980円で王様気分――松茸ごはんを炊いてみる【数字のないレシピたち Vol.3】

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決められた材料、分量、調理法などない。何にも縛られず、自分だけの「美食」を味わうために作る料理があってもいい。それはきっと、心満たす色鮮やかな時間をくれるはず。出張料理人・ソウダルアが綴る、人と料理と時間と空間の物語。

幸せなんて980円で手に入るみたいだ


帰り道、頬をなでる風が涼しくなってきた。

毎年、長くなったように感じる夏もようやく終わって秋らしくなってきた。

そう言えば、今朝出社した時に同僚の女性が金木犀の香りがしてきましたねと言っていた。適当に合わせておいたけど、正直、金木犀がどういう香りなのかよくわからない。

そんなこともわからないから、俺はモテないのかもしれないな。

さてさて。モテない男やもめの晩めしはどうしますかね。

季節も良くなってきたので、自転車でちょっと遠めの大型スーパーに行って、切れそうだった洗剤とシャンプーでも買いに行こう。

奥の方にいる熱帯魚をぼーっと眺めるのが結構好きだ。

通り道のTSU○AYAで気になっていたDVDでも借りようか。

そんなこんなの一通りをやったあとにようやく、食料品コーナーへ。

必要以上にいろんな野菜や肉、魚、レトルト食品やお菓子が並んでいる様には何故だかテンションが上がる。

季節柄かいろんな茸が山のように積まれている。

秋になったし、茸か。

うん。悪くない。

しめじ、舞茸、えのき、平茸……ひらたけと読むのかな? なにやら初めて見る、茶色いえのきもある。

そして、他の茸がビニールに入っているなか、木箱に入った松茸がいかにも王様のように鎮座している。

関係ないな、とスルーしかけたがラベルには980円の文字。

980円? ラーメン屋でもそれくらいは使ってしまう。餃子とビールをつけたら足りなくなるような金額で松茸が買える。

もちろん、松茸を料理したことなんてないけれど980円ならいいじゃないかとかごに入れる。

帰り道、なんとなく誇らしい気持ちになってきた。

いま、このレジ袋に松茸が入っていると思うと何やら自分まで王様気分になってしまっている。これだけでも980円の価値はあったかもしれないな。


いつもより少し大袈裟にマンションのドアを開けてみる。さながら、王の帰還だ。

それも束の間、キッチンに入ると主人に仕えるコックへと成り変わる。

お米を軽めに研ぎ、水はすこし少なめで。そこに松茸を割いて入れていく。

量の加減がよくわからないのでぜんぶ入れてしまおう。

なにせ王に食べていただく松茸ごはんだ。ちまちま入れるわけにはいくまい。

味つけは白だしをお吸い物くらいの量で入れ、醤油もさっと。手で軽くまぜて、その指を舐めてみるとなんとなく薄い気がしたので、塩をひとつまみ入れてみる。

では、スイッチオン。

買ってきた日用品を所定の位置へ。洗剤を詰め替える。

ついでに軽く拭き掃除なんかもしてみる。なにせ、王の晩餐だ。

そう言えば、上司に貰ったものの開けるタイミングのなかった高い(らしい)日本酒が冷蔵庫に入っている。あれを開けよう。

炊飯器を覗いてみる。

まだ、時間が表示されていないところを見ると、もう少し時間がかかる。

日本酒を飲みながら、のんびり待つとしよう。折角だから、引き出物でもらったワイングラスを出して、と。

高校や大学の同級生たちが一人また一人と結婚してゆく。いつの間に出会って、いつの間に付き合って、いつの間に結婚に至ったのかまるでわからない。

ワイングラスの送り主にちょっとだけ思いを馳せながら、日本酒を一口。すっきりした感じでするりと飲める。

結婚かあ。

ちょくちょく飲みに行っていた後輩の女の子はあっさりと寿退社してしまった。

同期で残っている奴らとは友達というか同士感覚が強すぎて恋愛気分には最早なれない。

新入社員たちはゆとり世代の俺を少し馬鹿にしている節があるし、意識が高すぎて、なにを話していいかよくわからない。

あまり面白くもない回想を一人していると、ふわあっと美味しい香りがやってきた。松茸の香りだ。

なんとも言えない、美味しい予感がする香りを愉しみながら、また日本酒を飲む。さっきよりも美味しく感じる。

今日はもう、松茸ごはんとこの日本酒だけでいいかもしれないな。

ぴーっぴぴーーっ

ぴーっぴぴーーっ

やわらかな気持ちにはいささか不快な音が炊き上がりを教えてくれる。

よし、食べよう。

いつぶりかもわからないくらい久しぶりの松茸ごはんだ。

炊飯器の蓋を開けた瞬間にむせ返るほどに松茸の香りが立ち込める。

底の方にしゃもじをやるとすこしだけれどおこげもできている。これは嬉しい誤算だ。

我慢ができず、しゃもじのまま一口食べてみる。

うまい。やたらとうまい。 

日本の味。日本人なら誰もが好きな味だ。

お茶碗によそって、また一口。なにやら幸せな気持ちになる。

もう一口。やっと、冷静に味わえるようになってきた。

もっちりした食感のお米を噛みしめていると、きゅきゅっとした松茸に歯が当たる。

すると口の中が松茸の香りで一杯になる。いつまでも噛んでいたい。

そこに冷えた日本酒を流し込む。米と米。合わないわけがない。

日本酒の甘みとほのかな酸味がまた、もう一口の呼び水になる。

買ったときについていたすだちを少し絞ってみる。これもまた、うまい。

大したことをしていないのにともかくうまい。

あっという間に一杯平らげてしまった。

さあ、もう一杯。今度は底のおこげをたっぷり入れて。

焼きおにぎりのような醤油が焦げた香りが加わる。

そこにまた、日本酒をくぴり。

ああ、うまい。

日本人に生まれて良かったとしか言いようがないくらいにうまい。

自分という人間がこんなにも簡単に幸せになれるとは思わなかった。それも、980円でだ。

コスパという言葉はそんなに好きではないけれど、今日ほどコスパを感じたことはない。

誰かがこんなものをつくってくれたら、もっと、幸せだろうな。

いただきます、なんて、言っちゃったりして。

日本酒を注いでもらったり、注いであげたり、乾杯したり、美味しいねって言いあったり。そんな時間を一緒に過ごす為に結婚をするのかも知れないな。

いつかまた、彼女ができることがあったならその子には素直に金木犀の匂いとやら教えてもらおう。

ふう。

お腹がもういっぱいだ。

ごちそうさま。

まだ見ぬ、だれかに言ってみた。

ソウダルア(出張料理人/イートディレクター) 

大阪生まれ。5歳の頃からの趣味である料理と寄り道がそのまま仕事に。“美味しいに国境なし”を掲げ、日本中でそこにある食材のみを扱い、これからの伝統食を主題に海抜と緯度を合わせることで古今東西が交差する料理をつくる。現在は和紙を大きな皿に見立てたフードパフォーマンスを携え、新たな食事のあり方を提案中。



【フードパフォーマンス映像】
https://vimeo.com/275505848