浸水被害にあった大田区田園調布5丁目ではいたるところにゴミの山ができていた(東洋経済オンライン編集部撮影)

東急東横線・田園調布駅から徒歩約15分。急坂と呼ばれる急勾配の坂を下ると、泥やゴミ、消毒液の匂いが鼻をつく。通りには、泥にまみれたベッドマットレスから自転車、幼児向けの玩具や大型冷蔵庫まで「災害ごみ」がうず高く積まれている。いつもは静かな通りも、この日はウィークデーにもかかわらず、多くの人がゴミを出したり、泥をかぶった自宅を洗浄したりしていた。

関東や東北の各地に甚大な水害をもたらした台風19号。東京と神奈川を流れる多摩川では二子玉川付近で起きた氾濫が大きなニュースとなった。そこからほど近い東京都大田区田園調布では4、5丁目の約590件が浸水の被害を受けた。が、付近を歩くとあることに気づく。多摩川沿いの世帯などが無事な一方で、浸水被害に遭ったのは多摩川から“内陸”に徒歩数分ほど歩いた地域なのだ。

多摩川の支流が氾濫


13日朝の様子。自衛隊がボートに乗って巡回しているのが見える(住民提供)

上流の二子玉川付近は多摩川の氾濫によって浸水したが、そこから3キロほど離れた田園調布では「水は堤防を越える1メートル手前で踏みとどまった」(住民)。ところが、被害地域の近くを流れる多摩川の支流の丸子川、そして、複数の住民によると、多摩川と丸子川の間に位置する用水路が氾濫。田園調布だけでなく、隣接する世田谷区玉堤の住民も浸水被害を受けた。

大田区の説明によると、氾濫した経緯はこうだ。午後5時ごろ、丸子川の水位が上がったため、現場に30人を派遣し、非常用の排水ポンプとポンプ車などで排水作業を行っていたが、午後6時ごろになると多摩川の水位が上がってきた。

そこで多摩川から丸子川への逆流防止のために排水ポンプを止めて水門を閉鎖。その後もポンプ車で排水作業を行っていたが、午後7時に避難指示が出たことを受けて現場作業員も避難した。住民によると、その直後から近辺に水がたまり始めたという。

排水作業が再開したのは翌朝のことだ。大田区は排水作業を中断した件について「もっと早く避難したほうがいいという声もあったが、避難指示が出るギリギリまで対処した」としている。

現場作業員の身の安全を優先するという区の判断があったのだろう。とはいえ、当日も含めて大田区など関係機関の一連の対応に対しては、浸水被害者から疑問の声も上がっている。

水門閉鎖の情報は伝わらなかった

「これは自然災害ではなく、人災」。今回の台風被害で自宅の1階が床上浸水の被害を受けた辻孝子さん(67歳)は憤る。1人暮らしの辻さんは12日、避難勧告のエリアメールを受け取った後、午後5時半に愛犬とともに高台の小学校へ避難。その間、多摩川が氾濫したという情報はなかったので翌朝5時に家に戻ると、辺り一面が水に浸かっていた。「まさに天国と地獄。本当にどうしていいかわからなかった」。

住民が指摘する問題の1つは、適切な情報共有がされなかった点だ。辻さんなど近隣住民によると、12日、田園調布5丁目付近では午後3時頃から避難準備の町内放送が流れ緊迫した状態で、午後5時頃には避難勧告の放送があった。ただしこの時点で丸子川の水位に関する注意喚起はなく、午後6時時点で水門が閉じられたことも知らされていなかった。

「この辺りの住民は、丸子川の水は通常、多摩川へ放出されているのを知っているので、水門が閉鎖されれば行き所のない水があふれることはわかっている。事前に情報を知っていれば、大事なものや必要なものを2階など、より高い場所へ移動できたし、自動車を高台に移すこともできた」と辻さんは話す。辻さんは自宅が浸水被害にあっただけでなく、自動車も水没したという。

エリアメールなどで丸子川の情報が住民に共有されなかった点について大田区は、「担当者が不在のためわからない」としている。だが、排水作業を行っていた部署と、エリアメールや防災行政無線を行っている部署が異なることから、まずはこうした部署間で適切に状況が共有されていたのかという疑問は残る。

もう1つは、事前対策が十分だったか、という点だ。大田区によると、今回の排水作業は「10年に1度あるかないか」という異例の作業だった。だが、台風上陸前から豪雨になる予報はされており、災害対策本部も設置されていた。予測を超える雨量だった可能性はあるとはいえ、事前のシミュレーションがどの程度なされていたのか検証の余地はある。

「大雨の予測は2、3日前から散々言われていたが、河川の予測は極めて短く、通常2、3時間前からしか行われていない」と、河川に詳しい東京大学生産技術研究所の芳村圭教授は指摘する。「しかし今後は、大雨予測のように河川流量の予測も十分前に行い、十分準備しておくことが必要だ」。

現在の治水対策に不安を募らせている住民も少なくない。1974年の狛江水害など多摩川は過去にも氾濫している。大田区のハザードマップでは、今回浸水被害にあった地域は多摩川が氾濫した場合、0.5メートルから5メートル程度浸水するエリアにもなっている。もとより田園調布は、高台と多摩川に近い低地の標高差が最大約42メートルと、低地に水が集まりやすい地形とも言える。

丸子川では、流域豪雨に備えて東京都下水道局や都市整備局などと一体になって対策を進めているが、今回は現時点での状態では水を抑えられなかった。

「低地が犠牲になってもしょうがないのか」

浸水から約1週間経った今でも、浸水被害にあった住民は清掃作業などに追われている。取材に訪れた日も、水没して動かなくなった車をレッカー車が引いていたり、クリーニング業者が泥で汚れた洋服の回収を行っていた。被害にあった地域には商店街があるが、営業を再開できていない店も少なくない。1人暮らしの高齢者も数多く被害にあっているが、片付けなどを離れて暮らす子供などに頼るのも限界があるだろう。


丸子側沿いに捨てられていた自転車は泥だらけだ(東洋経済オンライン編集部撮影)

報道によると、大田区は保健師などのチームを構成し、被害地に派遣しているというが、現時点では「大田区からは消毒液を配布する人とか作業員してきていない。その消毒液も原液をそのまま持ってくるから、それをスプレーボトルなどに移し換えなければいけないが、そもそもそんなものを持っている人自体少ない」と、住居が床上浸水被害にあった女性は話す。「大田区からお見舞金2万円が出たが、それでは汚れた洋服のクリーニング代にもならない」。

辻さんも13日朝に区の防災管理課に視察などを求めたが、「上の者に伝えます」という回答があったのみで、18日時点では誰も訪れた様子はないという。「被害を受けたのは、大田区にある何十万世帯のほんの一部だから、と見捨てられていると感じる。大災害を抑えられるのなら、低地でこの程度の犠牲が出てもしょうがないということなのでしょうか」(辻さん)。


田園調布駅(東洋経済オンライン編集部撮影)

今回、丸子川を挟んだ反対側の地域ではまったく被害がなかった。台風の被害を受けなかった地域からは「地価が下がるので、浸水の話があまり報道されては困る」との声が上がっているという。

絶対数で見れば590件の被害規模は大きくないかもしれない。が、床上浸水被害にあった全員の生活はたった一晩で一変した。大田区は防災計画で、浸水リスクのある地域では、住民側もそれを理解し対策する必要があるとしているが、住民の啓蒙活動始め、行政による事前対策や当日の情報共有に問題はなかったのか。住民に説明する必要があるだろう。