MMTは、経済にどのような影響をもたらしてゆくのだろうか?(写真:AndreyPopov/iStock)

内外で議論の最先端となっている文献を基点として、これから世界で起きること、すでに起こっているにもかかわらず日本ではまだ認識が薄いテーマを、気鋭の論客が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズ。

今回のテーマは、ホットな話題となっている現代貨幣理論(MMT)。このたび上梓された『MMT現代貨幣理論入門』の監訳者である島倉原氏が、日本にとってのMMTの意義を説き明かしていく。

MMTとは何か

筆者は、2019年8月に刊行された『MMT現代貨幣理論入門』の監訳者を務めた。同書は、MMT(現代貨幣理論。Modern Monetary TheoryもしくはModern Money Theoryの略称)の中心的人物であるアメリカの経済学者L・ランダル・レイが2015年に刊行した著書『Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems, 2nd edition』を邦訳したものである。


また、筆者はほぼ並行してMMTを解説した新書(以下「拙著」)を執筆し、こちらは2019年12月に刊行予定である。今回は、そうした翻訳・執筆作業などを通じて得た知見に基づいてMMTを概観したうえで、日本経済にとってのMMTの意義を論じてみたい。

MMTは、経済学派としては、ポスト・ケインジアンの一派と位置付けられる。大まかに言うと、オールド・ケインジアンやニュー・ケインジアンが新古典派経済学を基礎としたいわゆる主流派経済学の系統に位置づけられ、理論的には商品貨幣論を前提としているのに対し、ジョン・メイナード・ケインズが『貨幣論機戮覆匹播験した信用貨幣論を前提としているのがポスト・ケインジアンである。

MMTは、『貨幣論機戮紡紳腓扮洞舛鰺燭┐織疋ぅ栂鮖乏愬匹侶从儚惻團殴ルグ・フリードリッヒ・クナップの唱えた表券主義も受け継いでおり、「新表券主義」と呼ばれることもある。

MMTは、貨幣とはどのようなものであり、それを前提として政府や経済全体がどのように機能しているのかを解明する「説明的」な部分と、そうした現実認識を前提として、経済政策はどうあるべきかを論じる「規範的」な部分からなる経済理論である(『MMT現代貨幣理論入門』の第1〜第4章および第6章・第9章が前者、第5章・第7章・第8章が後者にほぼ相当する)。

なお、MMT派の経済学者たちの論稿を邦訳した書籍としては、2009年に出版されたJ・E・キング編『ポスト・ケインズ派の経済理論』も挙げられる。

同書は、ポスト・ケインジアンの理論について、多数の経済学者がテーマごとに分担して概説したもので、レイ(「貨幣」)のほか、ウィリアム・ミッチェル&マーチン・ワッツ(「完全雇用」)、エリック・ティモアーニュ(「期待」)、マシュー・フォーステイター(「失業」)、ステファニー・ベル(「流動性選好」。ベルはケルトンの旧姓)といったMMT派の経済学者たちも寄稿している(「 」はそれぞれの論稿のタイトル)。

MMTはどのような貨幣観を持っているのか

MMTの貨幣論 平用貨幣論)

主流派経済学の教科書では、物々交換経済の不便さを解消するために、交換価値に見合った素材価値を有する何らかのモノを「交換の媒体」として導入したのが貨幣の起源であると説明している。これがいわゆる商品貨幣論であり、商品貨幣の典型例が貴金属硬貨であるとされている。


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ところが、アダム・スミスの『国富論』などの記述からも明らかなように、「経済取引はもともと物々交換によって行われていた」という想定自体がフィクションであり、歴史学や人類学の世界では、かつて物々交換が行われていたという証拠は見つかっていない。また、商品貨幣論では、現代の経済がなぜ素材価値を前提としない不換通貨で成り立っているかについて、つじつまの合った説明が行えない。

これに対して、「経済取引とはもともと貸し借りの関係を伴う信用取引であり、その際に発行された債務証書が貨幣の起源である」というのが、MMTが拠って立つ信用貨幣論である。信用貨幣論によれば、「債権」という社会的な関係に由来する価値こそが貨幣価値の裏付けとなっており、貴金属硬貨もまた、そうした債務証書の一種にすぎない。

レイが1998年に刊行した著書『Understanding Modern Money: The Key to Full Employment and Price Stability』(以下『現代貨幣を理解する』)によれば、中世ヨーロッパでは、セイヨウハシバミの木で作られた「割り符」が債務証書として発行されていた。

そして、多数の人々が発行した割り符の本体は、ほかの取引における決済手段すなわち貨幣として流通していた。さらに、流通した割り符本体の保有者たちは、定期的に集まって現代の手形交換所のような形で債権債務関係を清算していたという。

MMTの貨幣論◆壁酬主義)

他方で、多数の人々が発行した債務証書が貨幣として流通し、なおかつ清算の対象となるには、債務の価値を記述するための共通の尺度が必要になる。また、債務の履行に当たって引き渡されるべきものも、ある程度共通化されていなければならないはずである。

それらを定める役割を歴史的に果たしてきたのが「国家」であるというのが、MMTの貨幣論におけるもう1つの理論的基礎、表券主義である。表券主義によれば、国家は、人々が国家に対して負っている債務の支払い手段を定めることによって、貨幣の中でも別格の存在である、いわば「国定貨幣」を定義する。

租税が貨幣を動かす

MMTによれば、現代において、国家に対する支払い債務として最も重要な役割を果たしているのが税金(租税)である。国家はまず、租税の大きさを測る尺度として通貨単位を創造する。次に、通貨単位に基づいて国民に対して納税義務を課す。

最後に、通貨単位で表示された国定貨幣すなわち自国通貨を発行し、租税の支払い手段として受け取ることを約束する。すると、民間取引も含めてほとんどの債務・資産・価格が通貨単位で表示されるようになり、それらにかかわる取引の決済手段として自国通貨が用いられるようになる。

MMTは、こうした一連のメカニズムを「租税が貨幣を動かす(taxes drive money)」と表現している。そこでの自国通貨とは、何かを引き渡すことを約束する一般的な債務証書とは異なり、国家に対する債務の支払い手段として受け取る(=当該債務と相殺する)ことを約束した特殊な債務証書(=信用貨幣)と見ることができる。

『MMT現代貨幣理論入門』や『現代貨幣を理解する』は、こうしたメカニズムがいわば社会実験的に実証された例として、アフリカ植民地における近代ヨーロッパ諸国の経験を挙げている。

すなわち、自給自足の生活を送っていた当時のアフリカ先住民に対して、ヨーロッパ諸国の植民地政府が自国通貨による納税義務を課したところ、賃金獲得がインセンティブとなって先住民の労働力化に成功し、同時に現地の貨幣経済化が実現したというのである。

銀行は無から預金を創造する​

経済活動において決済手段として用いられる貨幣は、国家が発行する通貨だけではない。貨幣としてより広く用いられているのが、民間銀行が提供する預金である。そして、預金の発生メカニズムについても、主流派経済学とMMT(およびポスト・ケインジアン)の説明はまったく異なるものである。

主流派経済学によれば、民間銀行は外部から通貨(現金または中央銀行当座預金)を入手するとその一部を貸し出しに回し、その時点で新たな預金が発生する。そして、こうしたプロセスが銀行システムの中で延々と繰り返されることによって、当初入手した通貨の何倍もの銀行預金が創造される。こうした考え方を「外生的貨幣供給論」という。

また、主流派経済学では、通貨が入手されれば「必ず」その一定比率が貸し出しに回され、したがって、最終的な銀行預金の残高は通貨の一定倍率に収斂することが理論上想定されている。当該倍率を「貨幣乗数」といい、こうした考え方を「貨幣乗数論」という。

これに対してMMTでは、民間銀行が貸し出しを行うのに外部から通貨を入手する必要はなく、銀行は借り手の預金口座に貸出額と同額の預金額を記帳するだけで、文字どおり無から預金を創造することができるとされている(内生的貨幣供給論)。

内生的貨幣供給論によれば、民間銀行は預金創造に伴って生じる現金引き出し需要に対応して、別途通貨を入手するため、その時点では通貨と預金の残高にある種の比例関係が成り立っているように見えるが、それはあくまで「事後的な比率」にすぎない。

したがって、借り入れニーズとは無関係に民間銀行の通貨保有高を増やしたからといって自動的に貸し出し、すなわち預金創造が行われるわけではなく、貨幣乗数論は成立しないとされている。

外生的貨幣供給論および貨幣乗数論は、多くの銀行関係者によって否定されている。あからさまに否定した例として有名なのがイングランド銀行の四半期報に掲載された解説記事だが、国内でも、例えば元日銀理事の早川英男氏は、MMTの財政政策論には異議を唱えつつ、その内生的貨幣供給論については明確な賛意を表明している。

主権通貨国の政府に財政破綻のリスクはない

発行コストが無視できるレベルであれば、何かを引き渡すことを約束しない債務証書である自国通貨は、いくらでも発行することが可能である。

したがって、変動相場制の下で自国通貨建てでモノやサービスの購入や債務の償還を行う国家(以下「主権通貨国」)の「支出能力」には制限がないというのが、MMTによる帰結となる(言うまでもなく、「自国通貨と一定の金(きん)や外貨の交換を約束する」金本位制や固定為替相場制の場合には、この命題は成り立たない)。

ゆえに、主権通貨国の政府は、財政赤字や政府債務がいくら拡大してもデフォルトに追い込まれることはないし、現代であれば中央銀行がいくらでも国債を購入できるため、国債の暴落(金利の急上昇)も防ぐことができる。

また、財政赤字の拡大は民間部門の黒字拡大(=通常は景気後退)の裏返しにすぎないため、そもそもインフレの原因ではない。MMT主唱者の1人であるステファニー・ケルトンによれば、これらの帰結を示す「非常によい事例」が現代の日本である(日本の政府純債務/長期国債金利/GDPデフレーター/プライマリーバランスの推移)。

ただし、「支出能力に制限がない」ということは、必ずしも「無制限に支出を拡大しても良い」ことを意味しない。なぜなら、過大な支出はインフレの過熱を招き、場合によっては通貨制度の存続そのものを危うくするからである。

税金は財源ではなく、国債は資金調達手段ではない

家計や企業は税金を支払うにも、国債を購入するにも、事前に自国通貨を入手しなければならない。ということは、事前に政府が自国通貨を発行して何らかの支出を行っていなければならない。

すなわち、MMTによれば、論理的に税金は政府の財源ではありえないし、国債も資金調達手段ではありえない。増税の目的は通貨に対する需要を増やすこと、国債の目的は望ましい金利水準を達成することである。

したがって、財政ファイナンスを禁止するのは無意味な「自主制約」である。また、事前または同時に通貨発行が行われるため、主流派経済学に基づく一般的な議論とは逆に、財政支出の結果として金利は低下する(この辺りの詳細は『MMT現代貨幣理論入門』第3〜4章、または拙著第3章を参照されたい)。

経済政策の主役は財政政策

無限の支出能力を有する主権通貨国の政府は「完全雇用と物価安定」という公共目的を追求できるし、またすべきである、というのがMMTの主張である。その基礎となるのが、1940年代にアバ・ラーナーが提唱した「機能的財政論」である。

機能的財政論によれば、政府は総需要が不足して失業が生じている局面では支出拡大や減税によって総需要を刺激し、総需要不足や失業が解消されてインフレが過熱している局面では支出削減や増税によって総需要を引き下げるべきである。

この点、そうした役割は金融政策が担うべきであるというのが主流派経済学、とくにニュー・ケインジアンの主張だが、金融政策の効果が乏しいことは実証されており、極端に言えば「無力(インポ)である」(『MMT現代貨幣理論入門』473ページ)というのがMMTの主張である。

実際、ケルトンも来日時のNHKインタビューで示唆しているように、20年以上に及ぶ「金融緩和+緊縮財政」というMMTの提言とは真逆の政策を行った結果、日本経済は長期停滞とデフレに苦しんでいる(日本のGDP/財政支出/マネタリーベース/政策金利の推移)。

筆者はこの意味でも、日本がMMTの正しさを示す「非常によい事例」ではないかと考えている(詳細は拙著第8章、または『表現者クライテリオン』2019年9月号の拙稿「『日本はMMTの実証例』のもう一つの意味」を参照されたい)。

経済安定装置としての「就業保障プログラム」

MMTは、政策当局がその時々の判断によって支出や租税の変更を行う「裁量的財政政策」に総じて否定的である。『MMT現代貨幣理論入門』では、インフレ制御がうまく機能しないのと、その下で行われる政策が富裕層にとって有利になりがち(ゆえに、格差助長的)であることが、その理由とされている。

そんなMMTが提唱するのが、政府自らが一定の賃金を支払ってすべての就業希望者を雇い入れる「就業保証プログラム」である。同プログラムによる政府支出は、不況期に拡大して好況期に縮小することによって、強力な自動安定装置として機能するとされている。また、同プログラムの賃金は、事実上の最低賃金として機能して、民間部門の労働条件改善にもつながるという。

他方でMMTは、インフレ助長的であるとしてベーシック・インカムには否定的である。また、不正につながることから就業プログラムの委託対象に民間営利企業を含めることにも否定的であり、そもそも同プログラムの事業対象は民間部門と競合しない分野(すなわち、公益分野)に限るべきとしている(オカシオ=コルテスやケルトンによってややもすると左派のイメージが強いMMTだが、このほかにも民間銀行の貨幣創造の廃止を唱える「シカゴ・プラン」を否定するなど、政策論としては割と保守的であるように思われる)。

ただし、『MMT現代貨幣理論入門』で取り上げられている就業保証プログラムの「実例(類似例?)」は総じて経済危機時に時限的措置として導入されたものであり、MMTが主張するように自動安定装置として持続的に機能している(した)とは言い難い。このことから、就業保障プログラムを理論通りに実行するのは、相当ハードルが高いと考えられる。

とはいえ、「低所得層を主な対象として、政府が直接雇用を創造する」という考え方自体は、緊縮財政下で非正規雇用化が進み格差が拡大した日本の今後の政策を考えるにあたっても、有用な指針となりえるのではないだろうか。

必要なのは「公益民主主義の物語」か

『表現者クライテリオン』2019年9月号における柴山桂太氏の論稿「国家が貨幣をつくる」では、MMTが人々に受け入れられるうえで最大の障害となるのは、租税国家論に代わる新たな物語の不在なのではないか、という問題提起がなされている。

租税国家論とは、「国民の税金で政府は運営されている。だから政府は国民のために働かなければならない」という物語であり、柴山氏によれば、これが近代以降の国家において、人々の納税意識を支えてきた。

ところが、MMTの説明によれば、税金は政府支出の原資ではない。これでは、税金が社会に役立つ何かに使われているという想像力がかき立てられず、人々は高い納税意識を持ち続けられないのではないかというのである。

『MMT現代貨幣理論入門』の最終節に当たる第10章第6節には、まさしくこうした問題認識に通じる「人々の直感は、『税金で支出を賄う』というメタファーを好む」(同書521ページ)という表現があり、以下のように続いている。

我々には、貨幣の新しい「文化的遺伝子」が必要である。

その文化的遺伝子が、市場、自由な交換、個人の選択から始まることはあり得ない。我々には社会的なメタファー、すなわち私益最大化の論理に代わる「公益」が必要である。我々は、政府が果たす積極的な役割、および政府による我々の役に立つような貨幣の利用に、焦点を当てなければならない。

政府は、公益のために通貨を支出する。政府は、支払いにおいて通貨を受け取ることを約束する。租税制度は通貨を背後で支え、我々は通貨を強固なものに保つために租税を支払う。選挙で選ばれた議員による、透明性と説明責任を備えた優れた予算編成は、政府が過剰な支出をしないことを保証する。

他方で、同書第5章第3節のコラムでは、「租税を提供されるサービスに対する対価だと見なし始めると、人々は自身の支払いが『公平』なのか計算しようとする」(同283ページ)とも述べられている。そして、私益の論理を前提とした「税金が支出を賄う」という見方が1970年代以降のアメリカで「地方分権」を後押しし、地域間格差の拡大につながったとされている。

必要なのは「正しい貨幣観」に基づく発想の転換

「税金が財源」という見方は政府を家計や企業と同一視することにほかならず、それゆえ私益の論理と結びつきやすいという側面がある。MMTの貨幣観に基づいて、民主主義に基づく政府や通貨制度が公益のために果たしうる積極的な役割を認め、それらへのいわば信任投票として税金を理解する――そうした発想の転換が求められていることを、同書の記述は示唆しているのではないだろうか。

そして、このテーマはMMT受容以前の問題として、第2次世界大戦を経て政府あるいは国家の存在を否定的にとらえる風潮が根強く残り、それが財政法(赤字国債や財政ファイナンスの原則禁止)という形で現在の緊縮財政にも影を落としているこの日本において、とりわけ重要な意味を持つように筆者には思われる。

『MMT現代貨幣理論入門』の示唆をふまえれば、「民主的なプロセスの下で、政府が持つ無限の支出能力を活用してデフレ脱却という公益を成し遂げる」という新たな「公益民主主義の物語」が必要なのかもしれない。