なぜいまビジネスの世界で「哲学」が求められるのか 哲学×広告〜対極からみる社会の未来像

写真拡大 (全2枚)

テクノロジーが急速に進化し、情報が広告化する世界において、いかに考え、いかに伝えるか。哲学者・岡本裕一朗と広告マン・深谷信介が対話して見えてきたものとは――(本稿は『ほんとうの「哲学」の話をしよう』の一部を再編集したものです)。

人間とAIがどうなっていくか

深谷  ビジネスを取り巻く環境は急速な変化を遂げており、数年先の未来さえも予測不可能です。近年広告などビジネスにおいて、プロセス変革への期待が高まっていて、物事の根本的かつ普遍的な価値を問う哲学的アプローチが注目されています。

岡本 「哲学と広告」と言えば、今まで重なることのない無縁の領域と見なされてきましたが、哲学と広告の関係をとらえ直し、今後の可能性を探る、『ほんとうの「哲学」の話をしよう』を深谷さんと共著出版しました。

ここでは、社会の未来像について少し考えてみたいと思います。

深谷  いま、人々の関心は、AIとの共存、AIとの協業、そういったことをベースとしての人間のあり方、生き方にあるのではないかと思います。広告から見ていまのAIは、かたちをもたないはじめてのメディアなのかもしれないと思っています。

メディアの変遷を振り返ると、新聞や書籍というかたちある紙媒体が生まれ、ラジオやテレビという電波媒体が登場します。電波自体は見えませんが、それでもラジオ・テレビという専用の受信機・受像機が必要です。

インターネット時代になっても、パソコンやスマホというかたちを介して情報を入手します。人はかたちあるものに意味を付加しやすい。おしゃれとか、便利とか快適とか、知識を得られそうとか、信頼できるとか……。

でもAIはロボットという装いを身にまとういっぽうで、プログラム言語という点でかたちをもたないとも言えます。

AIを可変自在なメディアととらえると、広告的にはすごくおもしろいと思うんです。情報の入れ方出し方もまた、いろいろなかたちで変容するだろうし、それに対しての対応力も、いまの人間にはある気がします。

岡本  AIというとすぐにロボットをイメージするのですが、ロボットのような個体的なイメージよりむしろそれはネットワークにつながった一つのシステムだと考えるほうが妥当で、そう考えれば難しい問題でもないと思うんですね。

ここで重要なのは時間軸で、人間とAIがどうなっていくかは、時間軸をどれぐらいにとるかによって大きく違ってきますし、さまざまな段階を経ていくのだろうと思います。

これを時間軸抜きに考えると、とんでもない話になってしまいます。最終的には人間もAIもすべてネットワークにつながれてしまいますから。

深谷  時間軸ですか?

岡本  はい。たとえば、10年程度で考えるときと、100年ほどの幅をもって考えるときではおそらく展望がまったく変わると思います。10年ほどであれば、AIはあくまでも道具であり、その自律化ということは問題になりません。しかし、100年先はどうなるか。これはまったく違うシナリオが描けるのではないでしょうか。

人工化する21世紀の社会

深谷  いまはまだ便利なツールというレベルで話ができるとすると、ぼくの感覚では、人間はそういうツールをもてばもつほど自然界と直接やりとりする接点やその機会は減っていくのが気になります。

岡本  それは確実に減っていきます。いまイメージされる未来の世界は、ある非常に大きな人工空間のなかでAIが遍在するような世界に、人間がぽんと生まれてくるようになる。今後のイメージというのはおそらくそういう世界になるということですね。

深谷  ちょっと情緒的な話になってしまうかもしれませんが、人間はこれまで自然界から学んできています。りんごの落下に万有引力という物理法則を見出したニュートンもそうです。自然界への深い観察と洞察なくして、黄金比を見出すことはなかったでしょう。

学びの機会を提供してくれる自然と接点をもたないような社会のなかで、人類はどうなっていくのかなと思うのです。

東日本大震災はわたしたちに大きな被害をもたらしました。そこに多くの教訓があるはずですが、その後おこなわれたことと言えば、巨大な防潮堤ができたことでした。地震や集中豪雨を教訓にしきれているのかと考えると、どうも自信がもてないのです。

岡本  そもそも、自然を人間の管理下に置こうとする発想そのものに対して批判すべきではなかったのかと。なのに、現状はさらに管理を徹底しようとしているのはどういうことだと、その感覚をわたしももっています。自然に対して有効に対処できなかったということで、もっと強力な対抗策を講じなければという方向に動いているのはたしかですね。

深谷  結果的にそちらに振れてしまいました。自然と同居するのが上手だと思われている日本も、じつはそうなってきている。それがさらに進むとどうなるんでしょうか。

岡本  たぶん行くところまで行くと思います。どこまで行くのかはよくわかりませんが、どんどん人工化されていくでしょう。技術の進歩は元には絶対戻りません。

ですから、現在の技術水準に対してさらなる改良や強化がおこなわれて、能力をパワーアップさせるかたちで発展していく。これまでもずっとそうでした。

そして、それを使わないようにしようという、科学技術の進歩への警戒を叫ぶ声はいつの時代にもありましたが、人類の歴史上、新しい技術をまったく使わないよう封印するということは基本的になされてきませんでした。

ですから、21世紀の社会ももっともっと人工化していく。その方向にしか進まないだろうと思います。

たぶん植物にしても、すでに一部は実際におこなわれているように、やがて植物工場で生産されるようになるでしょうし、すべてが人工的につくれるような環境になっていくのでしょう。もちろん植物そのものは人工物ではないですが、プロセスは次々と人工化、機械化されていく方向へと進んでいくしかないと思います。

深谷  一次産業が二次産業化、工業化していくってことですね、間違いなく。

岡本  そうですね。いまの食卓を見れば、牛肉にしても鶏肉にしても多くのものがそうなってきたものですね。今後それがさらにバージョンアップされていく。

最終的にどうなっていくのか、ハリウッド映画やSF小説に描かれるような世界がやってくるのか、そこはいろいろな可能性があると思いますが、いわゆる自然界というものと人間との関係で言えば、自然のなかにある人間、あるいは自然から学び自然と共存する人間というものを、基本的に否定する方向にしか動いていないのは間違いないですね。

そこには当然、自然との関係を元に戻そうとか自然と一体化する感覚を取り戻そうというかたちで、揺り戻しを訴える人たちもいます。

〔PHOTO〕iStock

たとえばノルウェーの哲学者アルネ・ネス(1912〜2009)が「ディープ・エコロジー」という環境思想を1973年に提唱し、環境保護運動に大きな影響を与えました。

現代人が信奉する「人間中心主義」をより深く、つまりディープに疑問視して、人間は「個々の生きもの、動植物の集団、生態系、そして古くからのすばらしい私たちの星ガイア(地球)との同一化を深める」べきだと言うのです。

この主張を否定するつもりはありませんが、ただ、ディープ・エコロジーを唱える人たちのイメージしている地球は、せいぜい全人口10億人くらいの地球のイメージですから、それぐらいの人口規模なら彼らの描く世界はありえるかもしれないけれども、現在の76億人という世界人口を考えるとその有効性に疑問を呈さないわけにはいきません。

こういった環境思想が、現代の科学技術による人工化の進展を止めることは難しいのではないかと思うのです。