある角度から見るとオレンジ色に見えて素晴らしいんだ。見に行ってみてよ』と言われてそこへ行ってみると、本当にオレンジ色の海のようだった。ウィレムは実際に麦の中へ入っていったんだけど、そこは風がめちゃくちゃに吹いていて葉で体を切られるみたいな感じで。このポスターでは彼の喜びしか感じられないと思うけど、実際にやるとなると全然違うんだ。あの中を歩くのはかなり大変だったんだよ」と笑った。

 デフォーはシュナーベル監督との関係について、「僕たちは昔から互いのことをよく知っていて、スタジオで絵を描く彼がそれにどう取り組んでいるのか、見て、聞いたこともあるし、彼の映画にちょっとした役で出たこともある。この映画はそこから始まったんだ」と語り、監督も「そう、友情!」と応じる。

 シュナーベル監督は「友情……それはゴッホが本当に欲しいと思っていたのに、手に入れられなかったもの。僕たちは、彼が手にできなかったいくつかのものを得られた。友情と観客。彼は現代になるまで、絵を観てもらえなかったからね。彼がもしここに居て見ているとしたら、日本の皆さんが彼についての映画を観に行ってくれるのをとても喜んでくれたと思う」と日本を愛した孤高の画家に思いをはせていた。(編集部・市川遥)

映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』は公開中