知らない他人が評価するインターネットのレビュー。はたして本当に信用できるものなのでしょうか?(写真:tomos/PIXTA)

ネットの「レビュー」は今や人々の行動に多大なる影響を与えている。通販サイトやグルメサイトにはレビューがあるし、果てはオークションサイトの個人の評判もレビューの対象だ。レビューそのものにも「参考になった」「参考にならなかった」の評価があり、企業はレビューの信頼度向上に努めていることがわかる。転職サイトを見ても企業の評価が数値化されており、さらには元従業員らによる悪評なんかも書かれたりしている。

誰しも数多(あまた)あるレビューを参考にしてから動きたくなるかもしれない。だが、逆を貼って「まったく見ない」という選択肢をするのもアリではないか。だったら何を頼ればいいのかとツッコまれそうだが、個人的には「知り合いに聞く」というのが実は最も有効だと思う。

人々の「知識披露欲」を刺激する

実際、フェイスブックでも、「【ゆる募】博多のおいしい店教えてください」といった人々の「知識披露欲」を促すような投稿は盛り上がる。

こうした書き込みをすると、あれよあれよと店の情報や、その店のすばらしさを語るコメントが寄せられる。実際、私の友人も「6名で3時間以上居座れる都内の居酒屋、レストランを教えてください」と書き込んだところ、普段フェイスブックをあまり利用していないにもかかわらず、該当しそうなお店の情報が4件送られてきたという。

このように、人間には「自分がいいと思うものをほかの人にも教えてあげたい」という欲求がある。ただし、教えてくれるのはある程度、関係性のある人間に限られるため、そんな人々をいかに知り合いにしておくかが、良店を探すうえでは重要だろう。

知り合いのグルメで知られる男性・S氏は、この10年ほど、怒り続けている。いったい何に怒っているのかといえば、「食べログを妄信する若者」にである。

ある日、S氏は「この店こそ今宵の飲み会に最適だ!」という熟考を経たうえで、若者を店に連れていった。だが、着いた後の彼の発言がこれだ。

「でもSさん、この店って食べログ【3.08】ですよね」

S氏が彼の言葉を聞いたときは絶句して、反論さえできなかったという。その後も同様の経験は続いたようで、ある日、私を相手にしたとき、こうまくしたてた。

「あのさぁ、この前、オレが自信をもって連れていった名店について彼らは食べログの評価が低いことを根拠にロクな店ではない、と言ったんだよ! なんで口コミサイトの書き込みをオレの評価よりも上に持ってくるんだよ!」

人間より「口コミを信じる」若者たち

S氏の言い分はわかる。長年通い続け、店の人からも「常連」として扱ってもらえるようになった愛着のある店を、誰が書いたかわからない口コミサイトの評価を基にけなされたわけだから。ネットの声については「集合知」といった言われ方もされてきたし、ある程度の信頼性はあるだろう。『「みんなの意見」は案外正しい』(角川文庫)という書籍もあるぐらいだ。

だが、これまでの人生を振り返ると、「『信頼できる人の意見』はかなり正しい」という説のほうが正しいと思えてしまう。陳腐な言い方ではあるものの「食通」として知られる会社の先輩から「この店ウマいんだよ」と連れていってもらった店は大抵ウマい。

20年前に知り合いのデザイン会社の社長が「この店の豚レバーはウマいんですよ」と連れていってもらったモツ焼き屋はいまだに通い続けている。思い返せば、これまで常連となった店はほぼすべて「この店はいい店だ」と信頼できる人から紹介された店だった。それらの店をまた別の知り合いに伝え、かくして彼らもその店の常連になっていく。

今年の春、1998年から通い続けていた中華料理店が廃業した。店主はもうすぐ70歳になるが、体力的にもキツいということで廃業を決意したそうだ。生まれ育った田舎に戻り、畑仕事などをしながらのんびり暮らすという。

この店は食べログには一応出てはいる。麻布十番という好立地で、常連客がよく訪れる店ではあったが、☆は【3.11】で、口コミの件数はわずか4件。こぢんまりとしたこの店については、「教えたくない名店」ということで、常連客はあえて書き込みを控えているのだと思う。

だから、食べログのこのお店の情報を見たとしても、行きたいという気持ちにはならないだろう。ちなみに低評価した人は、「味は普通」や「店主となじみの関係になったらもっとよかったのかもしれないが」などと書いている。

さきほど紹介したS氏はここを嘆いているのだ。店というものは、「味・立地・価格」といった要素に加え、その店で働く人の人柄も含めて「いい店」と認定される。たまたま感じのいい店員がいなかった日にぶち当たった人はその店を「悪い店」と認定するかもしれない。それが食べログなどのレビューサイトには反映されてしまう。

だからこそ先日も、九州料理の店の店主が食べログに悪評(しかも虚偽の内容まであった)を書き込む人々に向け、「食べログやくざの評価は結構です。みかじめ料のお支払お断り!」と貼り紙を出す騒動まで発生したのだ。店舗としてはたまったもんじゃないだろう。

一方、知り合いが紹介する店は何度も通った人による総合的な評価なわけで、口コミサイトよりは信頼に値するのではないだろうか。だからこそ、知り合いは多くいたほうがいいし、フェイスブックで「○○(地名)のおいしい店を教えてください」という問い合わせをするとかなり精度の高い情報を得ることができるのだ。

「コメント欄」も信頼性低い?

また、こうしたレビューサイトだけじゃなく、ニュースサイトのコメント欄も鵜呑みにしてはならない。多くのニュースサイトでは、読者のコメントに対して「いいね」や「共感」をつけることができ、評価が高ければ高いほどそのコメントは上位に来る。

しかしながら、「いいね」の数で上位に来るコメントは「記事が配信された直後に書き込まれたコメント」であることが多い。

読者の多くは上位に表示されるコメントだけを読んだら後は読まないため、いったん高く評価されたコメント(早く書かれたコメント)はそのまま上位に居座り続ける。コメントを読んだ人々は惰性で「いいね」をつけることもあるが、はたしてそのコメントは本当にいいコメントなのか? たぶんそれは違う。

こうしてネットの集合知に対して否定的なことは述べたものの、私はアマゾンのカスタマーレビューのカテゴリーランキング1位の商品はそこそこ信用している。秋ですねぇ。サンマの季節ですねぇ、というわけで、大根おろしが必要な季節になったが、6年前に買った大根おろし器は本当に重宝している。

「信用できるレビュー」とは?

それまで使っていた大根おろし器は、とにかく腕が疲れる代物だった。10cmほどの大根をおろしたら腱鞘炎になるのでは、と思うほど苦労したのだ。

だからこそより性能の高い大根おろし器を求めたのだが、貝印の「おろし専科 DA1204」が当時は1位だった。10月2日現在は5位となっているが、レビューの数は303件で、「星5つ」は61%である。星5つをつけた人の中にはこんな絶賛レビューもあった。

「余りの使い勝手のよさと、軽くすりおろせることにびっくりし、大根おろしが気軽にできることが嬉しくて、二人の娘 仕事の同僚、お客さんと今までに6個買いました。年をとって力が弱くなってきた方、でも大根おろしが大好きな方にお勧めです」

まったく同感だ。この大根おろし器を780円で買って以来、サンマを食べる回数は激増したし、ソバの薬味として辛味大根を使うようになった。生姜をおろすのもラクになったため、今や豚肉の生姜焼きはわが家の定番メニューになった。

飲食店にくわえ、書籍や映画などについては、個人の主観が大いに影響する。そうした見知らぬ人々の評価は信用しづらいが、大根おろし器のような家電や調理器具、主観が影響しづらい分野については信用してもいいのでは、と思っている。