ついに消費税率が10パーセントに引き上げられてしまった。万民の痛憤紅涙、措く能わざるところである。

由来、進んで税金を払いたいものなどいない。だからこそ国や自治体は、戦前から「納税思想の涵養」、つまり納税意識の啓発に励んできた。

もっとも、天地を逆さにできないように、嫌な税金を簡単に好きにさせられるはずもなく、その試みは常に苦難と苦笑の連続であった。

孫娘が「爺ちゃん、納めて!」と泣き叫ぶ

戦前日本の納税美談は、その典型だった。どんな苦境にあっても、「納税義務の重大なるを痛感して、『――何はさておいても税金だけは!』と、叫びながら納税する人」を取り上げた物語がそれである。

当局は、勇ましい軍国美談を使って国民の士気を高めたように、感動的な納税美談を使って国民の納税意識を高めようとしたのだ。

もっともありがちなストーリーは、父や祖父の滞納税金を、子や孫が貧窮に耐えながらなんとか工面して代納するというものだった。

 「――お父さん――この金でお父さんが未だ納めてゐない村の税金を納めて下さい。そうでないと、お父さんは不忠者とならなければなりません、又私達も学校に出て肩身が狭い――ねえお父さん、早く税金を納めて下さい」(「美古登の山桜」)。

納税美談を読むのは大人だから、その良心を刺激しなければならない。そのため、可憐な娘や孫娘の訴えもよく活用された。つぎは、孫娘が滞納者の祖父を涙で責め立てるものだ。

 「えゝ爺ちやん、爺ちやん、あんたは税金は皆納つてゐると、この間言つたぢやない? 税金が納まつてゐない――税金が納まつてゐなければ、日本国民であつて国民ではないのです、何故爺ちやんは納めてくれないのです、爺ちやんは納めたと言つたぢやないか、爺ちやんはなぜ嘘を言ふのだね、あたし明日から学校に行かないよ……」
 と、直子は叫びながら、爺やを責めつゝ泣いた(「孝女山形直子」)。

なんとも可愛げのない孫娘である。

こうした納税美談は、境遇が貧しければ貧しいほど、美しく光り輝いた。ただ、あまりに悲惨すぎると、「取り立てが厳しすぎるのでは」「税金が高すぎるのでは」と、政府批判につながりかねないというリスクがあった。

もっとも、幼い子供の代納を美談と讃える、その発想自体がおかしいのだが。

兵隊に行く覚悟で税金も払え!

税金滞納は、景気と連動した。戦前日本の場合、それは、大正後半の関東大震災から昭和初期の昭和恐慌・満洲事変までの期間に集中した。

納税標語は、このような時代に合わせて各地で盛んに作られるようになった。これも、短いながらエッセンスを凝縮しており、味わい深い代物である。

「納税の 義務を果たして 一人前」(1933年、埼玉県)
「感謝の納税 明るい暮し」(1934年、東京市)
「常に完納 明るき家庭」(同年、山形県統計協会)

まずは、現在でもよく見る、因果関係がよくわからないシリーズだ。納税すると、一人前になり、暮しも家庭も明るくなるらしい。たしかに、孫娘に「納税して!」と泣き叫ばれるようでは、家庭も暗くなるだろうが……。

スローガンは、時代や流行に絡めたほうが、ひとびとの関心を引く。満洲事変以降に、非常時を訴え、愛国心を刺激する標語が出てくるのは必然だった。

「伸ばせ国力 延ばすな納税」(1936年、滋賀県税務研究会)
「納税は 国へ忠義の 第一歩」(同年、台湾)
「納税は 躍進日本の 土台石」(1937年、北海道庁)

このシリーズは、1937年に日中戦争がはじまると、ますます切実に、生々しくなっていった。要するに、「兵隊に行く覚悟で、税金も払え」というのである。

「応召する気で 納期を守れ」(1937年、北海道庁)
「勇んで出征 進んで納税」(1938年、大阪府泉北郡)
「応召の 心で守れ 納税日」(1940年、横浜市福富町納税組合)
「征く気で守れ 来る納期」(同年、中央標語研究会)
「納税へ みな応召の 心がけ」(1941年、東京府東京市)

「勇んで出征、進んで納税」だと、徴兵された上に徴税もされることになる。まさに踏んだり蹴ったり。大日本帝国は、納税勧奨もなかなか過激だった。

納税者の涙を隠す「笑顔で納税」

プロパガンダはよく笑う。ニコニコ顔で理想を仰ぐ。納税標語も例外ではない。ここでも気持ち悪いほどに納税者は笑顔である。

「正しき申告 笑顔で納税」(1926年、関西三大都市税務協会)
「愉快に働き 笑つて納税」(1930年、岩手県水沢財務出張所)
「感謝で働き 笑顔で納税」(1934年、岸和田市)
「黙つて働き 笑顔で納税」(1937年、飯田税務署)

もちろん、これは現実の反映ではない。スローガンは、しばしば不都合な現実を覆い隠す。国民が一致団結していれば、わざわざ「挙国一致」と叫ぶ必要はなく、国民が全員清貧に甘んじていれば、あえて「質素倹約」を訴える必要もない。「笑顔で納税」の裏には、けっして笑顔ではない納税者の涙があった。

したがって、つぎの標語にも納税者の不平不満を読み取らなければならない。

「しつかり働き、きつぱり納税」(1937年、山形県統計協会)
「『又か』と言はずに 進んで納税」(1938年、大淀町)
「セツセと働き サツサと納税」(1939年、大分県財務協会大分支会)

それだけ「又か」の声があったのだろう。標語の文言からは「払いたくない!」という怨嗟の声が聞こえてくる。こうなったら、開き直るほかない。

「護るぞ 蓄めるぞ 納めるぞ」(1940年、中央標語研究会)

理屈などない。ただ刷り込むばかり。もはやオウム真理教の「修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ」状態である。

相性は最悪「納税+流行歌」

昭和初期には音頭ブームがあり、時局とも絡みながら、「満洲音頭」「防諜音頭」「戦場盆踊り」「決戦盆踊り」などの多種多様なレコードが作られた。そのなかには、「納税音頭」(鈴木魅作詞)なるものまであった。

その3番の歌詞を引いてみよう。

税で乗り切れ アリヤセ
非常時日本 ヨヤサ
誇る皇国(みくに)の 誇る皇国の底力
ハア 納税報国
御国は万歳万々歳

ハレとケもあったものではない。盆踊りまで「税金、税金」では興ざめしてしまう。大体、大衆に愛されるべき流行歌と、もっとも愛されざる税金では、相性が悪すぎた。

同じことは、「納税奉公歌」「納税奉公歌謡曲」「納税奉公の歌」「納税愛国の歌」「納税小唄」などの歌にもいえる。

「愛国」「報国」「奉公」などは、今日でいう「グローバル」や「コミュニケーション」みたいなもので、とりあえず付けておけば収まりが着くという魔法の言葉だった。つまるところ、すべて「納税ソング」である。

そのひとつ、「納税小唄」(本多信寿作詞、竹岡信幸作曲)をみてみよう。これは、「納税愛国の歌」と裏表で日中戦争中にコロムビアよりリリースされた。その3番はつぎのとおり。

戦する身も
チヨイト 税納めるも
国に捧げる エゝエ 気は一つ
サツサ さらりとネ
税を納めて 仰げよ日の丸

よくある時局歌に、無理やり税金をからめている感じで、いかにも苦しい。ことごとくヒットしなかったのもむべなるかな。

「税の作文」で現代版・納税美談?

今般の消費税は、われわれの納税意識に関係なく、半ば強制的に徴収される。ただ、軽減税率の問題があるため、イートインで食べるのに、テイクアウトと偽ることで、よからぬ節約を試みるものも現れるだろう。

そこで納税美談の出番である。納税美談は、しばしば一般からも募集された。これは今日の「税の作文」に限りなく近い。「父母の誤りを指摘し、しっかり納税させました!」。そんな小中高生の作文が、大賞を取ってしまう日も近いかもしれない。タイトルはもちろん、「笑顔で納税」で。

【参考文献】
・菊地淳『趣味の税金』自治館、1939年。
・『納税標語・納税美談・納税劇筋書』大阪税務監督局、1927年。
・『国策標語年鑑 昭和18年度版』日本宣伝協会、1944年。