開催返上を報告するオリンピック組織委員会1938年7月(出所:)


 国際オリンピック委員会(IOC)はスポーツと政治の分離を唱える。だが第2次世界大戦直前、オリンピックは国際政治情勢に翻弄されざるを得ない運命にあった。1938年、世界各国が日中戦争に反発するなか、第12回東京大会は中止に追い込まれてしまう。戦火と国策が「平和の祭典」に与える影響を、元NHK記者・橋本一夫氏の著書『幻の東京オリンピック』からひもとく。全2回。(JBpress)

(※)本稿は『幻の東京オリンピック』(橋本一夫著、講談社学術文庫)より一部抜粋・再編集したものです。

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日中戦争が影を落とす

(前編)ヒトラーから「東京」へ、血塗られた“平和の祭典”
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 1938(昭和13)年は東京オリンピックの運命を決する年になる、と誰もが予測していた。大会を開催するとなれば、メーンスタジアムなどの競技施設は年内にも着工せねば間に合わなくなるし、逆に返上するならば、これまた早期に決定しないと代替開催都市の準備に支障をきたすからである。

 しかし、東京オリンピックに暗影を落とした日中戦争は、年が改まってもいっこうに終結の兆しがみえなかった。近衛内閣は1月16日、「帝国政府は爾後国民政府を対手(あいて)とせず」という有名な声明を発表する。日本と中国国民政府との完全な関係断絶を招いたこの声明は、日中戦争解決のための大きな障害となり、早期和平は望み薄となってしまった。

 このころから海外では、東京オリンピックをめぐる新しい動きが具体化してきた。交戦国である日本でのオリンピック開催を疑問視し、開催地の変更または東京大会のボイコットを提唱する国が現れてきたのである。

各国で「反東京」の動き

 最初に「反東京」の火の手をあげたのは英国であった。1月15日付『ニューヨーク・タイムズ』によると、英国IOC委員ロード・バーレーは、「世界大戦を除けば、交戦国での大会開催という状況は前例がない。もし日本が何らかの理由で大会を辞退したら、開催地は東京と最後まで争ったヘルシンキかロンドンになるだろう」と、戦争当事国日本でのオリンピック開催に批判的な発言をする。

 同じ英国のIOC委員ロード・アバーデアが2月1日、英国オリンピック委員会の会議終了後にAP記者に語った内容は一段と尖鋭化していた。

「わが国の委員会が選手を東京に派遣すると決定しても、そのための資金が集まるとは私には思えない・・・ベルリン大会のときのボイコット運動は英国では一部に存在しただけだが、日本に対する反感は全国的であり、米国の情報から判断すると国際的でもある・・・もし戦争が継続していれば、西洋諸国は危険な海域を通過して選手を派遣することの可否を真剣に考慮せねばならない」

 この談話を報道した翌2日付『ニューヨーク・タイムズ』は、英国が東京大会の招待状を受理せず、ボイコットする可能性が出てきたと見出しで伝えている。

 英国内の「反東京大会」の空気はさらに拡散し、英国陸上競技連盟副会長パッシュも大会ボイコットを表明したほか、シドニー(オーストラリア)の英連邦競技大会に参加した大英帝国競技連盟役員は2月11日の会議で、「何国たるとを問わず、交戦国で開催されるオリンピックへの参加は好ましくない」という決議を採択する。

 英国の動きに神経をとがらせた組織委員会の問い合わせに対し、駐英大使・吉田茂は2月20日、IOC委員ロード・バーレーとの会見結果を外相・広田弘毅に連絡してきた。それによると、パッシュのボイコット表明は英国陸上競技連盟の意向を代表したものではなく、シドニーでの決議も英国オリンピック委員会は関知しないとのことで、バーレーは「英国ニテハ東京『オリムピック』大会ニ対スル反対ハ一部排日運動者間ノ空気ニ過キス、余リ強大トハ思料セラレサル」と述べたという。

 だが、バーレーが「一部排日運動者間ノ空気」と説明したにせよ、近代スポーツの発祥地英国で起こった「反東京オリンピック」の動きは、ヨーロッパを中心とする各国に少なからぬ影響を与えることが予想された。

「分離論」を盾に取るも

 日本側は、英国などが交戦国での大会開催に批判の主眼を置いていたことから、もっぱら伝統的な「スポーツと政治の分離論」で対抗した。逆にみれば、日中戦争の終息のめどが立っていないため、「戦争とオリンピックは別物」と主張する以外に手はなかったというべきかもしれない。

 たとえば、2月1日のアバーデア発言について組織委事務総長・永井松三は、「日本に於ても政治とスポーツは明らかに区別されてをり、これが即ちオリンピック精神から発するところであると思ふが御互に冷静に考へて、スポーツの真意に即して行動したいものである・・・話せば判る事だと確信する」と反論し、大英帝国競技連盟の決議に対して組織委副会長・下村宏は、「米国は諒解してゐるが英国自治領がオリンピックの神聖を無視して政治、感情の両問題を混同してゐるのは遺憾」との談話を発表している。

 スポーツと政治の分離論はIOCの基本原則ともいえるが、「下村談話」にもみられるように、当時この原則を忠実に履行していたのが米国であった。とくに1936年のベルリン大会のとき、反対運動を抑えて選手を参加させた米国オリンピック委員会(USOC)委員長アベリー・ブランデージは、今回も「東京オリンピック支持」の旗幟(きし)を鮮明にしていた。

 ブランデージは1月13日付ならびに2月12日付『ニューヨーク・タイムズ』で次のように発言している。

「オリンピック委員会と競技者にとって、日本の軍事政策が好きか嫌いかということは重要なことではない。われわれの唯一の関心事は、日本が大会を確かに準備できるかどうかということである。米国オリンピック委員会は、スポーツはあらゆる政治的、人種的要件を超越するという立場を堅持してきた。われわれは1936年のときもこの原則を貫き、いまも変更はない。アマチュアスポーツは、肌の色や教義、階級からつねに自由でなければならず、米国オリンピック委員会は、そのなかに政治が占める場所はないという立場を終始保持してきた。競技者は、オリンピック開催国の人種、宗教、経済、政治とかの諸問題を考慮すべきではない。開催国の仕事は(オリンピックのために)トラック、フィールド、案内、座席などを準備することだ」

 もちろん、米国の世論がブランデージのような意見で統一されていたわけではない。米国の対日感情がいっそう悪化していることは、既述の沢田一郎書簡でも明らかだったし、東京オリンピックへの参加に反対する声も日を追って高まろうとしていた。

開催か、中止か

 1940年東京オリンピックの問題点のひとつは、紀元2600年記念として開催したいとの意欲が先行したため、肝心の競技施設を事前にまったく整備しないままに立候補し、しゃにむに招致運動を進めたことである。そのつけがまわってきたというべきだろうが、日中戦争の影響で競技場建設が事実上ストップしたことにより、東京大会は否応なしに開催か中止かの岐路に立たされることになる。

 さらに付言すれば、招致の段階で東京オリンピックを紀元2600年記念事業の一環と位置づけたことが、その後の情勢変化により、逆に大会開催に困難な状況を生みだしたともいえる。

 日本の軍国主義化が急進するにつれ、オリンピックに内包される国際的、平和的な理念と、「紀元2600年」の持つ国家主義的性格との矛盾が激化し、軍部だけでなく政府内部でも、東京オリンピックの意義を認める空気が急速に希薄になっていたのである。

 実権を握っていた軍部が、単に聖火リレーに興味を示すだけでなく、ナチス・ドイツのようにオリンピックを一大プロパガンダの場と考え、日本の立場を国際的に理解させる絶好のチャンスととらえていたら、東京オリンピックは実際とはかなり異なった展開をみせていたのではないだろうか。

 たとえば、オリンピックの開催を機会に、日中戦争の一時停戦など思い切った手を打っていれば、諸外国のボイコットの動きは沈静化し、東京大会の返上といった事態は回避できたかもしれない。

 だが、オリンピックを「たかがスポーツの大会」とみていた当時の軍部関係者に、そのような大胆な発想は望むべくもなかったし、各国の対日感情改善のためにオリンピックを役立てようとする国際感覚の持ち主もいなかった。

決定的となった「五輪中止」

 1938年6月23日、近衛内閣は閣議において、東京オリンピックに重大かつ決定的な影響を与える方針を決めた。企画院提出の「昭和13年ニ於ケル重要物資需給計画改定ニ関スル件」を承認し、戦争遂行のため軍事目的以外の国内需要を極度に抑制することにしたのである。

 改定計画の実施要領のうち、「軍事用以外本需給計画実行上本年後半期物資使用ニ関連シ実施ヲ要スル主ナル制限禁止事項」には、「一、戦争遂行ニ直接必要ナラザル土木建築工事ハ現ニ着手中ノモノト雖モ之ヲ中止ス」とあり、このなかには官公庁舎や学校などの新改築中止とともに、万国博覧会とオリンピック工事の中止が明記されていた。

 政府が「重要物資需給計画」を改定したのは、日中戦争の長期化とともに、消耗の激しい軍需品の生産、供給の確保がしだいに窮屈になってきたためで、これにより国民生活に関係の深い鋼材、銑鉄、羊毛、紙、皮革、木材など33品目の使用が制限される。

 閣議決定翌日の『東京朝日新聞』夕刊は、「戦争目的に一切集中 長期持久の体制確立」「軍需品調達を第一 消費節約を徹底」と大見出しで報道し、これに関連して政府は、「刻下凡百の施設を戦争目的貫徹に集中し、官民一体長期持久の戦時体制を確立し、以て時局に対処せざるべからず。これがため当面の急務は物資の調整運用を最も有効適切ならしむるにあり」との声明を発表した。

 議会での「オリンピック中止」発言で物議をかもした陸相杉山元は、閣議決定の約1カ月前の5月16日、政府主催の国家総動員会議で、「事変」は長期にわたる国家総力戦の段階に入っていると述べ、総動員態勢を早期に確立するよう要請している。


 この会議のあとで企画院が作成、政府が承認した「需給計画改定案」は、国民に深刻な苦痛と犠牲を強要し、かつ戦争にすべてを傾注する「物資総動員計画」とでもいうべきものであり、この政府決定が最終的に東京オリンピックの死命を制することとなった。

 世界最大級とうたわれたメーンスタジアムをはじめ、「紀元2600年」のオリンピックで使用される予定だった競技施設は、資材統制の影響をもろに受け、大会返上後も工事が継続された戸田ボートコースなど一部を除いて、建設の槌音が響くこともないままに夢と消えたのである。

筆者:橋本 一夫