森保ジャパンでは“常連”になりつつある。次世代を担うCBとして、大きな期待がかけられているのは間違いない。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

写真拡大 (全4枚)

 カタール・ワールドカップのアジア2次予選、日本は2-0で勝利した9月のミャンマー戦に続き、ホーム初戦となった先日のモンゴル戦も6-0の完封勝利を収め、連勝スタートを切った。

 ただ、このモンゴル戦でレギュラーCBの冨安健洋が左太腿を負傷し、チームから離脱。10月15日に予定されているアウェーでのタジキスタン戦では、誰が冨安の代わりを務めるのか、4バックか3バックかのチョイスも含め、森保一監督の采配に注目が集まっている。

 冨安の代役の最有力候補は、現在はベルギーのセルクル・ブルージュで活躍中の植田直通だが、もうひとりのCB畠中槙之輔という選択肢もある。

 今年の3月シリーズでA代表に初招集されると、以後はコパ・アメリカを除き、常時メンバー入りしている成長著しい24歳は、自身初となるワールドカップ予選という大舞台に立つことはできるのか。

 時計の針を少し戻す。2018年シーズンの前半戦、当時はJ2の東京ヴェルディに所属していた畠中は、焦る気持ちを抑えられずにいた。

 テレビを見ながら、「自分はなんでそこにいないんだろう」と、悔しさが込み上げてくる。画面の中では、ひとつ年上の中島翔哉や、ひとつ年下の三竿健斗が、日本代表の一員として試合に出ている。かつて東京Vのユースで一緒にプレーしたチームメイトたちは国際舞台のピッチで戦っているのに、自分はそれを眺めているだけ……。

 小学生から東京Vのアカデミーで育ち、14年にトップ昇格を果たして、畠中のプロキャリアはスタートする。だが、世代別の日本代表にも選ばれる有望株は、思うように出場機会を得られず、苦しい時期を過ごしていた。

 1年目はJ2で2試合、2年目はJ2で4試合と天皇杯で1試合のみ。不遇の2年間を、畠中自身は次のように振り返る。

「今思うと、試合に出られるレベルではなかったし、プロの素質がなかったのかなと思います」
 どこか投げやりになっていた。なぜ試合に出られないのか。その理由を誰かのせいにしたり、言い訳ばかりを探していた。確かに、プロとしての素質が欠けていたのかもしれない。「自分に負けていたというか、ちゃんと自分と向き合えていなかった」。世代別代表に名を連ねるも、それが勘違いにつながっていたと、畠中は認めてもいる。

 このままでは、プロとしての自分はあと数年で終わる。そんな危機感を抱きながら、16年に愛着のある東京Vを一度、離れることを決意する。

 自分を知っている人間がいない、どこか遠くの土地で再出発を図るのもいいかもしれない。最終的にはFC町田ゼルビアへのレンタル移籍が決まる。新天地は同じ関東圏だったが、実家を出て、ひとり暮らしを始め、サッカーに割く時間を増やした。

「町田では、1年間、試合に絡むことができて、それである程度、自分の立ち位置だったり、どれぐらいのレベルにあるかが分かりました」

【PHOTO】日本×モンゴル戦を彩った「美女サポーター」たち

 そして翌年の17年に東京Vに復帰。古巣の新監督には、スペイン人指揮官のロティーナ(現セレッソ大阪監督)が就任していたが、「ロティーナと出会って、自分のプレースタイルも確立された」と、この智将との出会いがターニングポイントになる。

 畠中というCBのストロングポイントを挙げるとすれば、真っ先に思い浮かぶのが、攻撃の第一歩にもなる縦パスだろう。元々、10代の頃から後方からの配給は得意で、自分が育った環境も良かった。

「育成年代では、自分たち(東京Vの下部組織)はけっこう強いほうだと思っていて、言い方は悪いかもしれないですけど、余裕でボールを回せるみたいな」

 ボールを支配できるチームで、パスのスキルに磨きをかけた。

 ただ、プロになってからは、先述したとおり、試合にさえ出られない日々が続き、自分の武器を披露する場も、自信も失っていく。それでも、町田で復活の兆しを見せて、そして“ボールを握る”ことを重視するロティーナ監督の指導を受けて、かつての自分を取り戻すことになる。

「CBがつなぐ重要性を教えてもらいました」

 パス出しは得意だったはずだが、「久しく縦パスとか入れてなかったから、ちょっと感覚も忘れていて」、当初はつなぎのところで戸惑うこともあった。
 
 だが徐々にロティーナ戦術を体現できるようになっていく。同じチームにいた永田充の存在も大きかった。
「パス出しとか、すごく上手くて。それを見て、長短のボールを使い分けることを覚えました」

 この17年シーズンは27試合・2得点の成績を残す。コンスタントに試合に絡んで、ようやく自分らしいプレーを出せるようにもなった。
「そこからですね、配給が武器って、自分でも言えるようになったのは」

 さらに、ロティーナ監督の下では、ボールを受ける前の効果的なポジショニングも学んだ。相手のFWとサイドにいる選手のちょうど中間あたりに位置取るようにする。どっちが畠中にプレスをかけに行くのか。相手のその判断を惑わすようなポジショニングを心がけた。

 そうすることで、マイボールにした後の行動がスムーズにもなる。畠中はオフ・ザ・ボールの時、頻繁に首を振って周りを確認しているが、それはパスの受け手を探しているというより、相手を見ているという。

「どっちかと言えば、自分にプレスをかけにきそうな相手を見ていますね。その状況次第で、中に絞ったり、外に開いたりして。それで相手が食いついてくればスペースが空くし、こなければ自分で運べるので」

 CBとして、できることが増えた17年シーズンでもあった。町田を経て、プロでやっていけるという自信が確信へと変わっていった。
 
 迎えた18年シーズン。冒頭で記したように、畠中は焦っていた。中島が、三竿が、自分とは異なるステージで活躍を見せている。同い年の安西幸輝はこの年、鹿島アントラーズに移籍し、タイトルを義務付けられている国内随一の常勝軍団でレギュラーに定着しつつあった。

 だけど、自分は……。

 結果的に、畠中はシーズン途中の8月に、J1の横浜F・マリノスに完全移籍を果たす。「18年シーズンを終えてから移籍しても遅くはないっていう人もいたかと思うんですけど、自分はそれでは遅いと思った」

 東京Vでのレギュラーの座を手放してでも、少しでも早く上のカテゴリーに行って、自分の力を試したかった。そこで揉まれて、成長したかった。そうしなければ「間違いなく取り残されると思った」からだ。

 横浜での1年目はベンチに控えることのほうが多かった。ただ今となっては「あの時の判断は間違いではなかったと思う」。今季は28節終了時点で、チームで唯一の全試合フルタイム出場中で、不動のCBとしてフル稼働している。さらに、コロンビア、ボリビアと対戦する日本代表の3月シリーズで代表初選出、ボリビア戦で代表デビューを飾った。

 大きな飛躍を遂げようとしている今季について、畠中は開幕前に「想像もしていなかった」という。

「クラブでスタメンを取れるかどうかも定かではなかったし。でも、ふたを開けたら、こういう立場でやらせてもらえていて。なにより、大きな怪我なくプレーできているのも幸せなこと。すごく充実しています」
 
 もっとも、日本代表に関しては、“予想外”だったようだ。

「今年中には(日本代表に)呼ばれたいとは思っていましたけど、まさかあのタイミングとは……。だって、あの時点でまだ、たぶんJ1でトータル10試合も出ていなかったはず。浮足立つじゃないけど、不安ではありましたね」

 ただ、3月シリーズに続き、その後も森保ジャパンには招集され続けている。本人も「慣れてはきました」と語るが、満足はしていない。

「自分が良い選手だとは全然思っていない。もっと成長できるはずだし、逆に言えば、まだまだ足りないところだらけということ」

 そう自らを客観視している畠中は、「そろそろ、またステップアップしたいですね」と意欲的だ。
 
 その次なるステップのひとつに、J1のリーグタイトル獲得はカウントされるはず。上位陣との勝点差を見ても、逆転優勝は現実的な目標に掲げることができる。

 アンジェ・ポステコグルー監督率いる横浜は、高い得点力で勝点を積み上げてきた攻撃特化型のチームだ。だからこそ、DFのパフォーマンスが重要になってくるとも言える。チームとして失点数は少なくないが、それをひとつでも減らせれば、その分、勝利の確率はグッと高まる。

 敵陣でのプレータイムを増やすために、チームの重心は前目に設定。つまり自陣にはそれなりにスペースができてしまうが、CBの畠中はそこまで心配はしていない。

「うちのサッカーは“裏”が空いているから、相手はシンプルにそこを狙ってきますよね。でも、CBの相方のチアゴ(・マルチンス)もめちゃくちゃ足が速いし、GKのパギ(朴一圭)も果敢に前に出てきてくれる。だから、スペースが空いているように見えるけど、実際にそこにパスを通すとなると、相当に精度が高くないと通らないと思う」

 GKを含めた守備陣の信頼関係は揺るぎない。「裏に蹴られても、カバーしてくれる人がいる。だから自分たちも前に強く行ける」。よしんば危ない場面を作られても、「もちろん、そこは準備しているので。すぐに対応できる」と頼もしい。

 守備の要として最終ラインを取り仕切り、正確にボールをつないでポゼッションを支え、自慢の縦パスでゴールチャンスをお膳立てする。畠中に課せられたタスクは、攻守両面で多様かつ重要だ。
 
 ここまでの道のりを振り返れば、もしかしたら遠回りだったかもしれない。9月某日、練習が終わってもピッチに残る若手に視線を向けながら、瞼の裏には数年前の自分を浮かべ、畠中は静かに言葉を紡ぐ。

「昔は、ふてくされていた部分はあったと思います。でも、その時間はもったいなかったなって。今の(渡辺)皓太とか(遠藤)渓太とか、彼らぐらいの年齢の時、自分は試合にほとんど出られていなかった。若い時にJ1で出られるなんて、すごく羨ましくて。あの時の自分は、もっとやれることがあったんじゃないかって。そういう後悔はありますね」

 その遅れは、間違いなく取り戻した。今やJ1で優勝を狙えるクラブでレギュラーを任され、日本代表の肩書も持つ。周回遅れのランナーが、先頭集団に追いつこうとしている。あともう少し。さらにスピードを上げて、力強く走り続けるだけだ。

取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
 
※本記事は、サッカーダイジェスト10月24日号(10月10日発売)掲載の記事に加筆修正したもの。