経験から学ぶことには盲点もあります(写真提供:朝日新聞出版)

日本初の民間ロケットの打ち上げに成功、和牛ビジネスのプロデュースなども手がける堀江貴文氏。さまざまなイベントや、ゴルフなどの趣味に国内外を飛び回る堀江氏は、スキマ時間に触るスマホで仕事の指示を送っている。

「いかに時間を使わずに多くのものを生み出し、効率よく世の中に伝えるか」を徹底する堀江氏の「時間術」とは? 堀江氏が何よりも大切にする「時間」だけをテーマにした初の著書『時間革命』から一部を抜粋・再構成して紹介します。

「経験の少なさ」が動けない原因になっていることは、まれかもしれない。むしろ、経験したことが多くなるほど、行動を起こせなくなるのが人間というものだろう。

うまくいったにしろ、失敗したにしろ、何か具体的な経験を積むと、人はそれを次の行動に生かそうとする。一見すると損するように見えても、実はそのほうが得だというような「計算」が働くようになる。

例えば、資料を読み上げるだけの会議。いまだにたくさんの会社がこんなバカなことをやっているのは、決定権を持っている管理者に対して、「ちゃんと仕事をしていますよ!」とアピールしたり、「これについては報告しましたよ!」という事実をつくったりしたいだけなのだろう。

みんなで集まって一斉に時間(=人生)をドブに捨てる――いったい何がしたいのだろうかと思う。僕に言わせれば、こんなものはただの「集団自殺」に等しい。

仕事だけではない。日々のすべての決断において、このような「急がば回れ」の精神が蔓延している。

例えば、ゴルフでもそうだ。よくいわれることだが、ゴルフというスポーツには、仕事も含めて、その人間の言動や意思決定の根本にある「本質」がはっきりと表れる。

いちばん典型的なのがパットだ。カップまであと5ヤード、このパットを入れればバーディ(規定打数よりも1打少なくカップイン)という局面を考えてみよう。こういうとき、中途半端に経験を積んだアマチュアプレーヤーは、カップより手前で止まるような、弱いパットを打ってしまう。

なぜこうなるかといえば、あえてリスクを取るような強めのパットを打つよりも、いったんカップ手前まで寄せるパットをして、その次で沈めれば確実にパー(規定打数どおり)が取れるという「計算」が働くからだ。

だが、バーディのチャンスにパーを狙ってしまうような人は、絶対にバーディが取れない。バーディを取るためには、手前で止まるような弱気のパットを打っていてはいけない。思いきりよくいかないとダメだ。

リスクを取らない人の末路

当然、そうやって打ったボールが、カップを越えてしまうことはある。しかし、その「失敗」には大きな価値がある。次にカップに戻るまでのライン(芝の目)が、その失敗によって可視化されるからだ。

リスクを取らない人間は、この軌道修正のチャンスを手に入れることができない。ゴルフなどただの遊びではないかと言われるかもしれないが、侮ってはいけない。結局、一事が万事なのだ。

いちばんダメなのは、中途半端に経験から学んでいるやつだ。「小利口」はいちばん救いようがない。


そういう人は、過去の成功・失敗をもとに「これこれの理屈だから、あえてこうするべきだ」などというひねくれたロジックを弄する。

それにダマされた人たちが「勉強になりました!」などと言って、また小利口になっていく。だからどんどん動けなくなり、時間貧乏になっていく。

今の日本社会は、誰もがバーディを狙えるのに、小賢しくパーを打ちにいっているようなものだ。それでちゃんとパーが入れられるならいいが、ボギー(規定打数より1打多い)やらダブルボギー(2打多い)ばかりを叩いているような状況である。

浅知恵が働く人間ほど、経験から学んでしまう。だが、本当に賢明であろうとするなら、そんな経験を忘れるべきだ。何度でもカップオーバーすればいい。

バカになれる人間のところに、時間は集まってくる。