画像提供:マイナビニュース

写真拡大

ネットもスマホもない昭和の時代、テレビは人々に大きな影響を与えたメディアでした。後に「名作」と呼ばれるドラマの数々が生まれた昭和。今回は、刑事ドラマの金字塔「太陽にほえろ!」や萩原健一&水谷豊の「傷だらけの天使」のロケ地に選ばれ、印象に残るシーンが多い、新宿駅周辺と世田谷区を取り上げます。

名作のロケ地は、昭和、平成、令和を経て、どのように変わったのでしょうか? リアル世代も、そうではない世代も注目です!

○「太陽にほえろ!」でたびたび登場した新宿

1972年(昭和47年)から1986年(昭和61年)まで、日本テレビ系列で放送された「太陽にほえろ!」。ボスと呼ばれる藤堂係長(石原裕次郎)を中心に、ニックネームで呼び合う警視庁七曲警察署(架空の警察署)捜査第一係の刑事たちの活躍を描いたテレビドラマです。

太陽にほえろ! は、事件と犯人を中心に描かれていた従来の刑事ドラマと一線を画し、一人ひとりの刑事に豊かな個性を与え、刑事を主役にした「青春アクションドラマ」を展開。

警視庁七曲警察署の所在地が新宿区内の設定であったことから、ロケ地にも新宿周辺の風景が登場しました。

○七曲署はいま?

物語の中心地である七曲署。その建物は世田谷区上用賀にある海上自衛隊上用賀基地内の東京音楽隊の施設が使われていましたが、残念ながら放送終了後に建て替えられました。

一方、七曲署の屋上の設定でたびたび登場したJR大久保駅近くのビルは健在。今回、撮影許可をもらい、数多くの印象的なシーンに登場した七曲署の屋上に上ってみました。

1971年(昭和46年)、淀橋浄水場が移転した広大な跡地に、京王プラザホテルが建設されました。太陽にほえろ! の放送開始は、その翌年でした。

この京王プラザホテルを皮切りに200m超の高層ビルが次々と建設されていった西新宿。七曲署の屋上(某ビルの屋上)から臨む高層ビル群は、成長し続ける巨大都市、東京のシンボルでもありました。

1970年代の西新宿は、京王プラザホテル、新宿住友ビル、新宿三井ビル、損保ジャパン日本興亜本社ビルなど、数棟の高層ビルが建っている、開放的かつ迫力ある風景が広がっていました。ドラマでは、スモッグに煙る空をバックに、数棟の高層ビルが巨大な墓標のようにそびえる、幻想的なシーンが何度も登場しました。

七曲署の屋上に使われた某ビルから徒歩5分ほどの場所に、ドラマの中で七曲署の刑事たちと敵対する暴力団、戸川組の事務所として使われたビルが残っていました。この建物はJRの車窓からも見ることができます。

○東京のシンボルだった京王プラザホテル

次に向かったのは、太陽にほえろ! で数多くのシーンに使われた新宿西口の高層ビル街。高層化の先駆けであった高層ビル群は、先端都市・東京のシンボルであり、大都会を表現するには打ってつけの場所でした。

1971年(昭和46年)に竣工した京王プラザホテルは、日本のビル高層化の先駆けとして、昭和ドラマにたびたび登場するロケ地です。その中でも特に有名なのが、太陽にほえろ! のオープニング映像ラストで、ボスこと藤堂係長が同ホテルをバックに歩くシーン。覚えている方も多いのでは?

○中央公園周辺はロケ地の宝庫

高層ビル街の足元に広がる中央公園と道路もロケ地として使われました。マカロニ刑事(萩原健一)登場や山村刑事(露口茂)の殉職シーンなど、印象に残る場所が数多く残されています。

新宿区西新宿二丁目の十二社通りは、第1話でスズキ・ジムニーに乗っているマカロニ刑事がライダーからライターを借りる場面で登場。道路の先にわずかに見える歩道橋は当時のまま。樹木の成長に時間の経過を感じます。

ライターを借りたまま走り去ったマカロニ刑事をライダーが追いかけるシーンで登場した新宿中央公園西交差点。正面ビルの場所には、当時「十二社温泉」(2009年廃業)があり、ドラマにも看板が映っています。

マカロニ刑事が負傷した石塚刑事(竜雷太)の見舞いの帰り、立ち小便の直後に小銭狙いの通り魔に刺されて死亡した建設現場。現在は新宿野村ビルの公開空き地として整備されており、当時の面影はありません。1973年当時、西新宿は高層ビル建設現場が広がる荒涼とした場所でもありました。

○山さん殉職の橋と階段は健在

相手の心の襞まで読み取る洞察力、並外れた推理力と取り調べの技術で、数多くの難事件を解決に導いた山村刑事、通称「山さん」。その山村刑事が暴力団組員に夜道で撃たれ、絶命するシーンで登場した角筈橋は今も健在。

○病院シーンの建物は歯科医院へ

ドラマの中で病院のシーンとしてたびたび登場したのは、世田谷区桜にあった菊池外科病院(閉院)。現在は建て替えられて菊池歯科医院になっていました。

○「傷だらけの天使」の新宿、代々木から世田谷へ

1974年10月から1975年3月まで、日本テレビ系で放送された萩原健一、水谷豊出演のテレビドラマ「傷だらけの天使」。ふたりのヒッピー風な若者、木暮修と乾亨の怒りと挫折を描いた、アンチヒーローものの探偵ドラマとして、今でも根強い人気があります。

そのロケは首都圏の各所で行われていますが、今回は印象的な新宿、代々木〜世田谷を訪ねてみました。

第1話「宝石泥棒に子守唄を」で宝石店に強盗に入ったオサム(萩原健一)が警察を振り切り、アキラ(水谷豊)に電話をかけた新宿駅南口の牛丼店前。左側の陸橋は甲州街道の新宿南口陸橋。

○オサムとアキラのペントハウスがあった代々木会館

オサムとアキラが暮らす「エンジェルビル」のロケ地、代々木会館。オサムとアキラは、エンジェルビルの屋上にあるペントハウスを綾部情報社から借りている設定でした。残念ながら代々木会館は現在解体中。

○綾部情報社の重厚な邸宅はマンションに

次は世田谷区代沢へ。オサムたちを低賃金で雇い、危険な仕事を与えて酷使する悪徳探偵事務所「綾部情報社」。その社屋であり、社長の綾部貴子(岸田今日子)の住居として登場した古い邸宅はなくなり、マンションが建っていました。

樹木がうっそうと茂る屋敷と綾部貴子が登場する際に、古びた蓄音機から怪しく流れている映画『Mazurka』(マヅルカ1935年・独映画)の主題歌が忘れられない、という方も多いのでは?

○ドラマの名場面を飾った世田谷区の風景

世田谷区内には、当時の面影を残すロケ地がいくつか点在しています。赤堤にある東急世田谷線の踏切もそのひとつ。第1話「宝石泥棒に子守唄を」で宝石窃盗団に拉致されたオサムが、踏切の遮断機を利用して車を奪い、逃走に成功するシーンに使われました。

電車が近づいたところでサイドブレーキを強引に引いて、クルマ(三菱デボネア)を立ち往生させたオサム。あわてた窃盗団がクルマから離れたすきに車を奪って逃げました。

最後は世田谷区大蔵にある「大蔵運動公園」へ。最終回「祭りの後にさすらいの日々を」で酔客にあおられたアトラクションボーイのアキラがチップ欲しさに入った噴水池。デザインは変わっていますが位置は当時のまま。そんなみじめなアキラを見守るオサムが佇むケヤキの木と背後にあるピラミッド型の体育館も健在です。

昔ながらの風景が次々と消えていく都内で、撮影当時の面影を残している場所も年々少なくなっています。それと同時にドラマに出演した個性豊かな俳優たちも次々と世を去っていきます。

秋の夜長、昭和ドラマをもう一度見返して、古き良き時代と懐かしい風景に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。