カエサル、ヘルウェティイ族に快勝する

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「講談社学術文庫」の名著を読んでみよう!前回に引き続き『ガリア戦記』をご覧ください。カエサルが人気である属州ガリアに赴くと、武勇でしられたヘルウェティイ族との緊張が高まる事態となった。味方であるハエドゥイ族との調整にも苦慮しながら、いよいよ戦いに突入していく――

約束を守らない同盟部族にイライラ

 二 ヘルウェティイ族との戦い

15 翌日ヘルウェティイ族は、その場所より野営を引き払う。同じようにカエサルも陣営を壊し、約四千の騎兵全員を先発させ、敵がどの方面に進んで行くかを偵察させることにした。この騎兵隊は、属州全地域とハエドゥイ族やその同盟部族より集められていたものである。

 騎兵隊は、敵の後尾をあまりしつこく追跡しすぎて、戦略上不利な場所において、ヘルウェティイ族の騎兵とわたり合う。わが軍は、わずかだが死者を出した。この合戦でヘルウェティイ族は鼻を高くした。五百の騎兵で、あれほどたくさんの騎兵を撃退したのであるから。それでいちだんと大胆となり、時には踏みとどまり、後尾だけでわが軍に挑戦を始めた。

 カエサルは味方に戦闘を差し控えるように命じ、目下のところ、敵の略奪と糧秣(りょうまつ)徴発と破壊行為25を封じておけば、それで十分であると考えた。こうしてほぼ十五日間、旅をし敵のしんがりとわれわれの先頭との間隔が、八キロか九キロ以上離れていないところまで来た。

16 その間にもカエサルは、ハエドゥイ族にたいし、彼らが当局の責任で約束したからといって、穀物の供出を毎日のように催促していた。気温が低いため、──というのも、ガリアは、先にも述べたように、北に位していたので──26畑の作物はまだ実っていなかった。のみならず、秣(まぐさ)すらも十分な量だけ調達できなかった。

 一方では、せっかくアラル川を遡上させて船で運んでいた食糧も、ほとんど利用できなかったのである。それというのも、ヘルウェティイ族がアラル川の線からそれて行進をつづけていたし、カエサルは敵からあまり離れることを欲しなかったからである。

 ハエドゥイ族は一日一日とカエサルとの約束をおくらせていた。いま集めているの、いま輸送中であるの、いまに到着するのとかなんとかいって。ついにあまり長く待たされることに気づき、そして、食糧を兵士に配給せねばならぬ日が差し迫っていたので、ハエドゥイ族の著名な指導者を召集する。

 彼らの大半は、ローマの陣営に暮らしていたのだ。この中にディウィキアクスとリスクスがいた。後者はハエドゥイ族が、「ウェルゴブレトゥス」とよぶ最高の官職についていた。これは任期一年で、同胞部族にたいし生殺与奪の権限をもっていた。

 カエサルは彼らが援助してくれないのはなぜかといって語気鋭く責める。「穀物を買うことも、畑から持ってくることもできないでいるとき、こんなに危害が迫っている非常時に、敵がすぐ目前にいるというのに、いやなにより、そもそもこの戦いを引き受けた原因の大半が、お前らの嘆願に心を動かされたというのになぜだ」そして、「お前らは予を裏切ったのか」と今までになかったほど烈しく非難する。

17 このときついに、リスクスは、カエサルの雄弁に感動し、それまでだまっていた秘密を洩らす。「民衆の間で非常な権勢を誇っている者が何人かいる。その者らはみな私人でありながら官職にあるわれわれよりも幅をきかせている。こいつらが、煽動的で不埒千万な言辞を弄し、大衆を不安がらせ、義務づけられている穀物を集めさせないのだ。

 たとえば、ハエドゥイ族がもはやガリアでの指導権を握れないとすれば、ローマ人の支配よりヘルウェティイ族の支配に耐えるほうがまだしもだ、ローマ人はヘルウェティイ族を征服してしまうと、他のガリア人と一緒に、ハエドゥイ族からも、自由を奪いとることは、間違いないとかいって。

 やはりこの者らにより、あなた方の計画や、ローマの陣営で起こっていることなどがみな、敵に知れているのだ。彼らをわれわれの力で制御するなど、とうていかなわぬ相談だ。いや、それどころか、カエサルに進んで打明けねばならぬことを強制されてやっと告げたというのも、そうすることがどんなに危険なことか、自分はよく知っていたからだ、だからこそ、これまで長いこと沈黙を守ってきたのだ」


(25)「略奪と糧秣徴発と破壊行為」rapinis pabulationibus populationibusque(ω)CLO.〔rapinis〕MK. rapinis pabulationibusque S.
(26)「──というのも、ガリアは……──」この挿入句をMKはdel.

尊敬する男の嘆願にカエサルはどうしたのか

18 カエサルはこのリスクスの話が、それとなく、ディウィキアクスの弟ドゥムノリクスのことをほのめかしているのではないか、と疑った。だが大勢の前でこの点を突っ込んで話したくなかったので、すぐ会議を解散させ、リスクスだけよびとめる。彼が一人になると、あらためてカエサルは、一同の前で行なっていた彼の発言について問いただす。すると先刻よりずっとのびのびとした態度で告白する。

 さらにリスクス以外の者を一人ずつよんで、こっそりと同じ問題について尋ねてみる。リスクスの話が本当であることを知る。問題の人物は、まさしくドゥムノリクスであり、彼が大胆不敵な男で大盤振舞いにより民衆の間で大変な人気を博し、政治的な変革を企んでいることを知る。

 「ドゥムノリクスは、ハエドゥイ族の領内の関税やその他のいっさいの間接税を徴収する権利を、長い年月にわたって、わずかな値で買いとっていた。彼が競り値をつけると、誰もこれに対抗して張り合おうとしなかったのだ。このようにして彼は自分の財産を殖し、賄賂を使うための莫大な元手を獲得した。

 彼はいつも自分の費用で大勢の騎兵をやしない、身辺に従えている。たんに自国だけではなく、近隣の諸部族においてすら、大きな権勢を誇っている。自己の権力を拡大するため、彼は自分の母をビトゥリゲス族のところへ、そこで一番高貴な家柄の最大の勢力者に嫁がせていた。彼自身もヘルウェティイ族より妻をもらい、種違いの姉妹や、その他の親戚の女どもを、他の部族へ妻として与えていた。

 彼がヘルウェティイ族に贔屓し、好意をもっているのは、こうした姻戚関係のためであり、カエサルとローマ人とを憎んでいるのは、さらに個人的な理由がある。つまり、カエサルとローマ人がやってきて以来、それまでの彼の権力が衰え、ついに兄のディウィキアクスが、民衆の声望や社会的名誉において、以前の立場を取り戻したからである。

 もしローマ側に何か不測の事態が生じたら、ヘルウェティイ族の後楯で、ハエドゥイ族の王になれるという最高の野心を抱くだろう。ガリアがローマの支配下にあるかぎり、王位はいわずもがな、現在保持している人気すら絶望となる」と。

 なおも追及しているうちに、カエサルは発見したのであるが、数日前に行なわれた騎馬戦で、味方が悲運に見舞われたのは、そもそもドゥムノリクスとその配下の騎兵が、敗走のきっかけをつくったからである。ハエドゥイ族が援軍としてカエサルに送っていた騎兵隊で、ドゥムノリクスがその隊長として指揮していた。彼らの退却により、援軍の残りの騎兵も怖けてしまったというわけである。

19 このような経緯を知って生まれた疑惑の念は、明白にされた次のような事実からもいよいよ強められる。つまり、ヘルウェティイ族に、セクアニ族の領内通行を周旋してやっていたのは、ドゥムノリクスであった。この両部族の間にたち、人質の交換をとりきめていたのも、彼であった。

 これらをみな、彼はカエサルの命令もハエドゥイ族当局の命令もなしにやっていたのみならず、カエサルも、ハエドゥイ族も知らないうちにやっていたのだ。そしていま彼は、ハエドゥイ族の長官によって告発されている。それで自分で罰するにせよ、ハエドゥイ族に処罰させるにせよ、ともかく十分な証拠が揃っていると、カエサルは判断した。

 こうした状況の中で、たった一つ障害があった。それは、件のドゥムノリクスの兄ディウィキアクスが、ローマ国民の熱烈な支持者で、カエサルに深い友情を抱き、非常に誠実な、公平と節度を尊ぶ人柄であることを、よく知っていたことである。つまりドゥムノリクス処刑によって、この兄の気持を損うことを恐れた。

 そこで、なんらかの処置をとる前に、ディウィキアクスを自分のところへよんでこさせる。このときは普段の通訳たちを遠ざけ、トロウキッルスを介して、ディウィキアクスと話す。この通訳は属州の原住民の中での第一人者であり、カエサルが全面的な信頼を寄せていた友人でもあった。

 話の冒頭でカエサルは、ディウィキアクスに、彼自身も出席していたガリア人の指導者会議で、ドゥムノリクスについてほのめかされた言葉を思い起こさせる。ついで、すべての指導者たちが一人一人、カエサルの面前で、ドゥムノリクスについて述べた内容を明らかにしてやる。カエサルはディウィキアクスの心を傷つけることなしに自分でこの事件を審理し、判決を下すか、それともハエドゥイ族に宣告を下すように命じるか、そのどちらかを認めてほしいと要求し、催促する。

20 ディウィキアクスは、涙をいっぱいためて、カエサルを抱き弟にあまりきびしい判決を下さぬようにと嘆願を始めた。「それらのことが本当であることは自分も認める。けれども弟について、私以上に深刻に憂い苦しんでいる者はいない。じっさい、私がかつて自国においても、その他のガリアの地においても、大きな影響力をもっていたとき、弟はまだ若いため、わずかの勢力しかもっていなかったが、私のおかげで、しだいにその勢力は増大した。

 こうしてためた財産と資力を、弟はただ私の名声を下落させるためばかりでなく、私の破滅のためにすら利用しているのだ。にもかかわらず私は弟への愛情にも、民衆の判断にも心を動かされる。もしカエサルが、彼にたいしあまりきびしい刑罰を加えたら、その決定にあらかじめ私が同意しなかったとはとうてい誰も信じまい。人々は、私がカエサルにこんなに信頼されているのをよく知っているのだから。そうなると、さきざき、全ガリアの人々の気持が私よりしだいに離れて行くだろう」と。

 この点について、ディウィキアクスは涙を流し、何度も繰り返して釈明する。カエサルは「そなたのたっての望みや願いとあれば、国家の損害にも予の憤慨にも目をつぶるほど、そなたを深く尊敬している」と誓って、彼をなぐさめ、嘆願を止めるようにたのむ。

 ドゥムノリクスを自分のもとへよびつけ、兄をこの談判に同席させる。ドゥムノリクスについて非難すべき理由をあげる。カエサルが、入手していた情報や、ハエドゥイ族当局が彼に抱いている不平を打ち明ける。今後はいっさいの疑いをさけるようにと忠告する。これまでのことは兄のディウィキアクスに免じて見逃すことにするという。以後、ドゥムノリクスの身辺には、監視人をつけ、彼の行動や話し相手を窺い知ることにする。

カエサルの本領発揮

21 同じ日、偵察隊が、敵はローマ陣営より十二キロ離れた山の麓に陣地をとった、と報じてくる。その山の形状や周囲の勾配などを踏査するための兵を派遣する。傾斜はなだらかであると報告される。およそ、第三夜警時にはいったころ、総督代理ラビエヌスに二個軍団を率い、あたりの地勢に通じた案内人を連れ、山の頂上に登るように命じる。

 カエサルは自分の計画をラビエヌスに説明する。彼自身は第四夜警時にはいったころ、敵の通っていたと同じ道を敵陣へ向かう。全騎兵を自分の前に行かせる。これに先立って、コンシディウスを偵察隊といっしょに派遣しておく。コンシディウスはスッラの配下で、ついでクラッススの軍隊で奉公し、戦争体験に長じた一流の兵士と考えられていたのだ。

22 夜明けと同時に、ラビエヌスが山巓(さんてん)を占領したとき、カエサルは敵の陣地より二・四キロ以上離れていない地点まで来ていた。あとで捕虜から聞いてわかったように、そのとき敵はカエサルの接近も、ラビエヌスの接近も、まだ知らずにいた。

 ところが、コンシディウスは、まっしぐらに馬をとばし、カエサルのところへ帰るとこう告げたものである。カエサルの命令でラビエヌスが占拠することになっていた山は、敵の手に帰している。この事実を自分は、ガリア人の武器や装具の飾りで確認したと。

 そこでカエサルは、軍勢を近くの丘へ連れて登り戦列を敷く。ラビエヌスは、カエサルの部隊が敵の陣営の近くに現われるまで、戦いを交えぬようにあらかじめ指示されていた。それでラビエヌスは、四方から同時に敵を攻撃できる時まで、山を占拠したまま、戦いを差し控え、カエサルの部隊の接近を待っていた。

 昼も大方過ぎたころ、やっとカエサルは偵察隊を通じて、真相をつかむ。つまり件の山は味方に占拠されている、ヘルウェティイ族はそのため、陣営を取り払って移動した。コンシディウスは恐怖心から度を失い、見てもいないものを見たかのように、カエサルに告げたのであると。その日は、これまで通りの間隔を保って、敵の後を追って行き、彼らの陣営より四・五キロほど離れたところに味方の陣地を構築する

23 翌日、軍隊に穀物を配給すべき時なのに、わずか二日分の貯えしか残っていなかったし、それにビブラクテというハエドゥイ族のうち群を抜いて裕富な町へ、二十七キロとちょっとの地点まで接近していたので、今後の食糧供給の手段を確保しておくべきだと考えた。ヘルウェティイ族の追跡から道をそらし、ビブラクテの方へ急ぐ。このことが、ガリアの騎兵隊長アエミリウスの逃亡奴隷を通じて、敵に告げられる。

 ヘルウェティイ族は、ローマ軍が恐怖から勇気を失い、自分らから離れて行ったと考えたのか、それとも前日、ローマ軍が有利な地位を占めながら、戦いをしかけていなかったので、なおさらそう感じたものか、それともローマ側の食糧輸送の道を遮断できるという自信があってのことか、計画を変更し、進行方向を変え、わが軍の後をつけて行列のしんがりをなやましはじめた。

24 これに気づくとカエサルは軍団兵の総勢を近くの丘へ連れて登り、騎兵隊は敵の攻撃に対抗させて送り出す。その間に古強者の四個軍団で三重の戦列を丘の中腹に敷く。丘の頂上にはイタリアで新しく募集していた二個軍団と、すべての援軍歩兵をおいた。

 こうして自分の位置から上の方の27丘を全部、兵でみたした恰好となる。とかくするうち、全軍兵士の携行物を一ヵ所に集め、頂上の方で持場を守っていた兵らの手で、その周囲に防御施設を作らせる。

 ヘルウェティイ族は、全部の荷車を動員して、われわれの後を追い、一ヵ所に輜重を集めた。

 彼らは隙間のない戦列で騎兵を押し返し、つづいて密集陣を作って、わが軍の最前列のすぐ下まで攻め登ってくる。


(27)「こうして自分の位置から上の方の」ita uti supra seの位置は(ω)C.では数行上にあるが、今はKMSの校訂に従う。LOはom.

ヘルウェティイ族、万事休す

25 カエサルはまっさきに馬から降り、次いで、すべての上官たちが、自分の馬を視野より遠ざける。こうして、自ら敗走への期待を奪い、全員が危険を分け合うことにし、部下を激励し、合戦を始める。兵士は敵より高い位置から投槍を放り、敵の密集陣を簡単に粉砕した。敵がばらばらになると剣をぬいて突撃した。

 ガリア人が戦うには多くの障害があった。彼らの重なった幾つかの楯をローマ軍の投げた一本の槍が貫い数珠つなぎにし、投槍の先端が曲がったので、ガリア人は槍を抜き取ることもできず、左腕の自由を失い思う存分戦うこともできなかった。

 その結果、多くの敵が長い間左腕を振り動かしたあげく、あきらめて楯を放り捨て、無防備の体のまま戦うほうを選んだ。ついに、傷つき疲れ果て、戦いつつ後退りを始め、約一・五キロ離れたところに山があったので、そこまで退却した。

 敵が山を占拠すると、われわれは後を追う。敵の行列のしんがりを守っていた約一万五千人のボイイ族とトゥリンギ族が、行軍の隊形のまま、突然わが軍を、楯のない右側から襲いかかり包囲した。

 これを見ると、いったん山の上に引っこんでいたヘルウェティイ族が、再び攻め寄せてきて、合戦を新しく始めた。ローマ軍は正面の向きを変え、二手に分かれて攻撃する。第一と第二の戦列は、先に敗走させ追い払っていたヘルウェティイ族に対抗し、第三戦列は攻めてきていたボイイ族らに立ち向かう。

26 このように二方面の決戦で、長い間、息づまるような熱戦がつづく。敵軍が、わがほうの攻撃を支えきれなくなったとき、ヘルウェティイ族のほうは、はじめ試みていたと同じ山の中へ退却した。一方ボイイ族らは、輜重と荷車のおいてあるところへ、とって返す。

 午後の一時より、夕刻までつづいた全戦闘を通じて、わが軍に背を向けた敵は一人も見あたらなかった。輜重の置き場所では、夜の更けるまで戦われた。敵は荷車で障壁を作り、その上の有利な足場から、近づくわが軍を目がけて槍を放る。ある者は、荷車と荷車の間より、また車輪の間から、ガリアふうの投槍や重槍を、不意に突き出し、われわれを傷つけた。長い間、戦った末、敵の輜重と陣営を手に入れた。陣営では、オルゲトリクスの息子の一人と娘が捕えられる。

 この戦いで生き残った者は、およそ十三万人で、彼らはその夜を徹して停止せずに進みつづけた。旅は夜の一刻も中断されず、四日目に、リンゴネス族の領地についた。わが軍は、負傷兵の看護や死者の弔いのため、三日ほど出発をおくらせたので、彼らの後を追えなかった。カエサルはリンゴネス族に信書と使者を送り、ヘルウェティイ族を、穀物やその他いかなる手段にせよ、援助してはならぬと警告した。「もし助けるなら、お前らもヘルウェティイ族と同じ取り扱いを受けるであろう」と。

 カエサルは、三日ほど間をおき、総兵力を率いて敵の後を追いはじめた。

27 ヘルウェティイ族は、万事休してやむなく、降伏の使者をカエサルのもとへ送ってきた。使者は行進途上のカエサルに出会うと、彼の足元に身を投げ伏し、涙ながらに窮状を訴え、平和を乞うたので、彼らがその時、停止していた場所で、そのまま自分の到着を待っているように命じた。使者はこれに従った。

 敵のいる場所にカエサルが到着すると、人質と武器と、そして彼らのもとに逃亡していたといわれる奴隷とを引き渡すように要求した。これらが探されたり集められたりしているうちのことである。

 一夜おいて次の日、ウェルビゲヌスという郷の住民が、約六千人、武器を渡したあと皆殺しにされると恐れたためか、あるいは、自由になりたいという希望にかられたためか、ともかく、降伏者がこんなに大勢では、自分らの逃亡ぐらい人目につかないとでも、あるいはローマ軍にまったく気づかれないとでも考えたのか、ヘルウェティイ族の陣営から抜け出し、レヌス川の近くのゲルマニア人の領土へと急いだ。

戦後処理のゆくえ

28 これを知るとカエサルは、逃亡者が通っていた土地の原住民らに、「もしお前らが、カエサルに身の明しをたてたいと思ったら、彼らを捕えて連行せよ」と命じた。こうして連れ戻された逃亡者は、敵とみなして処刑にした。残りのヘルウェティイ族は、人質と武器と逃亡奴隷を引き渡したので、全員に帰順をみとめる。ヘルウェティイ族とトゥリンギ族とラトビキ族には、出発していたもとの居住地へ帰るように命じた。

 故国では、畑の作物がいっさい失われ飢えをしのぐようなものは何もなかったので、アッロブロゲス族にたいし、ヘルウェティイ族らに穀物を供与するように指示した。彼らの焼き払っていた城市や村落を建てなおすように命じた。カエサルがこのようなことを命じたおもな理由は、ヘルウェティイ族が立ち去っていたあとを、閑地のまま放っておきたくなかったからである。

 その土地が肥えているため、レヌス川の向かい側に住むゲルマニア人が、彼らの原住地からヘルウェティイ族の領地へ移ってきて、ローマ属州の、それもとくにアッロブロゲス族の隣人となるのを恐れたことである。

 ボイイ族にたいしては、彼らが武勇に傑出した部族であることは有名だったので、ハエドゥイ族の申し出もあり、ハエドゥイ族の領内に、いっしょに住むことを許した。ハエドゥイ族はボイイ族に土地を与え、その後、自分らと対等な立場で権利と自由を享受することを認めたのである。

29 ヘルウェティイ族の陣営の中で、ギリシア文字で書かれた木簡が発見され、カエサルのところへ持って来られた。その木簡の上には、故郷から出て行った者のうち、戦闘能力のある者の名を一人一人記入し、計算してあった。

 べつな項目の下に、子どもや老人や婦人の数を記してあった。これらの各項目を合計すると、ヘルウェティイ族の人口は、二十六万三千人、トゥリンギ族は三万六千、ラトビキ族は一万四千、ラウラキ族は二万三千、ボイイ族は三万二千で、そのうち戦闘能力のある者は、ほぼ九万二千であった。以上を総計すると三十六万八千人である。そのうち故里に帰ったものは、カエサルの指示で人口調査したところ、十一万であることがわかった。