ゴルフのトーナメント中継を見ていると、実況アナや解説者が「本日はこれまでノーボギーです」とか「3日間ボギーなしのラウンドです」とか、ボギーがないことを讃える言葉を吐く。「ボギー先行の苦しいラウンドです」などとも言う。

 しかしその一方で「バーディーがたくさん取れてるわけですから……」と、重要なのは、バーディーの数だと言わんばかりの解説もする。ノーボギーがいいのか。それともバーディーが多い方がいいのか。その言葉の使い分けに釈然としない気持ちになる。

 サッカーに置き換えれば、ボギーは失点、バーディーは得点だ。無失点がいいのか、得点力が高いことがいいのか。

 それぞれの関係は、ゴルフほど混沌としていない。失点が少ないことの方が、得点力が高いことより評価される傾向がある。

 ゴルフは1試合が18ホールに区切られているので、前のホールのボギーを引きずることはあるにせよ、リセットしやすい競技だ。次のホールに進めば新たな気分になりやすい。サッカーが1試合平均2点奪えば得点力は高いと言われるが、ゴルフはトップのレベルの選手になると平均のバーディー数は4に近づく。サッカーの倍、得点(バーディー)を奪うチャンスがある。

 サッカーはプレーが途切れないのでリセットが効きにくい。失点のショックはゴルフのボギーの倍以上あっても不思議はない。つまり、失点が少ないチームの方が勝ちやすい特性がある。ゴルフ的に言えば、ノーボギーは讃えられる事象になる。

 だが、それはプレーしている側の発想だ。見る側にとっては1-0や2-0はあまり歓迎すべきスコアとは言えない。サッカーで一番面白いスコアは3-2だとされる。僕をサッカーの虜にさせるきっかけになった82年スペインW杯2次リーグブラジル対イタリアの試合も3-2だった。名勝負と言われる試合は大抵が撃ち合いなのである。

「つまらない内容の1-0で勝つなら2-3で負けた方がよっぽどいい」

 故ヨハン・クライフは、バルサの監督を務めていたときに話をうかがえば、キッパリそう言い切った。「サッカーにはいろんな見方はあるけれど、私はそうした考え方の持ち主だ」と。

 監督は当事者だ。好試合を楽しむ一般的なファンではない。できれば「ノーボギー」で勝ちたいと思いがちな立場にいる人間だ。「まず守りから」。実際、多くの監督はそう語る。とりわけ先に失点することを恐れる。職業的に見る側との間に大きなギャップを抱えている。

 そうした中で、クライフはファン目線に立ったものの見方をしていた。実際、当時のバルサのサッカーは得点も多いが失点も多い、まさに3-2のような試合を繰り広げていた。開始早々に失点を許し、そこから追い上げ同点、逆転に持ち込むという展開を、半分お家芸のようにしていた。

 負けが込めばクビになる。誰よりも勝利が欲しい立場なのに、観戦を楽しみたい第3者的なファンの思考をピッチに反映させようとする監督は、他の一般的な監督に比べ、何倍も尊敬に値する。

 第3者的ではないファン、つまり当事者である自軍のファンは好試合より好成績、まず勝利を望んだとしても不思議はない。

「いくらよいサッカーをしても、負けては何の意味もない」とは、この世界にあってしきりに用いられる言葉だが、そうした考え方の持ち主には、攻撃的サッカーを志向する監督は、困った存在に映る。ひとたび成績が悪化すると、堪えきれずに批判的立場に回りがちだ。メディアもしかり。そのサッカーは無謀だと言いがちだ。 だが、クライフの流れを汲む“それ系”の監督は、それを承知で第3者のファン目線に立とうとする。リスクは承知の上でサッカーの魅力をあぶり出そうとする。サッカーの普及発展に貢献しようとする。