友達や人間関係は都度リセットしてきた、という堀江貴文氏の真意を尋ねた(撮影:梅谷秀司)

「昔からの友人」や「親友」という言葉には、どこかポジティブな印象があります。

ですが、実業家の堀江貴文氏は同じ友人と10年以上も付き合い続けることに否定的です。同氏が「人間関係を迷わず捨ててきた理由」を新刊『捨て本』から一部抜粋、再構成して紹介します。

子どもの頃から、あまり友達はいなかった。1人もいなかったわけではないけれど、すすんで友達を増やしたいほうではなかった。

人と話すのが苦手ではない。でも、コミュニケーション上手とも言えない。おしゃべりは大好きなんだけど、場の空気を読んで、僕のほうがあれこれ気を回さなくてはいけない相手とは、一緒にいたくはない。

刺激的で面白い会話のできる相手となら、仲良くしたい。コミュニケーション下手だけど、孤独を愛しているわけではないのだ。実はけっこうな寂しがり屋で、楽しく過ごせる相手はいっぱい欲しいし、ずっと面白い仲間に囲まれていたいと思う。

寂しがり屋なのに、とくに友達はたくさんいらないと考えているのは矛盾じゃないかと指摘されるかもしれないが、そうだろうか? 一緒にいて楽しい人と出会い、つまらないやつとは過ごしたくないと考えているだけだ。

「友達の基準」

友達の基準みたいなものが、人にはある。第1は「話が合う」ことだろう。僕もそうだ。ただ、話が合わないと少しでも感じたら、もう、一瞬で捨てる。関係を維持するための気づかいやコストはいっさい、払いたくない。

身勝手で冷たいと思われるだろう。だが僕としては、気を遣ったり、つまらないと感じる友達と、仲良くしている意味は、何なのだろう?と、不思議になってしまう。最初から話が合わない相手は問題外として、話が合っていた友達なのに、だんだん合わなくなって気まずい……という状況は、誰しも経験すると思う。

その場合、僕は、迷わず捨てる。

それまでの過ごした時間とか、築いた友情に思い入れがあるので、できないという理屈も、わからないでもない。

けど、ストレスを抱えてまで友達付き合いする理由には、ならないんじゃないか? その時間とか友情めいたものは、これから出会える、いまの価値観に合った友達と築いていけばいいだけのことではないか?

僕の考え方が一般的ではないことは、わかっている(おかしいとは思ってないが)。けれど、同じ友達と何年も、長ければ10年以上もずーっと仲良しでいる、というのは、相当まれではないかと思うのだ。

長い付き合いの友達が何十人もいる、と自慢げに言う人がいたら、僕は要注意だなと思う。同じ価値観に固まって生きていて、思考も知識もバージョンアップしていない可能性が高いからだ。

「昔話をする友達」は持ちたくない

人付き合いには、刺激の賞味期限みたいなものがある。仕事や人間関係、触れる情報によって、誰しも人生のステージは変わっていく。その間に友人や趣味仲間の、刺激の賞味期限はすり減って、話が合わなくなっていくのは、ごく普通の現象だ。

時間が経てば、遊ぶ場所が変わり、食事をする場所も変わり、価値観も大きく変わっていくものだ。そんなとき、いつまでも変わらない話をして、「あの頃はこうだったなー」と昔話をしてくる友達は、どんな存在だろう。

心が安まる? なるほど、懐古心を温めるという意味では、いいところもあるかもしれない。

でも本当は、疎ましいのではないか? 過去の関係にしがみついて、前へ行こうとするのを邪魔する……とまでは言わないけど、「昔から変わらない同じ話」を繰り返す相手が、いまとこれからを前進していこうとする人生に、絶対必要だとは、どうしても思えないのだ。

子どもの頃から、ずっと仲良しの友人がいて、絶対に「捨てない」、一生大切にするんです、という人も多いだろう。それはそれで結構。好きにしたらいい。ただ僕は、価値観の変わらない、昔話をする友達は、持ちたくない。

同窓会とかで昔話が楽しい、という感覚は、まあわかる。僕はほとんど同窓会の類いは行かないけど、「思い出す」ことに一種の快感があるのは、たしかだと思う。でも、そんなもの何年かに1回でいいのでは? 毎年恒例とか、定期的にやる必要はないだろう。

僕はビジネスを始めて、見える世界のステージがハイスピードで変わっていった。変わるごとに、出会った友達や仕事仲間とは話が合わなくなり、「捨てて」きた。思い切りがいいのではない。

どこか自分に課していた部分もあっただろう。「次のステージでうまくいかなくなったときに、以前のような交友関係に戻れる」という保険をかけたくなかった。 

人間関係はリセットしてもいい

仕事で成功していくにつれて、人間関係のリセットを繰り返し、新しい刺激的な友達をつくっていく。それが僕のスタイルだ。


人間関係をリセットすることは、痛みを伴うこともある。オン・ザ・エッヂの創業メンバーが去ったときは、気持ちのうえでは完全に整理できていたけれど、心の奥のほうでは多少の痛みを感じたものだ。

「捨てる」痛みは、ゼロにはできない。しかし、痛みを感じないくらい忙しく、やりたいことに熱中していればいい。痛みがあるというのは、ヒマな証拠なのだ。

友達をリセット――。私にはできないという人もいるかもしれないが、そんなことはない。むしろ、いま大事にしている友達や仕事仲間に、何かが縛られていないか? 見つめ直してみるといいと思う。

もしくは「捨てられたくない」と、必死にしがみついているのは、あなたのほうなのかもしれない。