彼女を弟に取られた"天涯孤独ヤクザ"の諦観
※本稿は、秋山千佳『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■鼻のかみ方を知らない18歳
NPO法人「食べて語ろう会」が立ち上げた拠点「基町の家」に正午ごろにやってきた18歳の智也さんは、半袖姿ではあるが、鼻水をずるずるとさせていた。蓄膿症だという。ティッシュをつかんで片手で鼻全体をくるみ、両方の鼻を同時にかもうとする。
鼻のかみ方がおかしいことに気づいた田村さんが「ババが教えちゃるけん」と言って正しい方法を伝え、智也さんも片方ずつ押さえてやってみようとするが、染みついた癖が抜けずなかなかうまくいかない。
「もう鼻に詰めとくけん」と智也さんはティッシュを丸めて乱暴に押しこむ。中本さんが「これで彼女がほしいんじゃと」と面白そうに言うと、鼻声の智也さんは「できるんよ、作らないだけ」と反論し、笑いが起きた。
こんな当たり前のことを教えてくれる大人がいない18年間を、彼も生きてきたのだ。半袖からのぞく左の二の腕には、これから毛並みを描きこむという鵺(ぬえ)の大ぶりな入れ墨が目立つ。暴力団に近いところで生きてはいるが、彼自身は組員ではない。
午後4時ごろ、中本さんの携帯が鳴る。「もしもし、おる?」。漏れ聞こえるのは明らかに力さんの声だ。「はいはい、おりますよ」と中本さんが言った5秒後には、玄関ドアが開いて、嬉しそうに力さんが入ってきた。
■力さんが暑くてもアームカバーを外さない理由
力さんは22歳の暴力団員で、中学生の頃から中本さんの元にやってくる。
昼に来た智也さんと同じように半袖だが、二の腕から手首まであるアームカバーを着けていた。両腕にある鯉の入れ墨を隠しているのだ。暑さが厳しくなっても、力さんはアームカバーを基町の家で外さなかった。
「ここに来る人に見られたらばっちゃんに迷惑がかかる」
力さんも智也さんと同じく彼女がいなかったが、「今の職業におる間は、作るのはやめようかな」と消極的だった。もし自分にまた逮捕されるようなことがあれば迷惑がかかるから、というのがその理由だった。
中本さんから「人に迷惑かけるなよ」と釘を刺されて「人に迷惑かけんかったらヤクザはできん」と笑ったという力さんだが、できるだけ中本さんを裏切らずにすむよう、彼なりにはあれこれ気を遣っているのだ。
もっとも、どこか抜けたところもあった。電話がかかってくると、任侠映画「仁義なき戦い」のテーマが大音量で流れる。戦後の広島県で実際に起こった抗争をモチーフにした映画だ。そのわかりやすい選択にいつも吹き出しそうになる。あまりに有名なあのメロディを着信音にする広島の暴力団員は他にいるのだろうか。
■力さんが「あいつだけは許せん」と言った相手
彼の言動は、暴力団員としては威圧感がなく、愛嬌がありすぎるのかもしれない。
基町の家で一時期だけボランティアをしていた女性が力さんに、暴力団員になった理由などを興味津々といった様子で尋ねたことがある。中本さんは、子どもの方から話し出すまで根掘り葉掘り聞いてはいけないと常々言う。その中本さんが不在の折だった。
力さんは仕方なくといった様子で答えていたが、女性はそのたび「冴えんねえ」と返した。ぱっとしないという意味で使う広島弁で、そこには侮蔑的な響きがあった。力さんにならそれくらい言っても大丈夫だと踏んでいたのだろうか。
力さんは顔を真っ赤にしてこらえ、女性が帰ってから「あいつだけは許せん」と絞り出すように言うのが精一杯だった。
一方で、力さんにどんなに愛嬌があろうが、暴力団員は暴力団員として見られる。
力さんが基町の家に来ていなかった昼すぎのこと。初めて見る若者がやってきた。その男性は力さんの同級生だった。十代の頃は、力さんと一緒によく中本さん宅でご飯を食べさせてもらっていたらしく、この日は中本さんの顔を見に立ち寄ったのだという。
中本さんは何気ない調子で「力もここに来よるよ」と伝えた。男性は顔をしかめると「正直、力はああなると思っとらんかった」と苦々しげに語りだした。
「もともとは連れじゃし、でも自分で選んでなったわけで、言い方悪いかもしれんけど、もう俺らとは住む世界が違うということ。連絡もせんし、俺も普通の株式会社におるわけやけん、やっぱり色々問題あるよね、そういうのと付き合うとったら」
そういうの、という言い方に、遠い惑星でも眺めるような距離を感じる。
■かつての友人にも冷たい目で見られる
中本さんに言葉を挾(はさ)ませず、彼は続けた。
「力もしんどいと思うよ。ヤクザじゃいうてもシノギがないわけじゃけん。しかもドンパチなりそうじゃん。そりゃ鉄砲玉になるだろうね」
シノギとは、暴力団関係者が資金を得るための活動のことだ。執行猶予中の身でうかつなことはできない力さんを指して言ったのか、あるいは暴力団への締め付けが増す昨今の情勢を指して言ったのかは定かではない。
ただ、ドンパチ=暴力団同士の抗争が起これば、下っ端の力さんが、鉄砲玉、つまりは殺すか殺されるかの最前線に立たされかねないというのは一理あった。役に立たない人間を置いておくような甘い組織ではないだろう。本人も自覚あればこそ、中本さんに「何かあれば、俺が真っ先に消されるじゃろうね」と言ったのだ。
翌日、基町の家にやってきた力さんは、友人だったその男性が来たと知るや、さっと表情を曇らせ、「俺の職業のこと、けなすじゃん。絶対いい気せん」と下を向いた。
かつての友人に冷たい目で見られ、距離を置かれていることを感じ取っていた。男性は力さんに連絡することはもうないと言ったが、力さんの側も、家庭や仕事がある昔の仲間には迷惑になると考え、遊ぼうと声をかけるのは控えているそうだ。
■彼女を弟に奪われた揚げ句、結婚
組をやめたくなることはあるかという話題になり、力さんは「入る前からやめとこうかとは思ったよ」と打ち明けた。
力さんが組員になる少し前、当時付き合っていた彼女が、それだけはやめてくれと言ったのだという。力さんの心はぐらついた。しかし、まもなく思いがけない形で、踏みとどまる理由がなくなった。彼女が力さんの弟とくっついてしまったのだ。
自暴自棄に陥った力さんは、それでも彼女に対しては「自分がそうさせたのかなと思う部分もあるし、まあ弟と頑張りやーって声かけた」と最後まで気遣った。
私は一度だけ力さんの弟と会ったが、一般社会で働いていく決意は固そうだった。
その後、力さんの弟は彼女と結婚式を挙げた。力さんが招かれることはなかった。親族席にはかつて面倒を見ていた中本さんや田村さんが座ったといい、写真を見せてもらうと、白いタキシードに身を包んだ力さんの弟は、友人や職場の人たちに祝われ、新婦とともに幸せそうに微笑(ほほえ)んでいた。
■ただ差別するのではなく背景を考える
九月の朝、私は中本さんの自宅にいた。台風が午後にかけて接近しており、基町の家に来る人も少ないだろうからと、再び一対一で話す機会を設けてもらったのだ。
中本さんから自ずと語られるのは、やはり力さんのことだった。
「暴力団に入っても何のメリットもないよ。銀行口座は作れない、家も自分で借りられない、車のローンも組めない。それでも弱者にしたら、すがるところは組しかないわけなんよ。
ヤクザの方に弱者を利用しようという下心があるからじゃろうけど、一番優しくしてくれる。そういう子らがいざという時に頼れるのはヤクザ、とさせんがために、もうちょっと受け皿を考えにゃいけんのよ。そう思わん?」
そのとおりだ。
受け皿といっても、行き場のない子を収容する各種施設というようなものではない。それでは多くの人にとって見たくないものを見ないですむよう、自分たちの視界から切り離して一時的に囲ったに過ぎない。
そんな囲いから出た「元子ども」たちが、大人になってもやはり社会に居場所がなく、中本さんの元に集まってきている。
中本さんは続けて言った。
「ただ差別するんじゃなくして、同じ人間として生まれてきて、なぜそれをせにゃいけんかというこの子たちの背景を考えてやってほしいんよ」
■一人ひとりの心のあり方が弱者の「受け皿」を作る
中本さんから繰り返し語られる、差別。
受け皿とは結局、弱者をどう受け止めるかという、一人ひとりの心のあり方の問題に行きつくのだった。
その午後、髪が逆立つほどの風雨の中を、力さんは基町の家までやってきた。
嵐の中でも、外の見えない基町の家にいると、いつもどおりの時間が流れる。中本さんは力さんに「いずれは足を洗わにゃいけん」と声をかけ、力さんが「親分がおらなくなったら俺はやめるんじゃけ」と答える。
天候のせいで訪れる人はほとんどない。力さんは「一般人ならばっちゃんたちと焼き肉とか色んなところに行けとったのにな」「どうやって帰ろうかな、今日はここに泊まろうかな」と、のんきなおしゃべりを続ける。一向に帰る気配は見えなかった。
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秋山 千佳(あきやま・ちか)
ジャーナリスト
1980年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。記者として主に事件や教育などを担当した。2013年に退社し、フリージャーナリストに。九州女子短期大学特別客員教授。著書に、『戸籍のない日本人』(双葉新書)、『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』(朝日新書)。
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(ジャーナリスト 秋山 千佳)