「好きなことを仕事にするのはすばらしい」と人は言うけれど… 失われた小説をもとめて【2】

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東京で小説デビューするも、筆が動かなくなった藤田祥平さん。大阪に帰ったあと、小説のネタをもとめて、車で日本最北端を目指す旅に飛び出した。大阪、金沢を経て、ついに富山・新潟にたどり着くのだが……。

あっ……富山……

私は金沢東インターチェンジから北陸自動車道に乗り、東進をはじめた。

高速には乗らない、と決めていたのに。

もうなにもかも忘れて、旅程をスキップしたかったのである。

それに、下道を行ったところで何も起こらない。むしろ信号だののせいで、思索が乱れてしまう。

それならば、高速でさっさと先へ進もう。

そうした、じつに場当たり的な判断であった。

それから一時間ほど、私は運転を続けながら、反転したエクリチュールがもたらす漂白された「いま-ここ」を、脱構築主義的観点からあらためて検討していた。

自分たちが虚構表象の存在だと認識している登場人物たちは、はたしてそのような状況においても、人間的反応を続けられるものだろうか? おそらく、その存在の定義を確認することからはじめなければならない。しかし議論は、ともすればテクストそのものの検討から、安直なメタフィクションの方法論へと墜ちていくだろう。まずは、外堀を埋めていくことにしよう。仮に、私がいま喫っている煙草が虚構表象であるのなら、それによって引き起こされた肺癌もまた、虚構表象にほかならない。したがって、その肺癌によって引き起こされたキャラクターの死が、死の換喩にほかならない終章最後の句点へと(つらい咳に悩みながら)集約されていくのであれば、いみじくもブランショが予言したとおり、〈達成され得ない経験〉がついに読者によって経験されるのではないか……。

と、いうような、蒙昧なことを考えながら北陸自動車道を東進していると、富山インターチェンジを通り過ぎた。

あっ……と思った。

富山、と記された緑色の看板が後方に去っていくとき、私の胸中に、うつくしい富山の街の思い出がフラッシュバックした。

じつは富山も、行ったことがあった。

着替えをすべてコインランドリーに放り込んでしまったあと、寿司をもとめて街を彷徨っていたとき、やっと見つけた一軒の前で、こんなよれよれのTシャツのままで大丈夫だろうかと不安になり、しかし食うしかない、えいやっ、と入った。大将は私の格好よりもなによりも、私が来てくれたことがほんとうに嬉しい、という笑顔を見せてくれて、それでとても安心した。話を聞いていると、のれんを分けてもらったばかりの、すこし年上のお兄さんだった。そこでいただいた握りもさることながら、焼いた太刀魚の馥郁たる味は、いまだに忘れられない。

そののちにすすったブラックラーメンの塩気の強さに、かつての労働者たちの失われた汗を思いもした。

……と、いうようなことが、かつてあった街だった。

いや、すばらしい街なんです。

入ったお店に立山酒造の「立山」があると、いつも注文します。

しかし、その時の私の胸中は、わけのわからない半端な仏文学批評的時空へと飛んでいっており、ありていに言って、「富山ねえ……」としか思えなかったのだ。

(富山出身の作家、山内マリコさん、ごめんなさい。『選んだ孤独はよい孤独』、すばらしかったです。)

平日夜の新潟、ある魚との邂逅

そして私は、新潟県上越市街に入った。

途中、日本随一の交通の難所といわれている親不知のエリアで高速を降り、この日本海の荒波に面した断崖絶壁に、なんとしても国道を通すんだ! という日本道路公団の心意気と決意を感じられる、非常に薄暗く恐ろしい国道8号線を行きながら、先人たちの努力と技術に感嘆したりしていたが、こうした感情は、そんなにインスタントに小説になるものではない。

直江津のあたりで、林芙美子の『放浪記』にも登場する「継続だんご」をお土産のつもりで買い求め、しかしよく考えると最北端から大阪に戻るまでに保つわけもないので悄然と開封して食べるなどしたあと、アルミニウムの板でインターネットを参照し、「上越唯一の繁華街!」と銘打たれた高田駅周辺をめざした。

途中、道の駅で休憩して、車内で腹を出し、林芙美子のようにへその上に十円玉銅貨を乗せて遊んだりした。

もはや行き当たりばったりもいいところであった。

日が暮れてすぐ、着いた。

人っ子ひとり、いなかった。

上越市高田、人がいなかった…

平日だからだ。

そう! 平日だから、仕方がないのだ。

さいわい、お店はそこそこやっていた。

何の気なしに、串カツ屋さんに入った。カウンターだけのちいさな店で、店主となにか話ができるかもしれないと思った。

店主は短い髪を金髪にした、三十そこそこの男性で、ひきしまった身体で、肌がよく焼けていた。サーファーだったのかもしれない。どうしてちゃんと質問しなかったのだろう。サーファーの登場人物の類型が得られたかもしれないのに。

あいさつをして、麦酒と、枝豆と、串カツ盛り合わせを頼んだ。紅生姜がメニューにあるのが、嬉しかった。

ぽつぽつと会話をした。

「もとは東京でやっていたんですが、いろいろ厳しくて。地元に帰ってきて、はじめたんです」

なるほど。

「ちなみにご出身は、どちらで?」

大阪です。

「えっ、じゃあ、串カツはお詳しいんじゃ」

いや、大阪よりうまいですよ。こっちの串カツは安かろう……って感じで。

「はっはっは、そうですか」

云々かんぬん。

当たり障りのない会話だった。

表面上は楽しく飲み、食いながら、私の心はまたしても絶望に浸されつつあった。

こんな会話が、いったいなんの糧になるのか。

こんな会話をもとに、どうして人の心を動かすものが書けるのか。

焦りとともに目を落としたメニューに、しかし天啓があった。

サメ。

鮫である。

「あのう……」私は意を決して言った。「この、サメをください」

「はい」

揚げてもらっているあいだ、サメについて聞いた。

「あのう、サメって……ぼく、はじめて食べるのですが」

「ああ、このあたりでは、よく食べるんですよ」

何!

民俗学的に興味深い資料が得られるのではないか。

私のなかのミニ柳田国男が猛然と首をもたげた。

私は生唾を飲み込みながら、質問した。

「どうしてそんな風習があるんでしょう?」

「いやあ」と店主は言った。「ぼくもよく知らないんすよ。でも、スーパーとかに、ふつーに売ってますよ。子供のころから、たまに食べてました」

へぇー……。

……。

……そうなんですね……。

ちなみにサメの味は、鳥のささみによく似た食感の白身魚、だった。

おいしかったです。

それから私は三千円を支払い(安い!)、けっこう満足してしまい、バーやクラブやラウンジやスナックに寄ることさえせず、ホテルに帰って寝た。

思い返せば、このあたりで諦めて、引き返すべきだったのだ。

創作のいちばんのひけつは、楽しむことだ。もちろん、たいていは、楽しいだけでは済まない。苦しいときもある。しかしその苦しみは、ボール遊びをしている子供が、ボールを追いかけるのがあまりに楽しいので、息が上がって苦しいけれど止められない、というようなものであるのが理想だ。

しかし子供だって、何千時間もボール遊びばかりやっていると、だんだんいやになってくる。そこで、いろいろ工夫してみる。古今東西のさまざまなボール遊びを模倣したり、やたら小難しいルールを定めてみたり、単純なものに回帰したりする。

もちろん、すばらしい努力ではあるけれど、そうしていると、だんだんと、いったい何のためにやっているのかね、という疑問が浮かんでくる。

これはどうにも避けがたい。

そして、そういう疑問が浮かんでくる時点で、もはや、ボール遊びを心から楽しんでいないのである。

好きなことを仕事にするのはすばらしい、と人は言う。私もそう思う。けれど、ときどき、おれの好きなものが、株取引や不動産や医学や、その他いろいろの、儲かりそうな仕事であればよかったな、と思う。健康的な分量だけ仕事をすれば、それで生きていけただろうから。

いやいや、愚痴っぽくなっている場合ではない。とにかく、美しい文章を。それも、内容にかなった文体で。主語、動詞、形容詞。あるいは、主語、形容詞、動詞の順序をベースにして。たまにリズムを意図的にずらし、意表をつき、反転させて。

書きながら、こんなにすてきな構文はないな、といつも思う。

きれいだ。すてきな文体だ。こんなものができるなんて、嬉しいな。

で、一度やれたのだから、次もやれるだろう、と思う。

しかし、だんだんと文章はほどけていく。

論旨は乱れ、内容は虚ろなものになり、したがって形式が定まらない。

書き上げたものを、はじめから見直してみる。

――駄目だ、ぜんぜん新しくない! つまらない!

なぜだ!?

それでも、それでも、できるだけよいものを。そのことに誇りを持てるような、優れた文章を。足して削って入れ替えて、ときには一からやり直して、書いて、書いて――

相場は、4000字で一万円。

これでも、高給取りなほうだ。

媒体も息を切らしながらやっている。仕方がないのだ。

(ちなみに、この連載が掲載されている現代ビジネスさんは、さすがにもっと高いです)

こんなにスランプなのは、きっと、インプットが足りないからだ。インターネットに書いてあったから、まちがいない。そこで、巷で流行っているという小説本をもとめて、じっくりと読んでみる。読みながら、おかしいなと思う。そんなはずはあるまい。たぶん、私の感性が鈍っているのだろう。ふむ、ふむ、なるほど……なるほどね……ふうん……

最後のページまで来てしまう。

砂を噛むような読書である。

それならばと、信頼している作家の未読の本をもとめて、読んでみる。しかし、なんだか、先が読めてしまう。考え方の癖や、技法、凄味なんかに、すでに既視感がある。いや、そんなはずはあるまい。たぶん、私の感性が鈍っているのだろう。

ふむ、ふむ、なるほど……へえー。

また最後のページが来る。

いろいろな本を試す。

最後のページが来る。

心は動かない。

そして私は灰皿に積もった吸い殻の山を見つめながら自己診断をくだす。

もしかすると、この人間は、いまのところ、なにごとも楽しむことができない状態にあるのではないか。

好きを仕事にする。たいへん結構。

しかし、好きが楽しいと感じられなくなったら、人間、ちょっと疲れている。

だから私が、ほんらいは生活費にあてるべき印税を路銀とし、それを燃やすようにして上越市から新潟市へとつづく国道8号線を北進していたのは、すでにある種の自傷行為、手首の血管を縦に裂くような行いであったと言える。

私は、心から、なにか心を動かされるもの、書かねばならない、生きねばならないと思わせてくれるものを、血眼になって探していたのだ。

なにかがあるはずなのだ。何百年、何千年という時が、これらの土地で流れたはずだ。神話があり、愛憎があり、未来があり、過去があったはずだ。

そんなはずがないのだ。なにもないわけがない。そう、この空虚なバイパスめいた国道8号線からふと思い立って左折し、降り立ったビーチ、海水浴場には、たくさんのひとがいて、そこでなにかドラマがあって、出会いがあって、みんな幸せだったり悲しかったりして、ああ、人間というのはこういうものなんだな、世界というのはこういうものなんだな、すてきだな、と思わせてくれるような、なにかがあるはずなのだ。

私はさび付いた海水浴場の看板を認め、左折して8号線を離れた。

海の家、エメラルド・グリーンの海と純白の浜辺、ひきしまった肉体を太陽と潮風にさらして微笑んでいるふたりの若いカップル。おそらくは、そういうようなものを、私は心から求めていた。

しかしながら、もちろん、そんなものは、なにひとつ、なかった。

鈍重な色の海。

純白どころか深い茶色の、ペットボトルのごみだの海藻だの松葉だのが溜まっている浜辺。

そして、無人。

人生があなたになにを与えてくれるかが問題なのではなく、あなたが人生になにを与えられるかが問題なのである。

これはオーストリアの心理学者、V.E.フランクルの箴言だ。

そこで、私はこの薄汚れた無人の海水浴場に座って、私がこの人生になにを与えられるか、つまり、どんな小説を書くことができるかを考えた。

十分ほど考えたが、暑すぎて、まったく集中できなかった。

八月だったのである。

私は車に避難し、煙草を吸い、ぼーーーーーっと海岸線を眺めた。

海岸線は海岸線として、じつに美しかった。

しかし海岸線は、ただそれだけで、小説になるようなものではない。

昼頃、新潟市に入った。駅前でラーメンを食べ、街を散策した。

目新しいものは、なにひとつなかった。

うすうす感づいてはいたが、街は、街でしかない。

街を想像してみてほしい。

なんでもいい。

それが、日本のすべての街である。

例外はない。

私は旅好きなので、すべての県の主要な都市を訪れたことがある。だから断言できる。

街は、街である。

ちょっとした差異はある。しかし、それらはすべて産業や土地、文化による。

街の機能そのものや、建物の感じは、いつもおなじである。

だから、いくつもの街を見ることによって得られるのは、創作の糧ではなく、土地勘のみだ。

どこまで行こうとも、ファミリー・マート、セブン・イレブン。

たまにローソン。

基本的に、この三店のアイスコーヒーを飲むことになる。

このあたりで私は考えることをやめ、目的を純化させ、アイスコーヒー(Lサイズ)をがぶ飲みしながら、ただひたすら北に向かって走ることにした。

いわゆるオートパイロット・モードだ。

私は人生の三分の二以上をこのモードで過ごしている。

日本海の海岸線をずっと行った。

どこかの時点で、高さ五十メートルはあろうかという、巨石のような小島が、浜辺から突き出ていた。

雲の多い夕暮れで、残照の空が燃えるようだったこともあり、なにか不穏なものを感じて車を停めた。

島にむかって続く砂嘴のはじまりには鳥居があった。私はおそるおそる近づいた。神社としてととのえられたのか、小さな本殿らしきものが島の低いところにあった。

もちろん、人はひとりもいなかった。

この小山のような島を登るなど、とんでもないことだった。肌が触れればただちに傷つけられるであろう、ぎざぎざした岩でできた島だった。

本殿のまわりには芒が自生していて、はるか頭上の島の天辺に、注連縄(しめなわ)が結ばれたべつの鳥居があった。

このような登りにくい、危険な小島の天辺に鳥居を立てるくらいだから、かつてよほどの災厄がこの地域にあったのだろう。私は陰陽道(おんみょうどう)の心得が少しあるので、恐ろしい氣が満ちているのも感じることができた。

いったいどのような荒振神(あらぶるかみ)が祀られているのだろう? コンタクトを試みる必要を感じた。もしかすると、この日本海の荒波に洗われて消えつつあった、古い歴史をとりもどすことができるかもしれない。

神とのチャネリングの方法は流派によってさまざまであるが、よほど上位の神でないかぎり、べつだん準備をする必要はない。榊の葉や幣(ぬさ)、装束などがあればよいことには違いないが、こうした偶然の機会には清廉な心で柏手(かしわで)を打つだけでじゅうぶんである。

旅は道連れ、世は情け。袖振り合うも多生の縁。それくらいの事情は、どんな神でもわかってくれる。出雲大社、伊勢神宮、太宰府天満宮、石清水八幡宮、熊野本宮大社などなどでも確認済みだ。

そういうわけで私は柏手を打ち、自分の名前と年齢、住所を告げた。

なぜ嘘をつくのか、とその神は言った。

えっ? いや、私は嘘などついていません、と私は答えた。

名前を偽っているじゃないか。おまえの家名は藤田ではない。と、神は言った。

あ、えーっと、これはですね、と私はあわてて説明した。あのですねえ、明治の維新から数えること百五十年、日の本の国の民は西洋風の考え方を取り入れようとがんばってきたわけですが、まだまだ基本的人権、民主主義、などなどの、ハイカラな思想に慣れていないものでして、いまだに選択的夫婦別姓すら認められていないという嗤える事情がありまして。結婚するときにですね、妻がこのままの性がいいと言って、おおそうか、じゃあ夫婦別姓でいこうと役所に届けに行って判ったのは、この後進国で結婚するためにはどちらかが絶対に名前を変えないといけないっつーことでした。それでまあ、私はこだわりもありませんから戸籍上は妻の性をもらったんですが、べつに変えたいわけでもなかったのでずっと元々の性の藤田と名乗っているのです。ほっとくつもりだったんですが税金とかがややこしくなっちまって、免許とか銀行口座とかの名義変えるときに、お婿さんになられたのですか? とか聞かれたりしてね。えっ、おめーマスオなの? とかね。あははははは。まー他人の姓名なんてどうでもいいっすからね、正直。それに私の苦労なぞ他の方のものに比べたら些細なものです。この国、夫婦別姓どころか、同性結婚やシビル・ユニオンさえ認められていない有様なんですよ。まじかよって感じっすよね。笑っちゃいますよね。あはははははははははははははは。

何を言っているのか全然判らん。いまいいところなんだ。切るぞ。

あっ、あっ、お待ちください。お待ちください。私は大阪、えっと、逢坂じゃなくってですね、昔でいう小坂(をさか)から参りました旅人でございます。地名変わったの、ご存知でした? 秀吉が城作るときに変えちゃったらしいんすよ。えっ、こんなビッグなおれが小っちゃい坂に住むの? 大っきい坂で良くない? とか言って。ほんまかどうか知らんすけど。

要点だけ話せ。

はい。わたくし、美しい海岸に見惚れながら来ましたところ、ふと、あなた様のお住まいをみとめて、詣でにまいりました。しかしこうしたお社には通常、立て看板などがあって、そこに成立の経緯などが記されているものですが、こちらにはそうしたものが一切なく、ただ海辺に寂しく立っているばかりで、おや、これはなにかあるなと思いまして、こうしてお伺いいたしたという次第でございます。いったい何があったのですか? あなた様はなんというお名前の神でおわしますか?

うるさい。

えっ。

昔のことは忘れた。お前も忘れるといい。

…………。

じゃ、切るぞ。

お待ちください。

なんだ。

さっき、いいところなんだ、って仰ってましたけど、なにされてたんですか。

ああ。いまBSの洋画チャンネルで『ブレードランナー2049』やってるんだ。思ってたよりいいな、これ。劇場で観りゃよかった。

……ありがとうございました。